1997年3月の日記
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- 2月26日
喫茶店巡りをしながら原稿の追い込み。
- 2月27日
上に同じ。
- 2月28日
1997年度PPG CARTワールドシリーズ(インディカー)がマイアミで開幕。テレビ解説の仕事があるので情報収集開始。
- 97年3月1日〜10日
- 3月1日
明日のテレビ解説に備え、アメリカから取り寄せているレース雑誌を見ながら、マシンのカラーリングとゼッケンを覚えようとするが、なかなか覚えられない。
- 3月2日
夕方から高名なモータースポーツ・フォトグラファー、間瀬明さんのご自宅にお邪魔し、夕食をご馳走になる。間瀬さんは今年のF1アルゼンチンGPでレース取材回数が500回に達するそうな。F1の世界の興味深いお話をいろいろ伺う。そのあとで午前0時に青山のスポーツi・ESPNのスタジオへ。打ち合わせをしていると、放送開始の午前3時半は、あっというまにやってくる。右の耳で英語の音声を聞きながら、左の耳でディレクターの指示を聞き、同時にアナウンサーと、もう1人の解説者の林信次さんの声を聞きながら、ノートパソコンのプロノート・ミニでCARTのホームページ等に接続しながら情報収集。クラッシュは2回だけで、さしたる遅れもなく放送は午前5時45分に終了。タクシーで帰宅したのは7時過ぎ。次回の担当は第3戦のロングビーチだ。次からはライブは英語のみで流し、月曜午後8時からの放送に日本語解説をつける。日本語はライブだが、レース結果はわかっているので、放送しやすくなるだろう。
- 3月3日
地震で目が覚める。伊東沖の群発地震のせいだ。昨秋に出した『サラリーマンのためのパソコン入門講座〈殺人篇〉』では、伊東を殺人の舞台にした。しかも、ここで発生した地震がアリバイトリックに影響を及ぼしていたんだけれど……あの小説のせいじゃないだろうな、地震の原因は……。
- 3月4日
また地震で目が覚める。午後はニフティサーブ満10周年に合わせて出版される単行本のための取材を受ける。帰りにファミレスに寄り、書き下ろし小説の残りの構成のやり直し。ちょっとテンポが悪くなっていたので、少し展開を早くする。
- 3月5日
『週刊小説』のコラムを書いて送信。
- 3月6日
書き下ろしの小説の締切が過ぎている。ノートパソコンを使って居間で原稿を書いていたら腰が痛くなった。
- 3月7日
『週刊小説』のイラストを描いて送信。Photshop LE-Jを使っているんだけど、毎回、解像度やらなんやらをいじってイラストのサイズが変わってしまい、担当編集者に迷惑をかけている。
夕方からニフティサーブ・オートレーシング情報フォーラム(FMOTOR4)のスタッフとしてF1オーストラリアGP1日目のドライバーたちのコメントを翻訳。レースシーズンが始まると仕事が遅れるのが困る。
- 3月8日
ニフティサーブ・オートレーシング情報フォーラム(FMOTOR4)のためにF1オーストラリアGP予選リポートを翻訳。夕方から喫茶店に出撃して小説の追い上げ。2軒目に入ったデニーズでは土曜の夜の混雑のためにカウンター席。ノートパソコンを広げるのにも抵抗があるため、読書タイムとなってしまう。
- 3月9日
ニフティサーブ・オートレーシング情報フォーラム(FMOTOR4)のためにF1オーストラリアGP決勝レースのリリースを翻訳。リリース中に触れられていた30年前のオーストラリアGPのことを確認しようと資料を探すが発見できずチェックを断念。さてこれからフジテレビでF1観戦だ。
- 3月10日
ビジネス雑誌『The 21』(PHP研究所)にパソコン通信のことで取材される。写真撮影があるたびカミサンは仕事場の大掃除。面倒かけてます。
- 97年3月11日〜20日
- 3月11日
確定申告のために昼間は仕事できず。深夜になってから車でファミレスさすらいの旅。田無のデニーズでバッテリー2本分原稿を書く。
- 3月12日
