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  • 1999年1月下旬の日記
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    01月21日
     漫画雑誌の編集者と喫茶店で新連載が始まるマンガの打ち合わせ。マンガといっても原作の担当です。マンガ原作は、かつて2つほどペンネームを使い、「週刊少年マガジン」や「月刊少年チャンピオン」に連載し、さらにゴーストライターの作品も何本かあり。最後のストーリーマンガらしいストーリーマンガは、レディスコミック用の官能ホラーマンガだったかな。これも作者の名前は出しませんでしたが。

     打ち合わせがすんで帰宅し、2階の仕事部屋に上がると、デスクトップPCの電源が入りっぱなし。昨夜、「週刊小説」の原稿を書いてFAX送信をしたつもりだったのだが、相手のFAXのエラーか何かで送信が保留になっていた。あわてて再送信する。
     頼まれていた本にサインを入れ、荷造りしたあと再び架空戦記の原稿。

    01月22日
     暮れのうちに届いていた「WZエディタVer.4」をやっとデスクトップPCにインストールするが、ひょえっ! インターフェイスが変わってしまっているし、カスタマイズはVer.3から引き継げないし、いちいちキーカスタマイズをやり直している時間もないので、アンインストールしてVer.3に戻してしまいました。このあたりがDOS版時代からのユーザーのために、しつこくESCメニューを残している一太郎と違うところだなあ。アウトラインの見出し設定で正規表現も使えなくなったみたいな感じだし、ちょっとガッカリ。
     夜になってから「週刊小説」第75回のイラストを描きあげてFAXモデムで送信後、「ニフティサーブマガジン」最終号の「すがやみつるのただいまアクセス中!」最終回(第96回)のイラストを描いて送る。
     途中、ネタが苦しいので(パソコン通信やインターネットもすっかり日常生活のヒトコマになって、特別なイベントではなくなったしまったせいだけど)、何度か連載終了をお願いしつつ、そのたびに引き留められては続けてきた連載だったので、ホッとしながらも、厭きっぽいぼくにしては、よくこんなに続いたなあというの感慨もあります。実際、最長連載記録(年間)でもありました。回数でいったら『ゲームセンターあらし』の方が多かっただろうけど。
     しかし、いつのまにか「週刊小説」の連載回数も、「ニフティサーブマガジン」に追いつきそうだ。隔週だとペースが早いなあ。
     いけね。そんな感慨にふけっている暇はない。新連載のマンガのシノプシスを書きあげなくては……。書き下ろしの架空戦記の締切も刻々と迫っている……。

    01月23日
     徹夜で原稿を書いてしまったため起床は午後2時。某社から「あらし」関連のグッズ(非売品)の見本が届いていた。これにコメントをつけなくてはいけない。
     ノートパソコンのモデムカードが不調で2400bpsでしかつながらない。14400bpsの古いヤツだから、そろそろ寿命かなあ。その後に買った28800bpsのは、とっくに昇天ずみ。ノートパソコンに差しっぱなしなので、熱でイカれたのかもしれない……。
     夕方、書店に出かけ「小説現代」を購入。薄井ゆうじさんの『社長物語』前編を読みたくて買ってしまったのだが、面白くて読みふけり、とうとう仕事にならず。
     薄井さん自身の社長体験をベースに、80年代が舞台になるのかと思ったら、舞台は現代。この作品に書かれている社長になるためのノウハウについての話や、主人公の若き社長が、創作の仕事と経営の仕事の狭間で悩むところなど、身につまされながら読みました。一応ぼくも、以前は10人ちかい社員を抱えていた株式会社の社長だった時期があるもので。あ、いまも代表取締役だけど、社員はゼロ。社員のいない社長ほど気楽な存在はありません(笑)。  不況でリストラに怯えたり、独立を目指しているサラリーマン諸氏の必読小説かも。おそらく、すぐ単行本になるだろうけど、ベストセラー間違いなしですね。新しいスタイルの青春ビジネス小説といえるかもしれません。後編が楽しみ。

