シャープMZ-80Kでプログラミングをはじめると、これが楽しくて楽しくて。深夜に仕事場から自宅に帰宅すると、それから朝までBASICのプログラミングを楽しみ、3~4時間だけ寝て、またマンガの仕事に出かけていくような状態でした。
そんな生活を1ヶ月以上つづけていたら、ある日の朝、目が覚めて起きようとしても、自分の意思ではまぶたがひらかなくなっていました。眼精疲労のせいで大量の目ヤニが出て、上と下のまぶたにこびりつき、目をあけられなくしてしまったのです。
家族に熱い蒸しタオルをつくってもらい、これを目に当てて目ヤニをやわらかくしたら、なんとか目をひらくことができました。
この様子を見ていた同居中の母と私のカミサンが、私のからだを心配のあまり、思わぬ行動に出たのです。その日の夜、仕事から帰ってきたら、机の上にあったはずのパソコンがありません。カミサンにたずねたら「粗大ゴミに出した」というではありませんか。
20万円もしたパソコンを粗大ゴミに出ずはずがない――と思ってはいましたが、「パソコンのやりすぎで、倒れられたら困る」と妊娠5ヶ月のカミサンさんに、お腹を指さしながら言われては、グウの音も出ません。毎日、3~4時間の睡眠で、体重も激減し、ほおもこけているような状態でしたから、母もカミサンも心配していたのでしょう。
パソコンは押し入れの奥に隠されていましたが、こんな状態でしたから、おおっぴらにはプログラミングもできません。そこでポケコン(ポケットコンピューター)を買って、電車や喫茶店でプログラミングをするようになりました。でもポケコンの画面は数行だけ。メモリーも少ないので、簡単なプログラムしかできません。
その頃、『ゲームセンターあらし』の人気が急上昇し、コミックスも増刷を重ね、早く次のコミックスを出すために、増刊号で100ページ読み切りを連載するような状況になりました。おかげで仕事場に泊まり込み、家に帰るのも1ヶ月に1回くらいの状況になりました。風呂に入るのも、へたをすると月イチくらい。たまに家に帰っても、生まれたばかりの子どもは、父親として認知してくれない状況でした。
こんな状態でしたので、パソコンもアシスタントの給料計算にしか使っていませんでした(給料計算ソフトは市販のものを購入し、自分で改造しました)。
そんな生活をつづけているうちに、禁断症状が出はじめました。パソコンに触れないために、イライラするのです。「プログラミングしたい病」みたいなものです。
ほかにも好きだった自動車レースの観戦にもいけず、イライラはピークに達しようとしていました。このままじゃノイローゼになる。本気で、そう思いました。
「とにかく休もう」
そう決めて、海外脱出をすることに決めました。フランスで毎年6月に開催されているルマン24時間レースを見に行くことにしたのです。
そのツアーを申し込んだ頃、講読していた朝日新聞の読書欄に掲載されていた小さな記事が目にとまりました。「海外のベストセラー」というコーナーの記事で、「イギリスでは子ども向けのコンピューター入門書が、大人にも読まれてベストセラーになっている」と書かれていたいたのです。
この記事を読んだとたんに、ピーン! と、ひらめきました。
「日本で子ども向けのコンピューター入門書を出すなら、学習マンガがあるじゃないか!」というわけです。
しかも、さらに恐ろしい悪魔のささやきも脳裡に聞こえていたのです。
――仕事でパソコンを使うのだから、カミサンだって文句をいえないはずだ……!
思い立ったとたんに私は原稿用紙に向かっていました。もちろん企画書を書くためにです。