その日暮らし日記へもどる
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1997年6月中旬の日記
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97年6月11日〜20日
6月11日
『週刊小説』連載のパソコンコラムを書いてFAXで送信。ビジーが続くので再送信を設定し、夕食を食べてからパソコンの前に戻ったら、送信完了になっていたのだが、実は届いていなかったことが判明。どこに消えたのだろう?
夜、『F1速報』フランスGP号から再開されるF1レース小説『龍の伝説』第3部1回目に取りかかる。深夜になってからルマン24時間レースの予選1日目の経過を追う。
6月12日
ルマン24時間レースの予選を追って結局徹夜。昼前になってからパジャマに着替え、寝る準備。今日はJ社の創業100年記念パーティーがあるので夕方には起きなくてはいけない……と思って招待状を確認すると、このパーティーのスタートは午前11時半。もう開始時刻が過ぎているではないか。出版関係のパーティーといえば夕方スタートが当たり前、という先入観で、開始時刻を確認していなかったのが悪かった。しかたないのでフテ寝する。
夕方に起きて原稿のつづき。深夜はルマン24時間レース予選2日目の追跡。日本勢は全員/全車、予選を通過したようだ。
6月13日
『週刊小説』のイラストを描いて送信。少し前まではPaint Shop Proも併用していたけど、最近はPhotoShopだけでイラストが描けるようになった。
夕方からプールに出かけ800メートルほど泳ぎ、帰宅後はF1カナダGPの1日目を追跡。
6月14日
昼間のうちに原稿を進め、夜はルマン24時間レースとカナダGP予選の追跡。インターネット経由でフランスのレースジャーナリスト専門ネット、ミニテル、CompuServeをフル活用。
6月15日
明け方、ニフティサーブのレース速報をSysOpと交代し、仮眠をとる。午後に起床するもニフティサーブのメールとフォーラムのコメント書きで、あっというまに2時間が経過。午後7時からルマン24時間レースと、引き続き行われたF1カナダGPをニフティサーブで速報。カナダGPはパニス選手のクラッシュで赤旗中断。両足骨折とのこと。負傷の状況がわかるまで、テレビ朝日でナマ中継していたゴルフのUSオープンを見ながら原稿書き。眠気に負けて午前8時にダウン。
6月16日
睡眠3時間ほどで起床し、残っていた『F1速報』連載小説の続きにかかる。2時間もあれば終わると思っていたのに、週末の無理がたたったのか頭と目がボンヤリ。身体もダルくて椅子の上でうたた寝。原稿枚数がオーバーしているのを詰めながらの作業だが、カット&ペーストのミスも頻発し、こりゃダメだと寝てしまう。
6月17日
再び3時間だけ寝て原稿を完成させる。メールで送信したあとで寝直そうと思ったが、気分がハイになっていて寝つけず。水泳に行こうかと思ったが睡眠不足では危ないので、高円寺に出かけ、磐紀一郎さんを引っぱり出して小料理屋へ。そこで頼んだマグロの刺身を食べていると、硬い筋に歯が当たったとたん歯茎に激痛が。歯茎が痛んできているらしい。
6月18日
昨夜の寝酒がきいて今日は久しぶりに睡眠をとることができた。今週は外出の用が詰まっているので、今日のうちにと水泳に行く。50メートルの最高タイムは37秒。またも全身筋肉痛。
6月19日
講談社から発行されている『週刊・日録20世紀』の取材を受ける。1979年の号にブームとなったスペースインベーダーの記事を載せるそうで、その記事のなかで『ゲームセンターあらし』についても触れるらしい。最近、こんな取材が多い。
帰途、書店に寄り『日録20世紀』の1969年号を購入。ぼくが漫画家目指して上京してきた年の号である。帰宅後『OLTJ』のイラストを描いて送信。保管している携帯パソコンをデジタルカメラで写真に撮り、その写真にイラストを組み合わせる。
6月20日
台風通過後、新宿ヒルトンへ。永井豪さんの漫画家生活30周年記念パーティーに出席。久しぶりに会う編集者も多く、昔話に花が咲く。