税務署に申告用紙を提出。そのまま喫茶店でバッテリー3本分原稿を書く。目の奧が痛いし、このところ連日、午前7時半から始まる「ふたりっ子」(NHK・BS−2)を見てから寝ていたので、少し生活をまともにしないといけないと思ってビールと日本酒を飲んで早めに床につくも、結局、読みかけだった『三河物語』(大久保彦左衛門)の現代語訳を読了。合戦で手柄を立てながらも大名に取り立てられず、旗本で終わってしまった恨みつらみと愚痴がいっぱいで面白かった。
- 3月13日
某シンクタンクから某企業が提供予定の新ビジネスについての考えをインタビューされる。今日は珍しく早朝から起きてしまったために、かえって頭がぼーっとし、仕事にならず。
- 3月14日
出版社にできたところまでの原稿をフロッピーに入れて届ける。あらかじめMacでフォーマットしたディスクにMac型式のファイルでセーブしたのに、出版社のMacでは読めず。しかたなしにプロノート・ミニに入っていた原稿をニフティサーブの出版社のIDに送り、Macで受信してQuarkExpressに読み込んで印刷する。途中で別の作家さんが探している資料のことで相談を受け、ニフティサーブの中からダウンロードしてあげる。さらにノンフィクションの本につける写真が暗くて困っていた別の編集者のために、スキャナーで写真を読み込み、PhotoShopで明るさを調整してプリントアウト。これを版下にすることになった。せっかくMacはあるのに使いこなせる人がおらず、いまぼくの担当者が講習に通っているらしい。ぼくも小説やマンガでメシが食えなくなったら、DTPオペレーターで糊口をしのげるかもしれない。
今日はホワイトデーでもある。帰宅途中で、バレンタインのチョコのお返しを配って歩き、帰宅したのは深夜。
- 3月15日
いちど昼過ぎに「ふたりっ子」を見るために起床するも睡眠不足で目が不調。再び寝直す。
●リンク雑感●このところ「リンクを張らせてほしい」「リンクを張りました」という連絡のメールが、よく届きます。リンクしていただく分にはまったく問題ないのですが、中には「そちらからもリンクを張ってほしい」「リンクページにURLを紹介するので、ホームページの紹介文を書いて送ってほしい」という内容のメールもあり、少し首をひねっています。個人のホームページにおいて「リンクを張る」という行為は、その人の趣味や興味などを示す個人的な思想表現の一種であると考えているからです。
見ず知らずの方から突然に相互リンクの依頼のメールが来ても、期待に応えることはできません。こちらがリンクを張るのは、ぼく個人がアクセスし、興味や関心を抱いたところだけです。
また、自分で自分のホームページの紹介文を書くのは、公共性の高い検索エンジン等に限らせていただいています。他のホームページにリンクを張って、そこにコメントや紹介文をつけるのなら、ぜひ、リンクを張った人自身の個人的な意見、感想、批評、論評、コメントなどを書き添えていただきたいものです。ホームページの個人メディアとしての可能性も、そんなところから生まれるものと考えています。
- 3月16日
何度も電話をいただきながら行き違いになっては電話番号が不明で連絡のとれなかった辻真先さんに、ニフティサーブのレタックスサービスを使って連絡を取る。ニフティサーブのIDを書き添えておいたらニフティサーブの電子メールで返事があり、やっと電話で連絡がとれる。用件は日本推理作家協会50周年イベントの手伝いをしてほしいというもの。喜んでお手伝いさせていただくことにする。
- 3月17日
4月末締切のパソコン通信入門書の原稿を催促するメールが届いてドッキリ。これは編集者が締切を3月末と勘違いしていたのが原因と判明し、ホッ。途中まで渡した小説の原稿の感想が編集者から届く。「面白いから早く続きを。でも、急ぎすぎて飛ばさないように」という複雑な内容。後者に甘えて書きかけのパソコン通信入門書の原稿の続きも開始。
- 3月18日
『OLTJ』のイラストを送信。80年代前半の秋葉原のパソコンショップ店内の様子を撮影した写真をスキャナーで取り込み、マンガのカットとコラージュ。
