1996年5月の日記
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5月31日
96年5月1日〜10日
5月1日
世間はゴールデンウィークの真っ盛り。こちらは関係なしに仕事。「日経」のコラムを電子メールで送信。パソコン通信ガイドブックの原稿を書く。
5月2日
「龍の伝説」第6回目にかかる。
5月3日
夕方、富士スピードウェイのGT選手権第2戦の予選結果をまとめてコンピュサーブとホームページへ。深夜「龍の伝説」第6回を上げてメールで送信。そのままF1サンマリノGPのリリースの翻訳。
5月4日
左顎が痛くて目が覚める。顎の蝶番がカクカクして痛む。疲れのせいで歯茎が腫れてしまっているみたいだ。ゴールデンウィーク中の唯一の家族サービス。クルマで新宿に行き、家族だけ映画「陽の当たる教室」を見にいく。こちらはひとり喫茶店でパソコン通信ガイドブックの原稿。紀伊国屋前で映画を見終えた家族と待ち合わせてインド料理のレストランへ。家族で食事というと子供たちのリクエストでインド料理ばっかし。帰宅後、サンマリノGPのニュースとリリースの翻訳。合間に富士のGT選手権第2戦の結果をコンピュサーブとホームページへ。仕事が進まないが、目と歯茎の調子が悪いので、痛み止めを飲んで寝てしまう。
5月5日
まだ顎が不調。年のせいかな? パソコン通信本に専念。
5月6日
今日もパソコン通信本に専念。
5月7日
パソコン通信本の原稿を途中まで送信。再びパソコン通信本の原稿に。「F1速報」連載「龍の伝説」の初校チェックが届く。
5月8日
パソコン通信本を中断して「週刊小説」連載「パソコン言葉ちんぷんかんぷん」第5回目の原稿。今回のテーマは「キーボード」。
5月9日
ニフティサーブの雑誌「OLTJ」連載「ただいまアクセス中!」の原稿を書いて送る。
5月10日
「週刊小説」のイラスト、日経連載「パソコンワールドを歩く」の原稿、「F1速報」の直しを送る。夜、ちょっと息抜きにソバ屋へ……の予定が書店とスナックに寄り道して帰宅は深夜。個人情報(プライバシー)関連の本を朝まで読みふける。
96年5月11日〜20日
5月11日
その合間にMINEサーキットのフォーミュラ・ニッポンの予選結果を送信。「龍の伝説」のゲラがFAXで届く。MAC入稿だからレイアウトも早い。赤を入れてFAXで戻す。朝までインディ500とインディカーシリーズUS500の予選を追う。今年のインディ500は、なんだか大事故が起きそうで恐い。高速タービュランス(乱気流)の経験が少ないドライバーが多いから……。パソコン通信本の続きを再開。
5月12日
肩が凝ってしかたないので散歩がわりに書店へ。喫茶店で買ったばかりの本(「汚名」杉本苑子)を読みながら一休みしているうちに激しい夕立。傘もないので雨がやむのを待つが、さっぱりやみそうにない。しかたないのでズブ濡れになって帰宅。おかげでMINEサーキットのフォーミュラ・ニッポンのレース結果をニフティサーブにアップするのが遅れる。下着まで濡れて風邪を引いたみたいだ。ハクション。MINEではミハエル・シューマッハーの弟、ラルフが優勝。予選8位から序盤でトップに立ってしまうんだから、たいしたもの。朝までパソコン通信本に専念。
5月13日
「日経」のイラストを描いていたら、出版社から、仕事を手伝ってくれいている元アシスタントのマンガ家が行方不明との連絡。原稿をFAXで依頼してあるのに連絡がつかないとのことで、近所に住むマンガ家にアパートに様子を見にいってもらう。幸い(?)にして不在だったが、もう2週間以上も連絡がつかないらしい。実家の住所と商売がわかっていたのでニフティサーブからNTTタウンページにアクセスし、電話番号を見つけて電話をかけるも連絡がつかず。このドタバタで半日以上仕事が遅れ、夜中から、あわててパソコン通信本に復帰。
5月14日
夕方、パソコン通信本の文字原稿があがる。あとは今週中に通信画面のキャプチャー。これがいちばん目に堪える。
5月15日
「北陸情報通信月間96」という催しで講演をするため金沢へ。Netscapeをプレゼン用ソフトに使うため、その資料作りでほぼ徹夜のまま羽田へ向かい、午後3時20分のANA機で小松へ。小松から金沢までは直通のバス。講演会場でもある駅前の日航ホテル金沢にチェックイン。部屋にはFAX用のモジュラーがあるが、フロントに頼まないと回線がオープンしない仕組み。フロントに電話して金沢のFENICS-ROAD4のアクセスポイント経由でニフティサーブとコンピュサーブのメールをチェック。ニフティサーブのメールは原稿の催促。コンピュサーブのメールはインディカードライバーのジェフ・クロスノフから。日本のレース雑誌の購読法を教えてくれという依頼なので、その雑誌の編集者のIDを教えてあげる。