    01月24日
     夕方になってからクルマでファミレスに出勤するも、日曜日の夕食時で、子連れの家族が多く、赤ん坊が泣き喚き、小さい子が走り回る環境では落ち着いて原稿も書けず、早々に退散。帰宅して居間で原稿を書くも腰痛がイテテテで能率が上がらず。

    01月25日
     今日もクルマで喫茶店に出勤。ノートパソコンのバッテリーがなくなるまで原稿を書く。でも、まだエンジンがかからない。

    01月26日
     夕方から推理作家協会の新年会。ひかわ玲子さんから頼まれていた「ゲームセンターあらし」の色紙を持って会場へ。ここでアスキーの編集者から『日本本土竜虎決戦録(1)』の見本をもらう。
     マンガ家の野間美由紀さんは、デジタルカメラでパチリ、パチリ。ぼくの写真もこちらに。あ、「ゲームセンターあらし」で復刻したのはマンガの本ではなく帽子です。れれっ、映画監督の佐藤嗣麻子さんもいたんだ。何度か夜中にお酒飲んだことがあるのに気がつかなかった。
     辻真先さんは、妙齢のお嬢さんと一緒。辻さんからは、パソコン関連のことで相談の電話をもらったばかり。やはり会場に来ていた金春智子さんからも海外でインターネットに接続できるノートパソコンが欲しいとのことで、家も近所だし、買い物とセットアップのお手伝いをすることに。女性には極めて親切(^_^;)。
     薄井ゆうじさんに『社長物語』が面白かったと伝えると、原稿を渡した段階で編集者の間で話題になり、すでに続編の執筆が決まっているとのこと。楽しみ。
     ポストペット仲間の柴田よしきさんには、うちのカメの「あらし」がメールを運んだとき、「まくはりミルク」なるものをごちそうになったお礼を伝える。「まくはりミルク」というのは古くなって上面に「膜の張ったミルク」のことかと思って真偽を尋ねたら、幕張メッセでMacのイベントがあったときに特別に配布された「ポストペット」にだけついている特製の「幕張ミルク」のことなんだそうで、あじゃ、失礼しましたとペコペコとお詫び。自分ちのポストペットの餌が「少し古くなっています」「傷んでいます」ばっかりなので、つい先入観を持ってしまっていた。
     新年会の後は、近くの喫茶店に飛び込み、ノートパソコンの電池が切れるまで原稿。新年会の会場で担当編集者から締切厳守を言い渡されたばかりだったので、マジメに仕事。原稿がノルマ以上に進んだので、高円寺で途中下車して馴染みの店に行ったら、別の締切が迫っている本の担当編集者とバッタリ。当然、原稿を催促されてしまう。とりあえず、いま書いている架空戦記が終わったら、こちらの原稿に専念すると約束。でも2月は、ほかに2冊ほど締切が……。
     そこに時代小説作家の磐紀一郎さんも来て、深夜まで歓談。磐さんは前日の人物往来社のパーティーに出て疲れたので、推理作家協会の新年会はパスしたらしい。帰宅後、また朝まで仕事する。

    01月27日
    『仮面ライダーX』の復刻版を編集するのにページが足りないのだそうで、「テレビマガジン」の原稿がないかとの問い合わせがくる。これは手元にあったので、まとめておく。数日内に取りに来るらしい。
     その後は小説の原稿を中断して漫画原作のプロット作り。ところが必要な資料が見つからない。書庫を探索しているうちに全身ホコリまみれでゴホンゴホン。しかたないのでインターネットで必要な資料を検索するも特殊な業界のものなので、あまり役に立たない。とりあえず記憶だけで原稿を書く。初稿なので直しはできるはずなので。

