• 1996年1月の日記(目次)


    1月01日 1月02日 1月03日 1月04日 1月05日 1月06日 1月07日 1月08日 1月09日 1月10日
    1月11日 1月12日 1月13日 1月14日 1月15日 1月16日 1月17日 1月18日 1月19日 1月20日
    1月21日 1月22日 1月23日 1月24日 1月25日 1月26日 1月27日 1月28日 1月29日 1月30日 1月31日

    その日暮らし日記へもどる。


  • 96年1月1日〜10日
  • 1月1日(月)
     起きたら、もう暗くなっていた。酒を飲みながらテレビを見て寝なおす。
  • 1月2日(火)
     ニフティサーブのメンバーが遊びにくる。Avalonの作者の山川さんも一緒。暮れに
    お願いしてあったぼくの小説とマンガの本のカバーをスキャナーで取り込んだファイ
    ルを入れたフロッピーを受け取る。このフォーラムで、コンピュサーブでホームペー
    ジを開設した人たちの情報交換を読んでいるうちに、よし、こちらもと思いたったも
    の。
     SF作家の高齋正さんと長男、時代小説作家の磐紀一郎(石津嵐)さんも来て、
    お屠蘇と、母の手打ちのそばで新年会。
  • 1月3日(水)
     ホームページの作成開始。コンピュサーブでは「Home Page Wizard」というホーム
    ページ作成のための専用ソフトを配布しているが、これは日本語を表示できないとい
    うので、近所の書店で買ってきた「ホームページをつくろう!」というHTML文書の作
    り方の本を参考に、エディターでシコシコとマーク入りの文書を作ることにする。
     Windowsの画面に秀丸エディターとWinCIM付属のAIR-MOSAICを立ち上げておいて、エ
    ディターで書いた文書をMOSAICで読み込んでは確認しながらの作業。文字を大きくし
    たい、センタリングしたい、といった欲求が起きるたびに関連のページを開くという
    ドロナワ方式で、朝までかかって英語版のファイルを完成させる。
     画像は山川さんにスキャンしてもらった本の表紙3点のほかに、表紙用、ボタン用
    のものなどをペイントソフトで作成。容量が限定されているし、同じように14400bps
    くらいでアクセスする人のことを考えて、モノクロを多用する。背景の「ゲームセン
    ターあらし」のイラストなどは、マンガの原稿をコピーにとり、それをFAXマシンから
    パソコンのFAXモデムを経由して取り込んだもの。ペイントブラシに表示させ、消しゴ
    ムでゴミを消す作業が面倒だった。
  • 1月4日(木)
     3時間ほど寝て日本語のホームページ作成にかかる。昨日、苦労した分、今日は進
    行が早い。夜遅くになって何とか一通りファイル作成を終了。「Home Page Publisher
    Wizard」を使って登録する。ftpだとかいう面倒なファイル転送の知識も不要で、画面
    の質問に答えて名前や住所、国(これはリストボックスから選ぶようになっている。
    手で入れようとすると入らない。リストから選ばないとダメなようだ)などを入
    れ、「Next」をクリックしながらアップロードするファイルを指定すると、あとは勝
    手に登録してくれる。
     あっけないくらい簡単に登録が終わり、画面を見るかと尋ねられたので、それにO
    Kを出してMOSAICを起動すると、おお、出た! ホームページの表紙が見えた! ち
    ょっとした感動の一瞬。
     ところが、他の画面にリンクしたボタンをいくらクリックしても、該当ファイルが
    ないと怒られる。はてな? と思って「URL」を見ると、呼び出すファイルの拡張子が
    「.html」になっている。Windows3.1で作成したファイルのため、登録したファイルは、
    すべて拡張子が「.htm」と3文字だったのを思い出し、「URL」の最後の「l」を削っ
    てみると、おお、今度は見えた。MAC用のHTML文書作成法の本を読んだため、それをマ
    ネしてリンクするファイルの拡張子をすべて「.html」にしてしまってあったのだ。即
    座に通信を中止し、エディターで「.html」を「.htm」に一括変換する。複数のファイ
    ルで同じ変換をするときはVZエディターが便利。
     変更したファイルを再びアップロードすると、今度はリンクもうまくいき、他の画面
    も見られるようになった。ところが今度は、よそのサーバーのホームページにリンクを
    張った部分で該当なしになってしまった。よそのファイルでは拡張子が「.html」にな
    っているのに、これも一緒に「.htm」に変換してしまったのだ。再び、この部分を修正
    して再アップ。ようやく問題なくすべての画面が見られるようになったのは、またまた
    朝だった。
  • 1月5日(金)
     寝ているあいだにホームページを作っている夢を見る。寝ている途中で、はたと別の
    アイデアも思いつき、結局、布団から抜け出してパソコンに向かう。登録したのは習作
