1996年11月の日記
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1996年11月の日記
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- 96年11月1日〜11月10日
- 11月1日
終日原稿。某小説誌からエッセイの依頼。『サラリーマンのためのパソコン入門講座〈殺人篇〉』を読んで面白かったので……とのこと。
- 11月2日
終日原稿。
- 11月3日
終日原稿。変化なし。
- 11月4日
昼間のうちにミステリーの原稿を書き、深夜からファミリーレストランで『まんが一太郎7入門』のネームの手直し。明け方にできあがったネームを約150枚、学研の編集部にFAXで送信するも、量が多すぎて途中で紙切れ。
- 11月5日
3時間の睡眠で起床し、FAXの残りを送信したあと、ホテル・オークラで開催された「インディカーレース日本開催」の記者会見へ。その後でホンダのインディカー3大タイトル獲得記念パーティーに出席した後、レース・ジャーナリストのO氏とレース情報を交換しながら食事。
- 11月6日
ひたすら『まんが一太郎7入門』とミステリーの二直体制で仕事。
- 11月7日
連休があったせいで曜日を勘違いし、『週刊小説』連載コラムの締切を遅らせてしまった。起き抜けにあわてて原稿を書いてFAXモデムから送信。そのあとで別の月刊小説誌から依頼されたエッセイを書き上げ、電子メールで送信。
- 11月8日
『週刊小説』のコラムにつけるイラストを描いてFAXモデムで送信し、大手町の日経本社で開かれた日経・生活家庭部の寄稿家懇親会に参加。生活家庭面は、もともとが婦人面だったせいか寄稿家も女性が多い。
- 11月9日
鈴鹿で開かれているITC鈴鹿のリポートを翻訳し、ニフティサーブ・オートレーシング情報フォーラム(FMOTOR4)へ。FIAが統括するレースのため、鈴鹿からのニフティサーブへの結果速報等がなく、コンピュサーブ・モータースポーツ・フォーラムのスイス在住スタッフが送ってくれたリポートを元にする。鈴鹿〜スイス〜アメリカ(コンピュサーブ)経由で鈴鹿のレースの情報を手に入れていることになる。
- 11月10日
昼間は仕事に専念し、あとは昨日に同じ。
- 96年11月11日〜20日
- 11月11日
差し迫ってきた『まんが一太郎7入門』のネームで喫茶店、ファミリーレストランを巡回。『龍の伝説』第一部の単行本は、かなり出足がいいらしい。
- 11月12日
『龍の伝説』の贈呈本用のハードケースを買いに池袋へ。近所では見かけなかった『龍の伝説』が、池袋西武デパート地下のリブロには平積みになっていた。ただし、置いてあったのは「車・バイク」のコーナー。隣には『全開‐ナイジェル・マンセル自伝』がある。この本、すでに読んだが、非常に面白い。帰宅後、本の発送準備をすませ、深夜にデニーズに出勤して『まんが一太郎7入門』のネームを完了。しかし、まだ画面のキャプチャー作業が残っている。これでまた目がおかしくなりそうだ。
- 11月13日
『龍の伝説』第2部の第17回目原稿にかかる。週末は外出が続くため必死に原稿書き。
- 11月14日
睡眠2時間で午前中に起床して秋葉原でニューヨークから来日したアメリカ人の友人と待ち合わせ。秋葉原駅デパートの中の寿司屋で昼食を共にし、買い物につきあう。彼は、うちの娘たちへのお土産にと、今年ワールドシリーズを制したニューヨーク・ヤンキースの野球帽(ワールドシリーズ制覇記念特別限定版)を持ってきてくれた。