    01月28日
     朝までかかって仕上げた漫画原作のプロットを起きたところで手直ししてメールで送信。その後は架空戦記の原稿に戻る。予定より遅れているので、頬が引きつりはじめている。
     ノートパソコンのカードモデムが不調で、しかたなしに大きなモデムをつなぐ。この数日、ノートパソコンでは2400bpsでしかつながらなかったニフティサーブとコンピュサーブに、やっと28800bpsでつなげるようになった。

    ●今日届いた本
      『Windows 95/98 Tips & 裏技500連発』(武井一巳/メディアテック/2180円+税)
      『昭和は遠くなりにけり』(辻真先/朝日ソノラマ/1700円+税)

    ●今日届いた雑誌
      『ビッグコミック』
      『Racing On』

    01月29日
     昨日は、石ノ森章太郎先生の一周忌。
     壁にかけられている『ジュン』の色紙を見つめながら、明け方、ひとりウィスキーを飲んだ。

    ●今日は「SCI-FI」について考えてみた
     架空戦記小説では先輩にあたる青山智樹さんのホームページに、小説家の梅原克文さんとの往復書簡が掲載され、インターネットのあちこちで話題になっている。梅原さんの作品は大好きで、かつ、ぼくがめざす方向でもあるのだが、梅原さんは、その娯楽巨編を「サイファイ」という呼称でくくりたいらしい。ぼくが好きなのは、60年代後半から70年代にかけて爆発していた国産SFに似たテイストを感じているからなのだが、梅原さんは、すでにあちこちで書いているごとく、「SF」という呼称がお嫌いらしい。
     で、梅原さんが望んでおられる「サイファイ(SCI-FI)」なんだけど、ぼくがこの名称を知ったのは1985年の春、アメリカのパソコン通信ネットワーク(いまはオンラインサービスという)CompuServeにアクセスした直後のことだった。ここに「SCI-FI Forum」というのがあって、アメリカのSF作家が参加していたりで(『A-10奪還チーム出動せよ』の作者もいたな、そういえば。アイザック・アジモフは「オムニ・フォーラム」にときどき顔を出していた)、なんとなく面白そうだったけど、英語力に問題があり、かつ、アメリカのSF小説は有名どころしか読んでいなかったこともあって、ついてはいけなかった。このとき疑問に思ったのが「SCI-FI」の意味。アメリカ在住の日本人高校生に教えてもらって「サイファイ」と読むのだということを知った。意味は英和辞典で調べて「Science Fiction」の略だと知った。では「SF」とどこが違うのかといわれれば、これがサッパリわからない。
     で、久しぶりにCompuServeの「SCI-FIフォーラム」を覗いてみようと思ったら、以前は使えた「GO SCI-FI」が使えなくなっている。確認してみたら「SCI-FIフォーラム」は消え、「SF & Fantasyフォーラム」になっていた(複数のフォーラムがあるのだけれど)。一応、「FIND」というCompuServeのメニューを検索する機能で「SCI-FI」をキーワードにしてみると、「SF & Fantasyフォーラム」も出てくるのではありますが。
     だからどうしたってわけではないんですが、どうも70年代国産SFに憧憬を抱く人間の一人としては、やっぱり「SFを書きたいなあ」と思うだけの話であります。
     ちなみにぼくは、不思議な謎があっても合理的、論理的な説明を求めるほうで、「人間、死んだらカルシウムになる」という本田宗一郎氏の言葉が大好きときている人間なもので、ファンタジーやホラーのような不思議なものが不思議なまま終わってしまうジャンルの作品については、あまりいい読者にはなれません。超能力なんてものについても、つい物理やら大脳の働きやらから突っ込んでしまいたくなるもので。