    で書いた短編時代小説。いつかは郷里を舞台にした時代小説も書いてみたいと郷里の郷
    土史の本を開いているときに見つけた悲劇の戦国武将の物語。書いてみた後で、さらに
    資料を読み込んだこともあり、直したいところがたくさんあるのだが、ま、とりあえず
    サンプルということで……。
     この小説の表紙画面は、筆文字の楷書のフォントを使って縦書きにし、時代小説らし
    い雰囲気を出したつもり。
     ホームページ作り3日目ともなると、パソコンに向かいすぎのせいか目がパサパサに
    乾いて、画面も二重に見えてくる。深夜、正月の残りの日本酒を飲みながらWindows95
    についてきた「フリーセル」というカードゲームを少しだけやって寝ることにしたが、
    やっているうちに次第にムキになってきて、結局、朝までゲームをしてしまった。ファ
    ミコンのゲームにはまっている次女に、ゲームはほどほどにと言ってばかりいるのに、
    これでは説得力がない。
  • 1月6日(土)
     そろそろ仕事をしないとヤバい。しかし、気になるのはホームページ。よそのホーム
    ページを見ると、カウンターがあったり、透明画像があったりで、凝ったものが多い。
    参考になりそうなホームページをサーフィンして歩くだけで、あっというまに時間が過
    ぎてしまい、結局、今日からコラムが連載開始となった日本経済新聞も買いに行き損ね
    る。やはり購読しないとダメだな。
     深夜になって、富士山の画像がリアルタイムで見られるホームページにアクセスして
    みる。静岡ネットというのだが、夜中のせいもあって、画面は真っ黒。当たり前か。腫
    れた日に撮影された画像を見ると、おお、この右側に宝永山がこんもりしている富士山
    は、我が郷里から見たアングルではないか。別のページで静岡ネットの住所を確認する
    と、やはり、わが郷里の富士市だった。1969年早々、漫画家のアシスタントになるため
    に上京して初めて住んだのが、現在の住まいから徒歩15分ほどの4畳半一間のアパート。
    晴れた冬の日の夕方、西方の丹沢あたりとおぼしき山並みの向こうに、夕陽に染まった
    富士山が見えたときは、ついジ〜ンとしてしまったものだった……なんてことを
    思い出す。
     郷里にいるときは、富士山など毎日見ていて、列車の車内で富士山を見て歓声をあげ
    る人たちが不思議に思えたものだったのだけれど……。歳を重ねるにつれ、車でも3時
    間くらいの距離とはいえ、田舎が恋しくなるものらしい。この郷里の富士山の画像は、
    海外に住んでいる日本人の人たちだと、もっとジンとくるのではなかろうか。
     これまで半年近く、あちこちのホームページを覗いてきたが、なんか一番感動した一
    瞬だったな……。
  • 1月7日(日)
     さすがに仕事しないとヤバイので、ニフティサーブとコンピュサーブのメールだけ確
    認し、その返事を書いて、すぐに外に逃げ出してファミリーレストランで食事しながら
    仕事。はたと気がついたら2日以来、家の外に出ていなかった。
     ホームページの作成を始めたら、きっとはまるだろうという予感があって、正月休み
    まで我慢しようと言い聞かせてきたのだが、やっぱりみごとにはまってしまった。明日
    からは真面目に仕事しよう。
  • 1月8日(月)
     夕方、ニフティ本社に出かけコンピュサーブのことで打ち合わせ。そのまま新年会に。
     明日も朝からニフティで用事があるため、大森駅上のホテルに泊まる。オアシスポケ
    ット3で通信中に電池切れ。電池を買ってきて入れ替えるがエラーが出て起動せず。通
    信をあきらめて寝る。
  • 1月9日(火)
     ニフティ本社でニフティの岡田社長らと共に、年賀状の画像コンテストの入選作選び。
    技術よりも一目見た印象で左右される。午後、秋葉原にまわり、パナソニックのプロノ
    ート・ミニを買ってしまう。帰宅後「オンライン・トディ・ジャパン」の原稿をあげ、
    ニフティサーブの電子メールで送る。
  • 1月10日(水)
     プロノート・ミニのセッティングにとりかかるが、モデムカードがさっぱり認識され
    ない。どうなってるんだ? あれこれいじるがさっぱりダメ。ついに徹夜になる。

  • 96年1月11日〜20日

  • 1月11日(木)
     プロノート・ミニが動かない。深夜になって、ふとニフティサーブにパナソニック
    関連のフォーラムがあるのではと思い、古いダイナブックでニフティサーブにアクセ
    ス。「FIND」コマンドで探すとみごとにヒット。フォーラムに入るとリアルタイム会
    議が行われていて、モデムカードが認識されないと訴えると、即座に「赤外線ポート
    をOFFにすれば大丈夫」とのこと。その場で試したらみごとに成功。NTT DoCoMoのデジ
    タル携帯電話用モデムカードを接続し、携帯電話からニフティサーブに入ることがで
    きた。
  • 1月12日(金)
     夕方、鈴鹿へ。連休前とあって新幹線の指定席は満員。1時間近くホームで待って、