金沢の街を散策に出かけ、香林坊、片町などを散歩し、ホテル近くのステーキ屋さんで食事。肉が旨くてサーロイン160グラム、フィレを150グラムも食べてしまう。睡眠不足の身体にビールがきいて、ホテルに戻ると、午後9時だというのに、そのままベッドにバタンギュー。
5月16日
午前4時に目が覚めてしまう。国内旅行で時差ボケだ。寝直そうと思ってビールにカンパリソーダを飲むがダメ。面倒なのでシャワーを浴びて起きることにする。パソコンで講演用の資料のチェックと原稿を少々。持参したパナソニック・プロノート・ミニは、買ってから半年も経っていないのに、液晶に黒い筋が入ってしまった。東京に戻ったら修理に出そう。
野菜サラダにハッシュ・ド・ポテトの朝食をすませ、講演会場でパソコンをスクリーンに投射するためのプロジェクターとの接続試験。無事終了して昼食の後、2人目の講師として講演。会場には、今夜の宿を提供いただいた作家の谷甲州さんの姿も。こちらの講演の番が来たが、知り合いがいると、ちょっと恥ずかしい。パソコンの画面をスクリーンに投影する関係で場内が暗いため、それが救いとなる。
講演終了後、谷さんのクルマで谷さんのお宅のある小松市へ。小松では恒例の曳山祭りの最終日。江戸時代から続く伝統の子供歌舞伎を見物。子供の歌舞伎というので学芸会の延長みたいなものかと思っていたら、どっこい、これが本格的な歌舞伎。サワリの場面では、目頭がウルウルと情けない状態になった。
歌舞伎の後は谷さんのお宅で酒盛り。新田次郎文学賞受賞のお祝いに届いていたお酒のご相伴に預かり、深夜にパタンキュー。F1モナコGP1日目の確認もせずに朝までグッスリで、実に健康的。
5月17日
目が覚めたのは午前9時過ぎ。谷さんに東尋坊に連れていっていただく。いちど谷さんのお宅に戻って昼食をご馳走になった後、小松空港まで送ってもらって午後3時20分のANA機で羽田へ。
途中、高齋正さんのお宅に小松で買った甘海老を届けて帰宅。高齋さんには先日、カツオをいただいたばかりなので、そのお返し。家に帰り、ニフティサーブにアクセスすると、仕事の依頼や打ち合わせの連絡のメールがドッサリ。急ぎの返事だけ書いて、締切を伸ばしてもらっている「F1速報」の連載小説にかかる。
5月18日
寝たのが午前4時過ぎだったのに、7時前に目が覚めてしまう。国内旅行の影響による時差ボケだ。ちょっとだけと思ってコンピュサーブにアクセスすると、インディ500の公開練習で死亡事故が発生している。死んだのはスコット・ブレイトンというベテラン。「灼熱の走路」というインディカーをテーマにしたレース小説を書いたおかげで、今年は、あちこちからインディ500を観戦しないかとの声がかかってきたが、「今年は死人が出そうだから、行かない」と断っていた。
今年はインディカーシリーズがCARTと新興のIRLの2つに分裂し、インディ500はIRLの1戦となったが、参加選手の大半は、インディカーの経験も浅く、しかも時速400キロ近くにも達するスーパースピードウェイの経験のないドライバーばかり。練習走行と予選でのクラッシュは2件だけで怪我人がなし。クラッシュの数は例年に比べる極端に少なかったが、コースの改修のせいでスピードが上がっており、しかも使用されるマシンの多くが古いものとあって、ちょっと不気味な状態で、大きな事故が起きなければいいのに……と思っていた矢先のできごとでもあった。33台が一緒に走る決勝レースでは、タービュランス(乱気流)も発生するため、経験のないドライバーがまともに走れるかどうか……。レースでは、マシンの安全性を高め、スピードも抑えるようにしている時代に逆行するスピードウェイとIRL(USAC)のやり方が間違っているとしか思えない。
インディの事故のことをニフティサーブのFMOTOR4に掲載するなどしていて結局寝そびれ、午後、日経のエッセイをあげてニフティサーブ経由で送信すると、「F1速報」の原稿を書きながらモナコGP予選のニュース、リリース翻訳の待機。午前1時20分からのフジテレビのF1モナコGP予選中継を見て、NHK衛星第一放送でインディカー第5戦の録画を見てしまう。寝たのは午前6時だった。
5月19日
F1モナコGP決勝レースは雨で大波乱。深夜、決勝結果をニフティサーブに掲載したあと、遅れている「F1速報」連載「龍の伝説」にかかる。
5月20日
徹夜状態で、なんとか「龍の伝説」第7回目の原稿を送り、仮眠した後で「日経」と「OLTJ」のイラストを描いて送信。
96年5月21日〜30日
5月21日
日本推理作家協会へ通信関係のことで出かける。今野敏、大石英司、大森望の各氏と打ち合わせ。インターネットの世界で有名な大森望氏とは、これが初対面。
打ち合わせ後、家に駆け戻ってパソコン通信本の画面キャプチャーを終らせる。
5月22日
某出版社の小説部門編集長が、これからとりミステリーの件で挨拶に見える。そのあとで「週刊小説」の連載コラムをあげてFAXモデムで送信。
5月23日
