その日暮らし日記へもどる
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1997年9月上旬の日記
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9月1日
午前10時過ぎ、F1ベルギーGPから始まったヨーロッパ旅行から成田に帰着。成田エキスプレスと中央線を乗り継ぎ、三鷹駅からタクシーで帰宅。この日は、カミサンが用意してくれてあった刺身を肴にビールとワインを飲んで、さっさと寝る。刺身はロンドンで食べたばかりであったのですが。
9月2日
たまっていた郵便物の整理や原稿書き。レンタルしていたGSM携帯電話の返却(モデムカードと携帯電話機をつなぐケーブルを入れ忘れ、翌日、追加発送するハメになった)。
9月3日
さっそく仕事。まずは『週刊小説』の連載コラムから。原稿をあげた後に久しぶりにプールへ。
9月4日
風邪を引いたようで体調がすぐれず。『龍の伝説』の原稿にかかるが能率があがらない。
9月5日
『週刊小説』のイラストをあげ、さらに『龍の伝説』の原稿のつづき。残り回数が少ないのに、話が進まない。思い切って2回分を1回にまとめることにする。
9月6日
原稿が終わっていないのに家族で国立競技場へ「ToTo世界陸上」の観戦に。毎晩、徹夜状態で見たアテネの世界陸上の興奮をもう一度と思ったが、蒸し暑いコンディションで、好記録は出ず。でも、世界の強豪選手をナマで見られて、まあ満足。
9月7日
F1イタリアGPは、早々に片山右京選手がリタイアしたため、深夜0時25分からのテレビを見るのにも力が入らず。レース内容も、タイム的には接戦でも、パレードで終わって退屈だった。
午前4時からはCART第16戦ラグナセカのナマ中継をスポーツi・ESPNで観戦。こちらもパレード状態になりかけたが、それを崩してくれるのがチャンプを決めたザナルディ君。前のマシンを抜こうとしてはダートに飛び出し、なんとか3位でフィニッシュし、優勝したチームメイトのジミー・バッサーを祝福するためマシンを寄せて拍手をしたのはいいけれど、近づき過ぎてバッサーのマシンと接触。バッサーはスピンして、マックス・パピスのマシンにしがみついてピットに戻ることになった。これもご愛敬のうちか。
テレビ中継終了は午前6時。それから8時までかかって『龍の伝説』の原稿をあげ、ニフティサーブ経由で送信。すぐに布団に潜る。
9月8日
風邪が本格化し、午後に起きるが、風邪クスリを飲んでもういちど寝る。午後5時過ぎに起きて、スポーツi・ESPNのCART中継解説に向かう。ところが前回から録音は午後6時開始だったとのこと。連絡不備で遅刻になってしまい、夕食もとらずにアナウンサーと一緒に即座に録音開始。スタートが早かった分、終わりも早かったので、高円寺に寄り道してくる。
9月9日
久々に午後まで熟睡。風邪も少しは抜けたようで、ホッ。『NIFTY SERVE MAGAZINE』連載エッセイにかかるも、念のために飲んだ風邪薬のせいで眠気に耐えきれなくなり、途中でダウン。
9月10日
『NIFTY SERVE MAGAZINE』の原稿をあげて送信。プールに行く。