1996年12月の日記
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1996年12月の日記
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- 96年12月1日〜12月10日
- 12月1日
目の調子が悪いのをガマンして、家族と一緒に車で近くにオープンしたディスカウントショップにパソコン用スキャナーを買いにいく。帰りに焼き肉屋で食事。センマイの刺身がないのはO-157の後遺症か……。
- 12月2日
スキャナーを置くスペースがない。しかたないので仕事場の大掃除を始める。床にまで積み上げてある本の整理から開始。当座必要な資料以外は物置に押し込むことにする。とりあえず400冊ほど荷造り。腰が痛い(;_;)。
- 12月3日
東京会館でF1リジェ・無限ホンダ・チームのドライバー発表会。中野信治選手が日本人5人目のフルタイムF1ドライバーになる。これでF1が再び盛り上がって『龍の伝説』が売れてくれたら嬉しいのに(^_^;)。
発表会の後、東京会館のティールームで編集者と会い、200枚近くまで進んでいたサスペンス小説の原稿をボツにさせてもらう。似た内容の作品が次々と登場していて、このまま書いても、なんだか流行を追いかけたような印象で終わりそうなため。新しい設定を見せると、こちらのほうが面白いとのことで、書きかけの原稿をボツにすることが決定。
- 12月4日
『週刊小説』連載コラム『パソコン言葉ちんぷんかんぷん』を書いて送る。そのあと、また本の整理。年内に終わるだろうか?
- 12月5日
鈴鹿サーキット東京本社に出かけ、待ち合わせしていた役員のS氏と合流。四谷で食事。
- 12月6日
都内某所で朝から講演。パソコン通信とインターネットの違いについて。眠い。帰宅後『週刊小説』のイラストを描いて送信。
- 12月7日
豊田有恒氏邸で毎年開催されるキムチパーティーに参加。今年は推理作家の斎藤純さんが初参加し麻雀を囲む。田中光二さん、漫画家・高信太郎さん、磐紀一郎さんらと対戦したがコテンパンにやられる。パソコンの麻雀ゲームでは無敵なのに(;_;)。お土産にもらったキムチがあまり美味しくて、キムチばかり食べていたら体臭からウン○までキムチの臭いに染まってしまった。
- 12月8日
散乱した仕事場の整理。ようやくスキャナーを置くスペースができた。読んだ小説はすべて物置へ。雑誌と資料用でない実用書のたぐいはチリ紙交換へ。書棚も「進行中の資料」「これからの作品に必要な資料」の順に整理。戦国時代と江戸時代の資料ばかりってのは、どういうわけだ。
- 12月9日
ようやくスキャナーを設置。SCSIの設定も簡単にできたが、突然、通信ができなくなる。Windows95の設定をあれこれチェックするが、原因不明。3時間以上も悪戦苦闘した挙げ句に、モデムに接続してあるRC-232C分配機のスイッチがOFFになっていたのが判明。スキャナーを設置するときにスイッチに触ってしまったらしい。疲れてしまって「OLTJ」のイラストは明日の早朝にまわすことにする。ごめんなさい、Kさん。
- 12月10日
「OLTJ」のイラストをあげて送信。スキャナーを買ったもので、それで昔の本の表紙をスキャンしてみたのでありますが……解像度の問題など覚えないといけないことが多くて大変。スキャナーはイラストの取り込みよりもOCRとしてのほうが仕事の役に立ちそうだ。
- 96年12月11日〜20日
- 12月11日
年末進行の『週刊小説』の原稿をあげる……が、FAXモデムで送信を指定したまま席をはずしたら、ビジーか何かで送信できなかったらしい。それに気づかずパソコンの電源を落としてしまう……(;_;)。
- 12月12日
やっと仕事場も少しは片づいてきて(床や机の上が見えてきた)、遅れている『まんが一太郎7入門』の画面キャプチャーを再開。
- 12月13日
昼前に『週刊小説』の担当者から原稿が届いていないと催促の電話があり、一昨日、あげた原稿が送信されていなかったことが判明。ギリギリのため印刷所に送ることになる。午後、イラストをあげて送信。
- 12月14日
画面キャプチャー。
- 12月15日
画面キャプチャーをプリント。目の焦点が合わないので、長時間続けられない。
- 12月16日
スキャナーのオマケについてきたPhotoShopの簡易版でイラストのサイズをセンチ単位で簡単に変えることができることが判明。しかもプリンターの解像度に応じてファイルを変更できる。300dpiのプリンターの精度に合わせてモノクロ2値のファイルにしたものをPagePakerに取り込んでプリントすると、これまでのものより遙かに綺麗。すでにプリントしてあったものを全部プリントしなおす。あ〜、疲れた。