    ひかりの自由席を確保する。名古屋から近鉄特急で白子に着き、駅前のビジネスホテ
    ルにチェックインしたのは夜10時半。途中で買った池波正太郎の短編集を読みながら
    寝る。
  • 1月13日(土)
     鈴鹿サーキットのファン感謝デーで、11月24日に鈴鹿サーキットで開催されるアメ
    リカの人気レースNASCARのデモ走行を取材。ドライバーは7回チャンピオンを獲得し
    たディル・アンハート。カシオのQV-10で写真を撮り、鈴鹿のプレスルームで新しく
    開設したホームページに送り込む。リポートはコンピュサーブのモータースポーツ・
    フォーラムに掲載。コンピュサーブのWebサーバーが不調で写真の送信に時間がかか
    り、タクシーを呼んでサーキットを出たのは午後6時半。今夜中に日経のイラストを
    あげないといけないのに……。名古屋から「のぞみ」で帰京。家に戻りイラストにか
    かるも途中でダウン。
  • 1月14日(日)
     イラストをあげて日経に送り、「まんが一太郎Ver.6.3入門」のネームをやるため
    にファミレスへ。
  • 1月15日(月)
    「まんが一太郎Ver.6.3入門」のネームをやるためにファミレスへ。
  • 1月16日(火)
     一昨年の秋に結婚したばかりのカップルの来客。夕方まで遅れ馳せの新年会。夜、
    「オンライン・トゥディ・ジャパン」のイラストをパソコンで描く。
  • 1月17日(水)
     午後、雑誌「プレジデント」の取材。テーマは英語の学習法について。2月20日発
    売号に掲載予定とのこと。
  • 1月18日(木)
     午後から出版社めぐり。まずは銀座で実業之日本社「週刊小説」誌で連載が始まる
    コラムの打ち合わせ。続いて有楽出版社に出かけ、書き下ろし小説の打ち合わせ。暮
    れに新書ノベルス用にと提出したシノプシスの内容が、ハードカバー向きだと判断さ
    れ、ハードカバー用に内容を変更することになる。ハードカバーとのことなので、
    1000枚書いてもいいという許可をもらう。今年は新書ノベルスをたくさん書こうと思
    っていたが、初っ端からハードカバーになってしまった。
     そのあとで小学館にまわり「OYAKO」の編集者とライターさんと会議室で特集
    記事についての打ち合わせ。
     午後7時から九段下の料亭で、昨年暮れに出した「まんが&図解Windows95らくらく
    パソコン新入門」
    (小学館)の打ち上げ。作画を担当してくれた、ながいのりあきさ
    ん、大林かおるさんと高円寺に流れ、スナックと焼き肉店で朝まで飲む。
  • 1月19日(金)
      カラオケの第一興商の方々がみえる。カラオケとコンピュータネットのことについ
    てあれこれ。お土産に非売品で人気沸騰中のカラオケマシン用携帯リモコンをもらう。
    カードサイズで自分のレパートリーを15曲までメモリーでき、即座に選曲できる。通
    常のリモコンとしても使用可能。そのまま第一興商直営のカラオケボックス「ビッグ
    エコー」に出かけ、最新のカラオケの実態を見せてもらう。カスタムチップによる512
    以上のMIDI音源を駆使した「ゴージャスバージョン」の曲は、N響風のフルオーケス
    トラ。一人でハモったり、ユニゾンできたりする機能もある。しかし、こんなのを体
    験するとカラオケにハマりそうだ。
     夜、「Eye-Com」のお気に入りホームページ紹介の原稿、「日経」連載コラムのイ
    ラストをあげる。
  • 1月20日(土)
     夕方からニフティサーブの業界関係者の内輪のオフライン・パーティー。作家、翻
    訳者、ライターなどと中野で琉球料理を楽しむ。

  • 96年1月21日〜31日

  • 1月21日(日)
     新宿武蔵野館に「ザ・インターネット」を見に出かける。この手の映画がヒットし
    たためしはないので、書店に寄りながらのんびりと最終回に間に合うように出かける
    と、これが大間違い。立ち見の状態で指定席も売り切れ。インターネット・ブームは、
    こんなところまできているのかとビックリ。映画を見るのは平日の昼間にすることに
    決め、近所の喫茶店を2軒ハシゴしながら「まんが一太郎Ver.6.3入門」のネームを
    やって帰宅。
  • 1月22日(月)
     連日の睡眠不足か体調不良。いちど起きるも目がかすむため、再び布団にもぐる。
    1時間ほど寝てファミリーレストランに出かけ、マンガのネームをやるが、吐き気が
    してきたため早めに帰宅。風邪かもしれない。早めに風呂に入り、ビールを飲んで寝
    る。
  • 1月23日(火)
     朝6時前に起きてしまい、ニフティサーブに入ってコンピュサーブ&国際通信フォ
    ーラムに掲載されている質問に答える。もう一度寝直して、昼過ぎ、南青山のホンダ
    本社へ。96年度モータースポーツ計画の発表会。ニフティサーブのオートレーシング
    ・フォーラム用にと報道資料をフロッピーで用意してくれてあって感謝、感謝!