帰宅途中に高田馬場の芳林堂に寄り、ずっと探していた『電力の歴史』(平凡社、7800円)を発見。次回作の資料として貴重な存在になりそう。帰宅してニフティサーブにアクセスすると、明日の朝までの締切で原稿を書いてほしいというメチャクチャな依頼が届いている。そのメールを読んだばかりのところに電話があって、連載小説の締切が切羽詰まっている状態なので断ると、電話で話した内容をコメントにするという。勝手にしてくれと思って電話を切り、『龍の伝説』の続き。クライマックスなので時間がかかり、明け方に原稿をあげ、ニフティサーブから送信しようとすると、先ほどの某誌の編集者からメールが入っており、やはりメールで早急にコメントが欲しいという。この雑誌を出している大手出版社とは25年ほどおつきあいしているが、こちらの都合も考えないメチャクチャな依頼は初めてだと断りの返事を送る。外部のスタッフだということはわかっているんだが、少なくとも出版社のほうの編集者だったら、こんなひどい原稿依頼のしかたはしないはずだ。そのまま徹夜で『まんが一太郎7入門』の画面キャプチャーにかかる。
- 11月15日
3時間ほど寝て原稿を受信してもらえたかどうかを確認するためにニフティサーブにアクセスすると、昨日と同じ出版社から発行されている別の雑誌の編集者から電話取材申し込みの依頼がメールで届いている。週末は外出してしまうので、それでかまわなければ……と返事する。別に仕事をより好みしているわけではなく、この週末は外出の予定に加え、雑誌、単行本の締切が重なっていて、「明日の朝までに」……などというムチャな原稿の依頼は、逆立ちしてもできない状態だったのだ(でも、バカにしてる……と思ったのも事実。まだ腹が立っている)。
夕方から楽しみにしていた高校の首都圏在住者の学年同窓会。男女合計21人が出席し、昔話に花を咲かせる。3次会の後で解散したが、先日の衆議院議員選挙で3回目の落選をした金融のプロでもあるS君に、国際金融、政治の話などを聞きながら、ラーメンを食べて帰宅。
- 11月16日
睡眠不足が続いて身体がキツいのに、昼前に起きてアメリカからコンピュサーブ経由で届いていた大量のバイナリーメールをダウンロード。来週末のNASCAR鈴鹿サンダースペシャル100レースに出場するチームから送られてきた出場ドライバーのデジタル・フォト。4枚あったが1枚はサイズが大きすぎて開けなかった。これをニフティサーブのオートレーシング情報フォーラムに登録しようと思ったが、母の喜寿の祝いで伊豆に出かける時間が迫ったために断念。家族4人を車に乗せ、東名〜小田原厚木道路経由で東伊豆の河津温泉へ。途中、小田原〜熱海間で渋滞にはまり、5時間以上かかってしまう。温泉につかる暇もなく宿で待っていた郷里の親戚たちとの宴会に突入。宴会後に温泉に入り、同宿の別のお客さんが持参していた日本各地の名酒のご相伴にあずかってから部屋に戻り、倒れるようにして布団に潜り込む。
- 11月17日
宿をチェックアウト後、亀族園、ループ橋、いのしし村経由で伊豆スカイライン、箱根ターンパイク、小田原厚木道路、東名を経由して帰宅。お茶を飲んでいると一昨日、取材のあった編集者から電話。こちらはきちんとした方で、長い電話取材を受ける。途中、帰宅した家族があちこちの部屋で一斉に暖房を入れたため、ブレーカーが落ちて停電に。原稿を書いている途中でなくてよかった。
- 11月18日
ニフティサーブのオートレーシング情報フォーラムにNASCARの写真をアップロードした後、『龍の伝説』の献本分を発送しに郵便局へ。郵便局員が「料金別納」と「料金後納」のスタンプを間違えて渡してくれたため、45冊分のスタンプ押しをやり直すハメになる。ドライブ疲れで足腰が痛く、目も霞む。これじゃパソコンの画面キャプチャーは無理だ……とにかくグッスリ寝ることにしよう。
- 11月19日
『OLTJ』のイラストをあげてニフティサーブのメールで送信。『龍の伝説』の連載原稿に手を入れて再送信。
- 11月20日
『週刊小説』のコラムを仕上げて、四谷にあるメキシコ料理店の開店一周年パーティーに出席。高円寺に回って深夜帰宅。
