• 1996年6月の日記



  • 1996年6月の日記


    6月01日 6月02日 6月03日 6月04日 6月05日 6月06日 6月07日 6月08日 6月09日 6月10日
    6月11日 6月12日 6月13日 6月14日 6月15日 6月16日 6月17日 6月18日 6月19日 6月20日
    6月21日 6月22日 6月23日 6月24日 6月25日 6月26日 6月27日 6月28日 6月29日 6月30日


  • 96年6月1日〜10日
  • 6月1日
    (昨日の続き)昨日は午前9時過ぎにやっと「龍の伝説」の原稿を送り、10時から2時まで睡眠。高齋正さんがお貸ししていた資料を返しにきてくれ、コーヒーを飲みながら雑談。そのあと大急ぎでスーツに着替え、西武池袋線〜地下鉄有楽町線経由で東京会館へ。谷甲州さんの新田次郎文学賞授賞式に出席するため。30分ほど早く着きすぎたかなと思ったら東京会館前で、やはり授賞式に出席する太田忠司さんにバッタリ。東京会館のティールームで雑談しながら時間をつぶす。
     授賞式では谷さんのスピーチが、最初ちょっとアガリ気味で面白くもあり、また感激。パーティーに移るとページメーカーで作成した二次会の案内チラシを作家の皆さんや編集者の方々に配布。その合間に永井豪さん、岬兄悟さんと大原まり子さんご夫妻、時代小説の評論家、縄田一男氏らと歓談。二次会の会場は四谷のメキシコ料理店「サルサカバナ」。ニフティサーブの雑誌「OLTJ」の編集をしていた女性が開いたお店で、ニフティサーブのオフライン会場に使われるところが多い。幸い雨にならなかったので、ビルの谷間のテラスで野外宴会となる。太田忠司さん、漫画家の水樹和佳さん、ニフティサーブFBOOKのSysOp江下雅之さん、各社の編集者、谷さんのSF仲間ら30人ほどが出席。なごやかな二次会となる。
     当初は会費制の予定で領収証まで作ってあったのに、受賞作「白き嶺の男」の版元でもある集英社さんが費用を全部持ってくれた。さすがは集英社!(^_^)。
     帰宅後、F1スペインGP用のミハエル・シューマッハーのインタビューを訳してニフティサーブ「オートレーシング情報フォーラム(FMOTOR4)」に掲載。また朝になってしまった。

     書き下ろしミステリーのエンジンを全開にしないといけないのだが、昨日、慣れない革靴を履いて歩き回っていたせいか、踵の皮がズル剥けになるし、腰と背中は痛いしで能率が上がらず。それでも少しだけ原稿を進め、夜には鈴鹿のJTCCレースの予選結果をコンピュサーブともうひとつのホームページに掲載。それからF1スペインGPのリリースの翻訳にかかろうと思ったら、リリースの到着が早くて、ほとんど終っていた。

  • 6月2日
     昨日、日経夕刊に掲載された「パソコンワールドを歩く」で、クモの巣が張ったホームページのことを書いたせいかどうか、それを読んだというメールがしきりに届く。中にはイラストの背景に使ったぼくのホームページのタグの中からURLを読み取って、もうひとつのホームページ経由でこちらのホームページにアクセスしたという人も。子供の頃に「こんにちはマイコン」を読んでパソコンを始め、そのままコンピューターに熱中して、いまはコンピューター会社に就職したとか。最近、このようなメールをたくさんいただく。あの本が最初に出たのは1982年のことだから、あの頃の小学生も、もう社会人ということなんでしょう。でも、嬉しいことです。

