その日暮らし日記へもどる
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1997年10月中旬の日記
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10月11日
昨日に引き続きF1日本グランプリのリリースやニュースを訳し、ニフティサーブに掲載。そういえば2年連続で鈴鹿に行っていないなあ。夜はサッカーのワールドカップ最終予選をテレビ観戦。ワールドカップ出場とかけ声だけは勇ましいが、このあたりが日本の実力じゃないのかなあ。Jリーグもチームばかり増えたって、外国人選手にオンブにダッコしているみたいなところがあるんだから。JR東日本の社長が言ってることは正しいと思う。もっとも日本のレース界も外国人にオンブにダッコという点では同じ状態ではあるのだが。
10月12日
F1日本グランプリ決勝。日本育ちのアーバインが快走を見せ、ミハエル・シューマッハーを勝利に導く。昨年は満足にテストもさせてもられずリタイア続きだったアーバインだったが、アーバインにもテストをさせるよう進言したのはミハエル・シューマッハーだってことは、あまり知られてないみたいだ。今年のフェラーリの躍進は、同日に別の場所でミハエルとアーバインがテストをするといった開発プログラムの見直しも影響しているはずだ。優勝は譲ったが、アーバインはプロの仕事をキッチリと成し遂げた。これで評価は、さらに上がるだろう。
10月13日
日本グランプリで仕事が遅れたため、終日パソコンの前に座る予定。
10月14日
遅れていた『F1速報』連載の『龍の伝説』最終回を朝までかかって書き上げる。連載開始は95年の秋から。通算39回でした。単行本(第3部)は来春発売予定です。
『別冊宝島』から依頼されたWindows 95のオマケゲームについての原稿も終わらせる。
10月15日
朝日新聞朝刊の別刷り「新聞週間特集」に「ニューメディアの旗手(^_^;)」としてインタビューが掲載されている。ほかに5人インタビューされているが、そのうちの4人は知ってる人。世間って狭いのね。
『週刊小説』連載コラムを書き上げて送信したあと、シノプシスにOKの出た架空戦記小説の本番原稿にかかる。
10月16日
クルマ雑誌の『Driver』から依頼された愛車についてのエッセイを書く。11月上旬発売の号に掲載されるらしい。
送るのを忘れていた請求書をエクセルで作成。最近、小説のプロット作りにまでエクセルを使っている。
10月17日
『Driver』と『週刊小説』用のイラストを描いてFAXで送信。文章&イラスト合わせて一本の仕事が多いなあ(;_;)。夜は高円寺に出かけて息抜き。作家の磐紀一郎さん、『別冊宝島』で編集&ライターをしている女性をスナックに引っ張り出し、カラオケボックスへ。タイトーの2001で『ゲームセンターあらし』の主題歌を歌った作詞者は私です。
10月18日
10月19日
富士スピードウェイのF3レースで死亡事故。昨年までイギリスF3で走っていた横山崇選手の乗ったマシンが、スローダウンしたマシンに追突し、空中に舞い上がって、5メートルの高さのシグナルブリッジに激突、死亡した。
その前に起きていた事故のためにペースカーが入ることになり、全車スローダウンせよのイエローフラッグと「SC」のサインボードが出た直後だったらしいが、果たしてドライバーたちには、その旗とサインが見えていたのだろうか?
亡くなったドライバーの冥福を祈らずにはいられない。
10月20日
アメリカのレース団体に所属し、数十年もサーキットで旗を振っている女性から電子メール。富士スピードウェイの事故についての問い合わせ。新聞の報道などでわかっている範囲のことを伝える。戻ってきた返事は、旗だけでなく、無線や信号灯を導入したらどうかという意見。ぼくも同じ意見をニフティサーブのFMOTOR4Fに掲載したばかりだった。