     ホンダ本社で待ち合わせた「F1速報」稲垣編集長、編集担当の土屋さん、イラス
    トの米田さんと、3月のオーストラリアGP号から連載が再開される小説『龍の伝説』
    のスケジュールについての打ち合わせ。昨年後半8回にわたって連載された原稿を、
    このホームページに掲載してもよいという許可をもらう。
     ホンダ川本社長のインタビューが掲載された『文芸春秋』を購入して帰宅するとパ
    ソコン入門書の原稿依頼のFAXが届いている。書き下ろしが重なっているし、パソ
    コンそのものの解説などできないため断りのFAXを送る。スケジュールが深夜まで
    ホームページのメンテ。
  • 1月24日(水)
     起き抜けにニフティサーブにアクセスするとフラッシュニュースが結城昌治氏の訃
    報を。20歳前後の頃、一生懸命、作品を読んでいた。遅れて受賞した直木賞の受賞作
    「軍旗はためく下に」の、題名だけいただいて「褌旗はためく下に」なんてパロディ
    漫画のストーリーを作ったこともある。アメリカには正統ハードボイルドの系譜とし
    て「ハメット〜チャンドラー〜マクドナルド・スクール」というものがあるが、ぼく
    にとっての日本のハードボイルドは、「生島〜河野〜結城・スクール」だった。国産
    スパイ小説の分野も手がけ、ぼくも中薗英助氏の作品と共に結城氏のスパイ小説を愛
    読したものだ。ニフティサーブの「冒険小説&ハードボイルド・フォーラム」に誰か
    が訃報のことを書くかと思っていたら、誰も書く気配がないので、僕が書いてしまっ
    た。同様に「推理小説フォーラム」では太田忠司さんが訃報を掲載していたが、あち
    らでもコメントは一つだけ。パソコン通信ユーザーの中心層との世代の相違を実感し
    た。
  • 1月25日(木)
    「まんが一太郎Ver.6.3入門」のネームをやろうと勇んでデニーズに出かけるが、途中
    TSUTAYAに寄って画集「小松崎茂の世界」やブルーバックスを購入。デニーズは読書タ
    イムになってしまった。一太郎はそろそろVer.7が出ようというのに。でも一太郎
    Ver.3の入門書もまだ増刷中。そう簡単にVer.7に乗り換える人ばかりではないだろう
    と空しい期待。
     夜は直木賞受賞作の「恋」にハマる。「テロリストのパラソル」「水の城 灰の夢」
    と同じようなグラフィティ・ノベル[(C)Mitsuru Sugaya]。ハマるだろうなと予想して
    いたら、やっぱりハマった。
  • 1月26日(金)
     朝から「まんが一太郎Ver.6.3」の催促。早くあげないと……。気は焦っているのだ
    が……。
  • 1月27日(土)
     コンピュサーブのモータースポーツ・フォーラムで新生IRL(インディカー・レ
    ーシング・リーグ)の第1戦(ディズニーワールド)の予選結果を見る。エリセオ・
    サラザールが予選でクラッシュして、折れたサスペンションロッドがコックピット越
    しにサラザールの右大腿部にグサリ。現場では抜けないため、ロッドを突き刺したま
    ま病院に運ばれ手術を受けたとのこと。
     ティレル・ヤマハ・チームのテストのリリースを翻訳してニフティサーブ「オート
    レーシング情報フォーラム(FMOTOR4)」へアップしていると、この日、FMOTOR4の新年
    会の幹事をしている関さんから「至急出席乞う」の電話。仕事のスケジュールがわか
    らないので出席届けを出していなかったのだが、キャンセルでもあったのかもしれな
    い。映画「ザ・インターネット」を見に行こうと思っていたのを中止して出かける。
    会場は四谷のメキシコ料理店。元「オンライン・トゥディ・ジャパン」の編集をして
    いた菅原さんのお店。参加者の半数以上はカラオケに流れるが、こちらは仕事がある
    ので一次会のみで帰宅。
     映画を見られなかったので、深夜、ノベライズ版の「ザ・インターネット」を読ん