- 12月17日
画面キャプチャーの完成分を作画担当者にわたす。
- 12月18日
田口ランディさんの出版記念パーティーに出席するため渋谷へ。書店で『別冊文藝春秋』を買い、時代小説『青嵐の馬』(宮本昌孝)を読み始めると止まらない。渋谷には少し早く着いたので、ドゥトール・コーヒーに入って読み切ってしまう。
田口さんの初著作『忘れないよ! ヴェトナム』(ダイヤモンド社、1,300円)をいただく。家に帰ってパラパラとめくったつもりが、つい一気読み。おもしれ〜や、この本! 小さいからだからいつもパワーを炸裂させている田口さんの感性が炸裂している。
- 12月19日
終日、資料読み。
- 12月20日
昼過ぎ、新宿の高層ビルにある中華レストランで開かれた忘年会その1に出席。内容については太田忠司さんのホームページの日記のページでどうぞ(手抜き(^_^;))。
夜は中野で時代小説作家、磐紀一郎さんの忘年会。豊田有恒、高齋正、田中光二、宮本昌孝さんたちも出席。高円寺の二次会を途中で抜け出し、小学館の忘年謝恩会から流れてきた漫画家仲間の二次会に合流。タクシーがつかまらず、結局、朝帰り。
- 96年12月21日〜31日
- 12月21日
地震で目が覚めるが、再び寝直す。パソコンの画面キャプチャーをしないといけないのに、また睡眠不足で目が不調。蒸しタオルを目に当ててはパソコンに向かう。
- 12月22日
小説の資料を買い出しに新宿の紀伊国屋書店へ。15冊ほど本を購入し、喫茶店で読みながらメモを取る。
- 12月23日
小説のプロットをWZエディターのアウトライン機能を使いながら作成。シナリオ方式でシーンごとの箱書きを作る。
- 12月24日
内容が古くなってしまったので、版元にお願いして増刷をストップしてもらった「CompuServe徹底活用マニュアル」の改訂版(改訂3版)を書くことが決まる。CompuServeも新GUI通信ソフトのおかげで使いやすくなったし、インターネットとの垣根もなくなった。懸案だったインターネット経由の受信メールもPOP3で受信できる日も近い。
夜は久しぶりに自宅でクリスマスイブ。チキンとケーキとイカ徳利に入った日本酒の熱燗という、おかしな取り合わせ。
- 12月25日
昼間は小説、夜は画面キャプチャー取りの二直体制だが、目の調子が悪く、能率が悪い。思えば今年1年、すぐに目が疲れてしまって、仕事が進まなかったなあ……。ピントが合わず眉間に力ばかり入れているので、ついに眉間には縦筋が入ってしまった。おまけに眉間が痛い。
夜、高齋正さんに頼まれた年賀状の印刷。自分の年賀状はまだだ。
- 12月26日
『週刊小説』の連載コラムをあげる。学研のK編集長から催促の電話。目の調子が悪くて能率が上がらないと泣きつきながら症状を訴えると、あっさりと、「それは老眼です」と体験談を話してくれる。電話を切った後、意を決して眼鏡店へ出かける。子供の頃から視力は抜群だったが、遠視の傾向があった。両親とも同じで40歳すぎには老眼鏡のお世話になっていた。ぼくももう46歳だしなあ……。しかし、眼鏡屋さんなんてサングラスを買うときにしか出かけたことがない。おっかなびっくり検査を受けて、レンズの調整をしてもらうと、あれま、よく見えるではないの。やっぱり初期の老眼だとのこと。ものがダブって見えたのは乱視のせいということで、結局、眼鏡を作ってもらうことになった。
寝不足でなければ大したことはないのだけど……。眼鏡ができるのは29日。とりあえず仕事のときだけ使うことにしよう。目を疲れさせてはいけないのに、でも、眠気をこらえて、深夜「未知との遭遇」を見てしまう。
- 12月27日
小説の本番にかかる。キャプチャーも続行。ただし、連日テレビで放映されている警察モノ特番は、食後の休憩がわりと仕事の参考にと見逃していない。
- 12月28日
神奈川県大和市でニフティサーブのフォーラムメンバーと忘年会。深夜、女性会員の車で送ってもらう。
- 12月29日
眼鏡ができてくる。ノートパソコンでは調子がいいが、距離が離れているデスクトップ・パソコンでは、あまり関係ないようだ。
- 12月30日
やっと年賀状を印刷。
- 12月31日
喫茶店に行って原稿を書くが、午後6時閉店で追い出される。帰宅して大晦日恒例のスキヤキで夕食。久しぶりに紅白歌合戦を最後まで見る。
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