夕方、車で新宿のヨドバシカメラにシュレッダーを買いにいく。会社の古い帳簿やレースシーズンが始まって山になっているFAXの束を始末するため。ついでにNSビル1Fのマクドナルドでハンバーガーを食べながら、読みかけだった『孤愁の岸』(杉本苑子)を読了。関ヶ原もそうだし、この小説で扱われている宝暦の治水工事(木曽川・長良川など)もそうだし、明治維新は薩摩の徳川幕府に対する積年の恨みでもあったんだろうなあ。帰宅後、『踊る大走査線』最終回を見たあと、NHK総合の『堂々日本史』にチャンネルを合わせたら、こちらでも薩摩の倒幕運動のことをやっていた。
『孤愁の岸』(や同じ杉本苑子さんの『玉川兄弟』、大久保彦左衛門の『三河物語』など)を読んでいるのは、将来、江戸時代初期に行われた富士川の治水工事のことを書きたいと思っているため。この工事を手がけた代官の墓は、菅谷家の墓のすぐ横にある。三代将軍家光と、その弟の駿河大納言忠長の政争を背景にすると物語が膨らみそうだと、コツコツ史料や資料を読んでいるところ。
- 3月19日
『週刊小説』連載コラムを書いてFAXで送信。短いコラムだが1本終わると一仕事終えた気分になってしまっていけない。
- 3月20日
今日は春分の日。Webサーフィンをしていたら『ゲームセンターあらし』の作品リストを発見。リストの作者は京大大学院の学生さんらしい。作者本人もまったく記憶していない作品まできっちりと網羅されている。ありがとうございます。
睡眠不足で目の不調が続いている。NHKスペシャルの『街道をゆく』を楽しみに待っていたのに途中で居眠り。
- 97年3月21日〜31日
- 3月21日
似顔絵ギャラリーで今野敏さんの名前を間違えていた。ご本人に指摘されてあわてて訂正。ごめんなさい。
『週刊小説』のイラストを描いてFAXモデムで送信。ハーフトーンがボケるので、完全モノクロにする。
- 3月22日
喫茶店を2軒ハシゴして原稿書き。パソコン通信の本の原稿にバッテリー2本、小説にバッテリー1本を使用。充電が大変だ。
- 3月23日
再び喫茶店に出撃。上に同じ。
- 3月24日
上石神井のNTTドコモ営業所に出かけ、デジタル携帯電話を交換。こんどのはNEC-N201ハイパー。だいぶ軽くなった。
- 3月25日
ひたすら原稿の追い上げ。
- 3月26日
明日の甥の結婚式のため、車で母親と郷里の富士市へ。同級生が経営している大衆酒場でビールを飲み、一眠りしてからホテルで仕事。
- 3月27日
結婚式、披露宴の後、車で帰宅。東名を降りてから道が大渋滞。疲れた。
- 3月28日
夕方から女性翻訳家&コラムニストのJさんのお宅に、女性翻訳家のNさん、男性カメラマン&ライターのNさんと共にお招きを受け、夕食をご馳走になる。Jさんのご主人とはパソコン通信でJさんよりも古くから知り合っていたのに、ついにこの夜、10年目にして初対面を果たす。
深夜に帰宅後、やっとつながるようになったF1情報ネットワークから、F1ブラジルGPの情報を引き出して翻訳。寝たのは午前5時。
- 3月29日
昼前に起床し、「ふたりっ子」を見たあと、また睡眠。午後3時に起きると居間は長女の友達の女子高校生に占領されていて居場所がない。しかたがないのでノートPCを持ってファミレスに出かけ、バッテリー2本分の原稿を書いてから帰宅。深夜はF1ブラジルGP情報を追跡。『剣客商売』の文庫新刊を読みかけて寝る。
- 3月30日
起き抜けに『剣客商売』読了。このシリーズも残り1冊というのが悲しい。夕方、CDラジカセを買いにディスカウントショップへ。消費税値上げ直前とあって店内は大混雑。夜はF1ブラジルGPを追跡。
日本でも鈴鹿でGT選手権レースが開幕。もうひとつのホームページに結果を入れる。
この数日、コンピュサーブのWebサーバーが不調で、ホームページの更新ができない。果たして今日は、うまくいくか? これが読めたら、うまくいった証拠です。
- 3月31日
ブラジルGPボケで仕事が遅れ、これではいけないと喫茶店に出動。西武新宿線駅前の喫茶店をハシゴし、3軒目の野方駅前の喫茶店で3本目のバッテリーがアウト。かなり原稿が進んだので、磐紀一郎さんを誘って高円寺でカラオケ。
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