  • 6月3日
     終日、書き下ろしミステリーに専念。
  • 6月4日
    「日経流通新聞」の取材を受ける。インターネットのホームページについての感想など。その後は書き下ろしミステリーに専念。
  • 6月5日
    「週刊小説」連載「パソコン言葉ちんぷんかんぷん」の執筆。今回のテーマは「ドラッグ&ドロップ」。「ネットピア」連載「知ってる? CompuServe」の原稿も片づける。激変するオンラインサービス業界の中にあってCompuServeもその例に漏れず、独自プロトコルHMIを導入したばかりなのに、早くもこれをやめてコンテンツをHTMLに統一する。ついでに通信部分も漢字コードが通るようにしてほしいものだ。
  • 6月6日
     午後、体調が悪い田舎の叔父の一人の見舞いから母が帰ってきたと思ったら、夜になって、その叔父が危篤の知らせ。未明に亡くなったとの電話があり、母が一足先に出かける。こういうときにユーモア・ミステリーを書いてもノリが悪い。
  • 6月7日
     叔父の通夜、葬儀に出ないといけないので、あわてて「日経」の原稿、「週刊小説」のイラストを送り、書き下ろしミステリーを必死に進める。
  • 6月8日
     3時間ほど寝て午後4時42分の静岡停車のひかりで清水に向かう。禁煙車が満席なのでグリーン車にし、静岡まで1時間、書き下ろしミステリーの原稿を書く。揺れる座席で必死に原稿を書いていたら気持ちが悪くなった。静岡で東海道本線上り電車に乗り換えて清水駅へ。清水駅に降りるなんて、何十年ぶりのことだろう。叔父、叔母、イトコがたくさん住む清水に来るときは、大抵、車で来てしまうのだが、今回は睡眠不足なのと、移動の間も原稿が書けるという理由で新幹線を利用した。亡くなった叔父の家を訪ねるのも20年ぶりくらい。いつも母の実家で顔を合わせてばかりいたからだ。通夜をすませたあと、母と別の叔父、叔母たちと寿司屋で夕食。ビールの入った別の叔父の代わりに車を運転して、その叔父の家へ行き、泊めてもらう。
  • 6月9日
     朝4時半に布団を抜け出して、キッチンのテーブルでサブノートPCを使って原稿を進める。締切は明後日だが、とても間に合いそうもない。朝のうちに亡くなった叔父の出棺、火葬をすませ、午後、富士川町にあるお寺で葬儀。富士川町は、ぼくが生まれ育った富士市と富士川を挟んだ対岸になる。寺は、川の向こうに、江戸時代初期に築かれた土手を見ながら、富士川沿いに北上したところの山の上にある。ここで葬儀をすませた後、三島に帰るイトコの車で沼津まで送ってもらい、小田急新宿行きの特急あさぎり8号で帰京。本来なら、この週末は、書き下ろしミステリーの舞台となる伊豆に日帰り取材する予定だったが、その予定が崩れ、せめて取材の一部だけでもと、あさぎりの発車時刻まで駅と周辺を取材。駅のホームをまたぐ跨線橋をわたりながら、高校生のとき、祖父がこの跨線橋の階段で倒れて死んだことを思い出す。帰宅後は再び原稿。
  • 6月10日
     終日、書き下ろしミステリーの原稿と「日経」のイラスト。書き下ろしミステリーは、まだ150枚残っている。また、この日記の更新が遅れそうだ。

