その日暮らし日記へもどる
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1997年7月下旬の日記
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97年7月21日〜31日
7月21日
夕方からCART第11戦トロントの日本語版解説のために青山の伊藤忠本社内にあるスポーツi・ESPNのスタジオへ。帰宅は深夜。来週の第12戦「US500」はライブで日本語解説だ。3時間以上トイレも行けないので水分を控えめにしなければ。
睡眠不足の連続でへたばっているせいか帰宅後、なんとか『F1速報』連載小説のゲラだけチェックしてバタンキュー。
7月22日
パナソニック・プロノート・ミニの件で松下テクニカルサービスに電話すると、プロノート・ミニの扱いは中央パナソニックというところで扱っているとのこと。電話で確認すると液晶パネルは4万円。それに技術料がかかるとのこと。明後日、品川まで持参して、その場で修理してもらうことにする。文字原稿を書くのと通信だけが目的なので、この486/75MHzのマシンでも充分。もう少し延命させることにする。
……なんてことを書いていたら富士通のインタートップを貸してもらえることになった。とにかく外で原稿を書ける体制を作っておかないと、仕事も進まないので、ありがたい。
7月23日
『週刊小説』のコラムを書き上げてプールへ。体重も減少のきざし。
7月24日
午後から南品川の中央パナソニック・エンジニアリングに出かけ、プロノート・ミニの液晶交換。ところが上半分の液晶のドットが死んでいた部分は直ったものの、下半分一面に入っていた青と赤の縦縞は消えず。結局メイン基盤の交換をして直る。部品代だけで7万円ほどとか。ハードに使いすぎたかなあ……。
帰途、新宿紀伊国屋書店に寄って資料の本を買い集める。大量に本を買ったため、腰に来る。休憩がわりに高円寺に寄って磐紀一郎さんを呼び出し、暑気払いを兼ねたビール。
7月25日
7月26日
明け方、寝る前にコンピュサーブにアクセスすると、鈴鹿8時間耐久レースに出場しているダグ・ポーレン選手のお父さんからメールが届いている。鈴鹿8時間レースの実況中継をしているWebサイトを教えてほしいというもの。確か公式サイトもあったはずなので検索してみると、公式サイトも含めていくつかのサイトがあったが、英語で伝えているところがない。あちこち関連サイトを捜し、やっとヤマハのサイトにだけ英語版があることを発見。ダグ・ポーレン選手はスズキのチームから出ているんだけど、まあいいか。ちなみにスズキのサイトには鈴鹿8時間情報はなかった。それにしても外国人選手もたくさん出る国際レースなんだから、英語版も作ってほしいなあ。
ちなみにダグ・ポーレン選手はコンピュサーブ・モータースポーツ・フォーラムのメンバーでもある。数年前、同フォーラムのチャットにゲスト出演する直前、テストでクラッシュし、足の指を切断する重傷を負ってしまった。入院先の病院で退屈しのぎにお父さん(プログラマー)が持ってきたノートパソコンをいじり、自らコンピュサーブに入会した経歴を持っている。
7月27日
今夜のCART第12戦「US500」生中継に備えて資料調べ。現場からの情報をインターネット経由で収集するため、サブノートパソコン用の28800bpsのモデムを買いにいく。ところがこの設定に時間をとられ、締切が迫っている『F1速報』の原稿が進まない。なんとかモデムが使えるようになったのは午後10時過ぎ。午後11時になるのを待ってカミサンに駅までクルマで送ってもらい、外苑前の伊藤忠本社内にあるスポーツi・ESPNのスタジオへ。
スタジオに到着すると、すでにインターネットにつなげるようにセットアップされたノートパソコンが用意されていた。ところがリアルタイムに変更されるレースの情報が、MS-Internet Explorerでは見られないという。うちのでは見られるのに変だなあ……と思いつつ、面倒なのでNetscape 3.1をダウンロードしてインストール。これでリアルタイムの情報が見られるようになったが……いざレースが始まると、アクセスが多いのか混雑して、なかなか画面が更新されない。つい画面の操作に神経が集中し、序盤は一緒に解説をしている林信次さんにおまかせ状態。数ラップおきに画面が更新されるようになってから、なんとか解説に加わる。
しかし生で3時間半ものレース解説というのは大変だというのを実感。
7月28日
テレビの仕事から帰宅したのは午前6時半。仮眠をとって『F1速報』連載小説のまとめに入るが、うう……眠くて頭が働かない。コーヒーを飲んで眠気を覚まそう。
7月29日
夕方から日本推理作家協会の懇親パーティーへ。数人の作家さんと一緒に銀座に出かけてカラオケ。
7月30日
夕方、モータースポーツ・ヒストリアンの林信次さんと一緒にクルマで水戸へ。常磐道の水戸インターで降りる予定が、ついレースのおしゃべりに熱中し、2つ先のインターまで行ってしまう。のこのことUターンして水戸まで戻り、明日のツインリンクもてぎ取材に備えて水戸市内は千波湖畔のホテルに宿泊。20年ほど前、この湖の畔に住んでいた薄井ゆうじさんを訪ねてきたことがあったけど、こんなに賑やかだったかなあ? この春に薄井さんの『星の感触』という文庫の解説を頼まれたとき、「水戸市郊外の千波湖」なんて書いた記憶がある。郊外どころか市内じゃないか。
明日は早いのに、なかなか寝られず、やはり文庫の解説を書くことになっている豊田有恒さんの『聖徳太子の叛乱』のゲラを朝までかかって読んでしまう。
7月31日
睡眠時間2時間で起床。朝食後、ツインリンクもてぎへ。もう、とんでもなく凄い施設でビックリ。グランドスタンドからパドックに続く通路は、果てしなく長いエスカレーター。しかも下りの一方通行なので、帰りに上りになっていなかったらどうしようかと次第に不安になる(帰りは、ちゃんと上りの一方通行になっていた)。
オープニングセレモニーの後、昨年のCARTチャンピオン、ジミー・バッサーが、ホンダ本社のショールームに飾ってあった彼のチャンピオンカー、レイナード96I・ホンダで、雨上がりの濡れたオーバルトラックをデモ走行。オーバルでは雨が降ったらレースをしないのだが、デモ走行とあって、スリックタイヤに溝を彫って作った即席レインタイヤで走行。路面が濡れているので最高時速は100マイルほどにとどめていたが、レースのときには220マイル(350km/h以上)くらいまで行くのではないかとのこと。来年春のレースが楽しみだ。
取材後、アメリカでレースの取材を続けているヒコ天野さん、スポーツiのディレクターさんらと常磐道のサービスエリアで2時間もおしゃべり。帰宅したのは午後7時過ぎだったが、おみやげにもらった赤飯を食べたとたんに疲れがドッと出てバタンキュー。