その日暮らし日記へもどる
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1997年7月上旬の日記
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97年7月1日〜10日
7月1日
風邪でフガフガ。NHK-BS2のパソコン番組出演のための事前取材を受けに保谷駅前の喫茶店に出かけるが、鼻が詰まってフガフガ。
7月2日
まだ風邪直らず。フガフガ状態が続く。座椅子にもたれながら『ひまわりの祝祭』(藤原伊織/講談社)を読む。『テロリストのパラソル』よりも面白い。いつも『美術手帖』が転がっていた高校の美術室や、初めてパリの印象派美術館に行ったときに見たホンモノのファン・ゴッホ(こう書かないといけないのだそうだ)やセザンヌの絵を見て感動し、腰を抜かしそうになったことを思い出す。主人公が甘党なのもいい(ぼくも甘党なので)。
7月3日
風邪を押して某社での会合。夕食もご馳走になってしまうが、風邪薬を飲んでいたせいかビールを少し飲んだだけで眠気がグワーッ! さっさと帰宅して寝る。
7月4日
風邪で体調悪し。今週は、とうとうプールにも行かず。
7月5日
推理作家協会設立50周年イベントの文士劇のチラシのラフを作成。パソコンのPhotoShopを使うため、安いカラープリンターを買い出しにいく。帰りにファミリーレストランで仕事しようと思ったが、クーラーの冷気で寒気がしてきたため、30分ほどで帰宅。自宅で推理作家の似顔絵描き。
7月6日
7月7日
午後、文士劇のチラシを持って推理作家協会の事務局へ。理事会でチラシのデザインを選んでもらう。似顔絵は、ご当人たちがいたせいもあり、かなり不評(^_^;)。大沢在昌さんには、「もっとカッコよく描いてよ」とリクエストされる。デフォルメして「ザイショー君」みたいな感じの絵になっていたので、そういわれてもしかたがない。
帰途、あまり暑いので高田馬場でお好み焼きを食べながら冷えた生ビールを一杯。睡眠不足も手伝って、西武新宿線の電車のなかで眠りこける。
7月8日
午後、起き抜けに講談社の『少年マガジン』編集者から電話。元編集長で、講談社とキングレコードの役員を兼務していた三木創作さんが亡くなられ、今夜がお通夜とのこと。新聞の訃報欄で確認し、芝公園の教会で行われたお通夜に駆けつける。『少年マガジン』編集長時代には、ほんの数回、漫画の仕事をさせていただいただけだったのに、マルチメディアの部署に移られてからも、一緒に仕事をしようとたびたび声をかけていただいていたが、それも果たせないままになっていた。先月、永井豪さんの漫画家生活30周年記念パーティーで歓談したばかりだったのに。一昨日、炎暑のなかで息子さんとテニスを楽しまれていたときに倒れ、心不全で亡くなったとのこと。まだ54歳の若さだったのに……。合掌。
7月9日
NHK-BS2のパソコン番組で使うデジタル写真を撮影し、インターネット経由で送信。『週刊小説』連載コラムを書いてFAXで送信したあと、下の娘と一緒にプール。娘が苦手だという平泳ぎの特訓をする。風邪のせいでプールも2週間ぶり。体調も完全ではないので流して泳ぐが、最後に50メートルだけタイム計測。飛び込みなしで37秒。飛び込んだら35秒は切れるかな? 水泳の前と後で体重が500グラム減。水泳を始めてから、体重はさほど変わらないのだけれど、ベルトの穴は3つも縮まった。
7月10日
梅雨が戻ったおかげで気温も下がり、これでグッスリ寝られると思ったら、こんな日に限って家族が留守で、朝から電話と宅配便がジャンジャン。そのまま『ニフティサーブ・マガジン(旧「OLTJ」)』連載エッセイにかかったが、頭が寝ぼけていて能率が上がらず夜までかかってしまう。