「龍の伝説」の初校チェック。「日経」のイラストで、模様の部分が飛んでしまうというので手直ししたものを送信。さらに「週刊小説」連載コラムにつけるイラストもあげ、さらに次回の「日経」のエッセイも書いて送る。
5月24日
終日、モータースポーツ用ホームページの手直し。Tableタグを初めて使ってみる。この英語で日本のモータースポーツの結果や情報を伝えるホームページだが、海外から問い合わせや催促がしきりにくる。コンピュサーブ・モータースポーツ・フォーラムのホームページやイタリアのレース情報ホームページからのリンクをたどってくる人が多いようだ。日本のレースには多数の外国人ドライバーが参加しているため、日本のレースの結果を気にしている海外のレースファンも多いらしい。
5月25日
午前5時に寝て、7時に起床。西武池袋線、地下鉄有楽町線、JR京葉線を乗り継いで海浜幕張まで出かけ、いま首都圏で人気のベイFMが放送する「TRAMPIO MOVING PLEASURE」の生番組に出演。帰途、神保町で資料を探す予定だったが新木場から地下鉄有楽町線に乗ったとたんにパタンキュー。目が覚めたら池袋も通過して千川駅に到着するところだった。しかたないので大泉学園の書店で資料を探す。とりあえず半分は確保できた。
5月26日
昨日が寝不足で早く寝てしまったため、朝7時に目が覚めてしまう。今日は深夜0時25分からTBSでインディ500の生中継。その途中でフジテレビのフォーミュラ・ニッポン第3戦の録画中継。午前3時からはスポーツiでもう一つのインディカーレースUS500の生中継。徹夜には耐えられそうにないので、夕方2時間ほど昼寝して体力を温存する。
インディ500は最後の最後に大きなクラッシュがあったが、幸いにして、それ以外に大事故はなし。出場しているドライバー、チームの大半が、悪い言葉を承知でいえばポンコツなので、その分、今年3回目の出場で、しかも練習もろくにできないまま出場した松田秀士選手のステーブルなレース運びが光る。松田選手、8位入賞おめでとう!
US500は1周目に13台が巻き込まれる大クラッシュ。これで怪我人が出ないのは、ドライバーとチーム力のおかげだろう。スペアカーも持つチームが多いため、予選2位だったフェルナンデスを除いた残り全ドライバーが1時間後の再レースに出場。午前7時近くまでレースを見ていたが、クロスノフ選手がリタイアし、インタビューを受けているところで眠けに負けて、こちらもリタイア。
5月27日
さあ書き下ろしミステリーに専念だ……のつもりだったが誘惑に負けて高円寺へ。漫画家の長井のりあきさん(「がんばれキッカーズ」の作者)と明け方までスナックで飲む。
5月28日
さあ、今日から気合を入れて書き下ろしミステリーに専念だ……のつもりだったが、谷甲州さんの新田次郎文学賞授賞式の後の二次会用の案内チラシや会費の領収証作りに専念してしまう。二次会場に貼り出す目印のチラシは、どうもお葬式の案内みたい。なんとかせねばいけない。
5月29日
谷甲州さんの授賞式の案内チラシは、受賞決定の瞬間に谷さんの仕事場に居合わせたニフティサーブ「本と雑誌フォーラム」のSysOp江下雅之さんがデジタルカメラで撮影していた谷さんの受賞直後の写真を使って作り直すことにする。江下さんは、漫画家の水樹和佳さんが提供してくれた新刊の「イティハーサ」第12巻カバーイラストに谷さんの写真を組み合わせたデジタル画像を送ってくれた。これをページメーカーに取り込んでレーザープリンターで印刷。
某社から依頼されている書き下ろしサスペンス小説の参考にするため、ニフティサーブとコンピュサーブのデータベース、そしてホームページで資料を探す。さらにコンピュサーブのタイムワーナー・クライム・フォーラムにも入る。おかげで、いろいろ興味深いデータが手に入った。それをもとに以前から構成していたストーリーを補強し、FAXで出版社に送信。
5月30日
明け方、コンピュサーブ・モータースポーツ・フォーラムのメンバーから、インディ500で活躍した松田選手のプロフィールを教えてほしいと依頼され、資料を漁りながらコメントを作成していたら、つい徹夜に。仮眠したあと、あわてて「F1速報」連載の「龍の伝説」にかかる。「龍の伝説」の第1部「黎明篇」も、連載分に大幅書き足しして、秋にハードカバーの単行本として出版されることも決定。
昨日FAXで送ったサスペンス小説も面白そうとのことでゴーサインが出る。それもなるべく早くとのことだが、取りかかれるのは7月になってからになりそうだ。
5月31日
午前5時現在、「龍の伝説」は、まだ上がらず。1回25枚の原稿だが、とうに30枚を超えている。削りの作業に時間がかかる……。これが終わったら午後まで寝て、それから谷甲州さんの新田次郎文学賞授賞式に突撃だ。うう、眠い〜。こんなことをしているときではないのに……。顔を洗ってシャッキリしよう。
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