  • 96年6月11日〜20日
  • 6月11日
    「月刊OLTJ」の連載コラムの締切があるのをすっかり忘れていた。催促のメールがきて初めて気づき、あわてて原稿にとりかかる。これで書き下ろしがまた遅れる……。
  • 6月12日
     ひたすら書き下ろしミステリーに専念。
  • 6月13日
     2時間だけ寝て某コンピューターメーカーの本社へ。お仕事の打ち合わせ。そのあと八重洲ブックセンターにまわり、書き下ろしミステリーの足りない資料を仕入れる。東京駅から中央本線快速に乗ったとたんにバタングウ……。目が覚めたら西荻窪だった。三鷹駅からタクシーで帰宅。「F1速報」連載の「龍の伝説」にかかり、半分くらいまで進めるが、睡眠不足のせいで目が霞み、頭痛までしてくる。締切は明日だってのに。少し遅らせてくださいとメールして、ビールとウィスキーを呷って寝てしまうことにする。
  • 6月14日
     10時間も寝てしまった。目は直ったが肩凝りと腰痛がひどい。夜中までには終わる予定だったのに、資料調べなどをしているうちに原稿が遅れ、深夜にはF1カナダGPもあったため、結局、原稿が上がったのは明け方。メールで送信して寝る。
  • 6月15日
     書き下ろしミステリーにカムバック。残り100/400枚。クルマでデニーズに出かけ、ここで原稿を書く。午後10時、ルマン24時間レースがスタート。午後11時からテレビの前に張りつく。午前1時45分からはカナダGPの予選も開始。チャンネルサーフィンが忙しい。カナダGPの結果が出るのが遅いと思っていたのだが、テレビを見ていて時差を間違えていたことに気がついた。
  • 6月16日
     午後11時、ルマン24時間レースのゴールシーンの放映開始(テレビ朝日)まで必死になって仕事。今年はサッカーとの兼ね合いでスタート/ゴール時間が1時間早まり、現地時間午後3時(日本時間午後10時)にフィニッシュ。ニフティサーブのオートレーシング情報フォーラム(FMOTOR4)でも、すでにSysOpの新倉さんが、結果を入れてくれている。ルマンのテレビを見ながらF1カナダGPのウォームアップ走行のタイムやニュースをニフティサーブに入れる。マツダスピードからはルマンのリリースがインターネット経由で届いている。10年ほど前、ルマンでFM-16πを使ってアスキーネットやニフティサーブにレース速報を送っていたぼくは、ほとんど変人扱いだった。それがマツダスピードもトヨタもニッサンも、ようやくインターネットのホームページを使って速報を送る時代になった。ちょっと感無量のところもあるが、リリースが電子メールになったのは、まだマツダスピードだけ。トヨタとニッサンは、まだFAXだ。  午前1時45分からカナダGPのナマ中継。レース終了後、レース結果を入れて午前5時過ぎ、早番の新倉さんと浜田さん(FMOTOR4スタッフ)にバトンタッチ。
  • 6月17日
     遅れていた日経のイラストをFAXで送信後、保谷の喫茶店に出かけて書き下ろしミステリーの続き。
  • 6月18日
     午後1時から銀座で「NETWORKERS FORUM '96」の実行委員会。練馬から有楽町線に乗り換えて車内で原稿書き。しかし池袋から混雑してきたため断念。護国寺で同じく実行委員をしているニフティサーブ「バッカス&酒フォーラム(FSAKE)」SysOpが乗り込んでくる。雑談しながら銀座一丁目まで。少し時間があったので、空腹に耐えきれずに一人で蕎麦屋に飛び込む。ざる蕎麦を頼むが、色が真っ白なお上品なざる蕎麦で、三口くらいで食べ終えてしまう。これじゃオヤツだ。
     実行委員会には委員長の木村太郎さんをはじめとする委員が集合し、第2回イベントに向けての報告を受ける。委員会後、喫茶店に飛び込んで原稿を書こうとしたらバッテリー切れ。予備のバッテリーに交換したら、こちらも放電してしまっていてノートパソコンが使用できず。近くの有楽出版社に飛び込んで充電させてもらう。
     お喋りをしながら充電を待ち、有楽出版社を後にして、再び喫茶店へ。ここで原稿を書くが2時間しか寝ていなかったせいか眠気がドッ。しかたがないので有楽町線に乗って帰宅することにする。有楽町駅あたりから向台まで熟睡。練馬で西武池袋線に乗り換え、保谷駅まで戻ると、少し眠気が覚めたので、再び喫茶店に入ってバッテリーが切れるまで原稿書き。家に戻って仮眠をとり、深夜から明け方まで再び原稿。
  • 6月19日
     3時間ほど寝て駿河台の山の上ホテルへ。ここで「テレコムフォーラム」というNTT関連の雑誌のインタビューを受ける。内容はパソコン通信とのつき合い方について。インタビュー終了後、書泉グランデに寄り、いま書いているミステリーの内容を確認するための鉄道関連の本を数冊買い込み、そのあとで古書店をまわる。将来書きたいと思っている時代小説用の資料を探すが、どれも高い。また出直してくることにしてタクシーで新橋の第一ホテルへ。
     第一ホテルでは、今年度の日本推理作家協会賞授賞式。時間が余ったので、近所の喫茶店に飛び込んで原稿書きをしたあと会場へ。70年代国産SFの雰囲気を持つ小説を書いてみたいと思っているぼくには『ソリトンの悪魔』が推理作家協会賞を受賞したのは励みになる。会場ではSF関係の懐かしい人たちにも会うことができた。編集者からのお誘いを振り切って原稿書きをしながら帰宅。家に着いてからもまた仕事。授賞式会場で、いま書いているミステリーを出してくれることになっている編集部の編集長が、少しくらい遅れても大丈夫といってくれたので、少し気が楽になる。
  • 6月20日
     朝から原稿を書き、午後3時過ぎ、自転車で東伏見駅まで行って、ここから高田馬場経由で新宿へ。立ち食い蕎麦屋で冷やしとろろ蕎麦を食べてから新宿西口の滝沢へ。T書店を退職して自分の出版社を始めることになったY氏のパソコン購入のお手伝い。DTPには使わず、顧客管理などのビジネス利用が中心だというので、ヨドバシカメラで富士通のFM/Vのセット(一太郎モデル)とメモリー、レーザープリンターを購入。配送が完了したらセッティングに行かなければならなくなりそうだ。
     そのあとでY氏からイタリア風居酒屋でご馳走になり、紀伊国屋ホールで開かれている稲本正氏の処女小説出版記念パーティーに拉致される。稲本氏は、美濃高山で木工などを中心にした工芸工房オークビレッジを主宰する人。ぼくの高校の同級生(女性)も、稲本氏のパートナーと結婚し、オークビレッジで藤で編んだ家具などを作っており、その縁で、紀伊国屋4Fの製品展示場にも何度か足を運んだことがある。紀伊国屋のエレベーターの中でダイヤモンド社の元「BOX」編集長とバッタリ。今日のパーティーの司会を担当するとのこと。会場では小学館の編集者などとも会って歓談。帰りにお土産にいただいた小説は、ペーパーナイフが必要なフランス綴じの本。いかにもオークビレッジの主宰者だなあ。
     西武新宿線で東伏見に戻り、自転車でモスバーガーに寄って原稿書き。1時間ほど経つと高校生の集団がやってきて、あまりやかましいので、家に戻ってから仕事の続きをすることに決める。