    でしまう。なんだこりゃ! インターネットをテーマにしたハーレクイン・ロマンス
    調のストーリーだ(とくに前半)。
  • 1月28日(日)
     コンピュサーブでIRL第1戦の結果をチェック。よく知らないドライバーが1、
    2位だ。アルボレートは4位だった。午後「まんが一太郎Ver.6.3入門」のネーム。
    深夜、豊田有恒さんが送ってくださった「日本占領」(ケイブンシャノベルス)を読
    了。北朝鮮の軍隊が福井県敦賀市を占領するスーパー・シミュレーション・アクショ
    ンで楽しめる。
  • 1月29日(月)
     午後から「まんが一太郎Ver.6.3入門」のネーム。ファミリーレストランをハシゴ
    して、残り32P。夜遅く、できたところまでを編集部にFAXする。
  • 1月30日(火)
     午後起床。数日間入浴していなかったので、風呂に入ってから初台のアスキー本
    社に向かう。「ネットワーカーマガジン」からスタートした「ネットワーカー」誌
    が「インターネット@アスキー」という雑誌に衣更えすることになり、その最終号
    でパソコン通信12年の歴史についての座談会。アスキー出版局の宮崎さんと編集
    部の大槻さんの3人で話すが、なんとなく懐かしいアスキーネットが実験段階だっ
    た時代の話に終始した感じ。アスキー発行の「パソコン通信ハンドブック」(通称
    「青本」)と講談社現代新書の「データベースを使いこなす」(高田正純氏著)が
    なかったら、ぼくもここまでパソコン通信にはまり込んでいたかどうかはわからな
    い。
     ぼくはラジオ少年〜アマチュア無線〜マイコン〜パソコン〜パソコン通信と歩ん
    できた、どちらかというとマニアックな部類のパソコン通信ユーザーだったのだが、
    パソコン通信が始まった頃は、究極の文科系職業と思われていた漫画家とパソコン
    通信の組み合わせが珍しがられて、よく取材を受けた。アマチュア無線あがりだと
    いうことを話すと、「機械オンチの漫画家でも使えるパソコン通信」という予定し
    ていたコンテが崩れてしまったのか、記事にならないことも多かった。
     12年前にパソコン通信を始めた頃は、アメリカのネットワークで毎日のように
    チャットをしていたが、これもアマチュア無線のノリだったように思う。いま住ん
    でいる家は1983年に新築したものだが、このとき、海外も含む長距離通信をし
    たいと、無線機も購入し、設計段階から、壁にアンテナのケーブルを通すための穴
    を開けることをお願いしてあった。仕事が多忙でアンテナを立てるのが遅れ遅れに
    なっているうちにパソコン通信と遭遇してしまい、その結果、アマチュア無線のほ
    うは、コールサインの更新も忘れ、そのままになっている。
     座談会の後、アスキー本社の隣の和風フランス料理店で夕食をごちそうになり、
    帰途、高円寺で取材帰りの時代小説作家・磐紀一郎さんと合流。カラオケを楽しん
    で午前3時過ぎに帰宅。
  • 1月31日(水)
     夕方から飯田橋のエドモントホテルで日本推理作家協会の新年パーティー。井沢
    元彦さんから「株入門のマンガの本を買いましたよ」と声をかけられる。ニフティ
    サーブの「冒険小説&ハードボイルド・フォーラム」で「ICON」というパソコ
    ン通信をテーマにしたミステリーの感想を書いたら、いきなり著者の今野敏さんか
    らメールをもらってビックリしたが、その今野さんからも声をかけてくれた。推理
    作家協会には、昨年、入会させてもらったが、まだミステリーらしい作品を書いて
    いないので肩身が狭い。いまとりかかっている作品が発売されたら、少しは肩身も
    広くなるかもしれないが……。
     銀座のお姐さんたちの誘惑を振り切って高斎正さんと一緒に帰宅。高校受験中の
    長女の試験勉強の手伝いをする。

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