- 96年11月21日〜31日
- 11月21日
『週刊小説』のイラストを送信して午後3時過ぎに家を出発し、午後4時56分の「のぞみ」で名古屋へ。名古屋から近鉄特急に乗り換えて津へ。ニフティサーブ・オートレーシング・フォーラムのメンバーの家に泊めてもらう。明日から鈴鹿サーキットで開催される「NASCAR鈴鹿サンダースペシャル100」をコンピュサーブ・モータースポーツ・フォーラムのために中継するため鈴鹿市内にホテルを予約したのだが、木曜日はどこも満杯で予約できず、ニフティサーブ・メンバーの家にやっかいになる。
- 11月22日
津新町から白子まで急行電車に乗り、白子からはタクシーでサーキットへ。アメリカで大人気のNASCARストックカーレースが、どれくらい日本で受け入れられるか興味津々。鈴鹿サーキットでは、コンピュサーブやインターネットで連絡を取っていたチームの人たちと会い、コンピュサーブへの接続方法などをアドバイス。
プレスルームでは、ノートパソコンとデジタル携帯電話でコンピュサーブにリポートを送信。もちろん英語なので神経的な疲労が激しい。夜はウェルカム・パーティーに出席した後、鈴鹿サーキットの役員さんにお酒をごちそうになる。
- 11月23日
白子駅前のビジネスホテルからサーキットに出勤。予選の模様を詳細にリポートし、コンピュサーブのメンバーから喜ばれる。鈴鹿で走っているドライバーの兄弟からも激励のメールが届いた。予選後は、今年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得したドライバーに単独インタビュー。その内容は、ニフティサーブに翻訳して掲載する予定だが、将来書きたいと思っているストックカーレースを題材にした小説の取材も兼ねているつもり。
夜はニフティサーブ・オートレーシング・フォーラムのメンバーたちと鈴鹿でレースがあるたびに行われる恒例の宴会をした後、ホテルに戻る。
- 11月24日
今日のレースは午後からなので、白子駅の喫茶店でモーニングサービスの朝食をとり、ここで一緒になったスポーツ紙の記者さんとタクシーでサーキットへ。プレスルームでは『灼熱の走路』でもお世話になった松田秀士選手から、インディ500やF3000レースでのクラッシュの話を聞く。決勝レースは50周×2回の計100周のレース。ベテランのアンディ・ウォーレスが優勝を決めた。
レース後は、連休で新幹線も混雑していることが予想されたため、もう一泊、白子駅前のホテルに泊まることにする……つもりで昨日のうちにホテルの予約を延長しておいた。白子駅まで松田選手をタクシーで送ってからホテルに戻る。近くの焼き肉店で生ビールを飲みながらセンマイの刺身、塩タン、カルビ、オイキムチ、クッパで夕食。満腹になったとたんに連日の睡眠不足の疲れがあふれ出たのか急激に眠くなり、ホテルに戻ってパタンキュー。
- 11月25日
早朝に起床してホテルの部屋からコンピュサーブにアクセス。たくさん届いていたメッセージにコメントをつけているうちにチェックアウトタイムが迫る。白子駅から近鉄特急、東海道新幹線「のぞみ」を利用して帰京。
- 11月26日
原稿に追われる。
- 11月27日
ミステリーの原稿をできているところまで出版社にFAXモデムで送信。
- 11月28日
終日外出。
- 11月29日
出版社から「この調子で残りも……」と返事をもらうが、自分で納得できなくなってしまったところがあり、書き直しをさせてほしいと依頼。設定を変更することになるので、すでに200枚書いた原稿を捨てることになるのだが……。来週、この件で打ち合わせすることにする。
- 11月30日
来週に予定されている講演のレジュメ作り。
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