  • 96年6月21日〜30日
  • 6月21日
    「OLTJ」と「週刊小説」のイラストを仕上げた後、喫茶店に出かけてミステリーの追い込み。
  • 6月22日
     喫茶店に出かけてミステリーの追い込み。
  • 6月23日
     喫茶店に出かけてミステリーの追い込み。
  • 6月24日
     日経の連載コラムを遅らせていて、催促のメールが入る。あわてて書き上げ送信。イラストも送る。そのあとはミステリーの追い込み。
  • 6月25日
     深夜、書き下ろしミステリーが上がる……が400枚の予定が50枚オーバー。担当編集者からチェックが入るのは確実だが、とりあえずメールで送る。
  • 6月26日
     書き下ろしが終わり、ボケッとしていると、インターネット関連事業のプロデューサーをしている知人から電話。斬新なホームページを立ち上げたいので相談に乗ってほしいという相談。夜8時半に新宿で待ち合わせ。高齋正さん、Javaを使った新しいホームページを作成しているプログラマー氏も来る。居酒屋でビールを飲みながら、あれこれ雑談。企業関連のホームページは「お仕事」になってしまうが、そうではなく採算やビジネスは度外視した「思い入れ」だけのホームページ……それも最新のインターネットテクノロジーを盛り込んだものを作りたいとのプログラマー氏の熱弁を拝聴。こんなことができる、あんなことができるとアイデアを勝手に喋る。
     高齋さんがお帰りになった後、新宿のバーに移って、さらにインターネットの現在、未来についてあれこれ語り、さらに深夜2時になってから、原宿のインターネット・カフェ(クラブ)へ移動。ここでプログラマー氏が手がけている未公開のホームページの作品を見せてもらう。「おお、これがJavaかあ!」と感激しながら拝見。そのあとはお決まりのアダルトページ探索。プロデューサー氏が会員になっている海外アダルトホームページのエグい写真をあれこれ見せてもらい、帰宅したのは午前4時過ぎ。
  • 6月27日
     六本木のロアビル地下のフルーツパーラーで「龍の伝説」の原稿書き。そのあとで久美沙織さんの著作100冊突破記念パーティーに出席のため上京した太田忠司さんとニフティサーブ「本と雑誌フォーラム」SysOpの江下雅之さんを六本木で拉致し、メンバーになっているクラブへ。ハイソ(?)なクラブで静かに語り合った後、ラーメンを食べて帰る。三鷹から乗ったタクシーの運転手さんに職業を訊かれ、モノカキですと答えると、本を自費出版したいとの相談を受ける。錦織りをしていて、商品は銀座のデパートなどにも納入されているのだが、手間ひまがかかったうえ高価なため売れず、そのためにタクシーの運転手をしているとのことだが、後継者不足のため技術を伝えることもできず、その歴史や技術を本にまとめて残したいとのこと。自費出版といわず、きちんとした市販の写真集にもなるんじゃないんですか……と答えたのだが……。前にNECの府中工場で、ワークステーションを使った西陣織りの型紙作りのシステムを見せてもらったことがある。高価になってしまった西陣織りの伝統技術をデジタル化し、人手を省くことによって、さらに大衆化したいという試みだった。ただし、こういうものは、人手をかけたところに価値が出る商品でもあるので、そのあたりの判断もむずかしいところ。何でもコンピューター化される時代、職人の腕がかえって見直される分野も多いのではなかろうか……と身内に鳶職、大工、造園などの職人が多い僕は思うのであった。
     家に帰ってニフティサーブにアクセスすると、やっぱりミステリーの原稿を削ってほしいというリクエストのメールが届いていた。
  • 6月28日
    「龍の伝説」の続き。夜はF1フランスGP追跡。
  • 6月29日
    「龍の伝説」と日経の連載ショートエッセイをあげてニフティサーブのメールで送信。ミステリーの直しに入る。夜は仙台のGT選手権の予選結果をコンピュサーブと、もう1つのホームページへ。フランスGP追跡。
  • 6月30日
     ミステリーの削りと書き直し。書くのよるも削りのほうが時間がかかる。夜は仙台のGT選手権結果をコンピュサーブと、もう1つのホームページへ。そのあとはテレビでフランスGP観戦。

  • このページのトップへ
  • その日暮らし日記へもどる
  • 表紙へもどる