    ●ついでにパロディについても考えてみた
     ピカチュウのやおい作品を描いていた同人誌の作者が、著作権法違反で逮捕されたのだそうですが、ちょっと最近、このパロディの定義が曖昧になっているというか、キャラクターなどを借りるための免罪符にしているだけというか、そんな気がしてしかたないので、ちょっとパロディについて考えてみた。
     以前、アスキーの「週刊ファミコン通信」の編集部から、「『ゲームセンターあらし』のパロディ漫画を連載したいので許可してください」と電話がかかってきたことがある。そのとき、ぼくは、こう返事した。「原作者に許可を求めるパロディなんて、パロディとはいえないのでは?」。
     パロディやパスティーシュは、ある作品の表現の形式や様式を借用したり、あるいはもじったりして独自の作品に仕立て上げる「オリジナル」だと、ぼくは考えている。そこには原作に対する親愛の情や尊敬や憧憬を籠めた「オマージュ」もあれば、原作や原作者を「当てこする」「からかう」「嘲笑する」こともある。とくに後者の場合は、原作や原作者が「権威」になっていると、風刺の意味が強くなってくる。
     一般的にパロディが原作者から忌み嫌われるのは後者の場合である。ときには表現が辛辣なあまり、原作者から訴えられることもあるほどだ。
     しかし、本心では遺憾に思っていても、訴えることができない原作者もいる。それはパロディの作品、あるいは作者が、広範囲な読者、視聴者、大衆の支持を受けている場合である。コロッケにモノマネされて以来、岩崎宏美は「ロマンス」を歌えなくなったという。本家が歌うと聴衆がコロッケのモノマネを思い出してクスクスと笑い出すからである。その結果、岩崎宏美は「『ロマンス』はコロッケさんに差し上げることにします」と言わざるをえなくなった。このあたりが、矢沢永吉のソックリさんが、矢沢永吉本人からモノマネの差し止め請求を受けたのと違うところだろう。コロッケはテレビのモノマネ番組で絶大な人気を誇り、永ちゃんのソックリさんは市井のショーパブ(?)のステージで演じているにすぎない存在だったからだ。
     トンネルズの木梨憲武に、鼻の穴をバカでかく描かれた顔でマネされた北島三郎も、苦笑ですまさざるを得なかった。木梨がテレビという強大な力を背景にしていたからだ。大衆に受けているパロディは強い。本家が不快に思って訴えたとしても、そして、その要求が通ったとしても、大衆はパロディした側に同情を寄せるからである。このような場合、訴えた側が倫理的、論理的には正しくても、大衆の支持を失う結果になる。ときにはパロディの対象になることが、原作や本家の人気の証になることもあるからだ(もちろんパロディが暴力になることもある)。
     しかるにピカチュウのような子供のアイドルの場合はどうだろう? 子供の愛するキャラクターを陵辱するような作品は、それがたとえパロディだと作者によって強調されたとしても、大衆の支持は得られないだろう。作品と作者に対する嫌悪感のほうが強くなる可能性が高いからである。
     反対に、たとえばピカチュウを陵辱する作品が、原作やキャラクターの商業的な側面を突いているような風刺性を持った作品だったら、果たして原著者が訴えることができたかどうか。訴えたとしても「パロディ裁判」と化し、容易に結論は出ないだろう。もちろん、パロディ作者が、そこまでの「覚悟」を決めてパロディ作品を作っていた場合に限るが。
     自作をパロディ作品と呼称する作者たちが、本当に「パロディ」だと主張するのなら、訴えられるリスクも考慮したうえで、かつ、その訴えに勝てるかどうかも判断したうえで、作品を発表しなければならないはずである。
     今回のピカチュウ事件の場合も、逮捕された女性は、スケープゴートにされたという意味で気の毒な感じもするが、逮捕されたことで初めてコトの重大さに気づいたのなら、認識不足というしかない。作品を「公表」(たとえ無料であっても不特定多数の目に入るのなら公表になる)するのなら、そこには責任とリスクがつきまとうことを知るべきだろう。それはホームページであっても変わらない。
    「週刊ファミ通」で連載が始まった『ゲームセンターあらし』のパロディ作品『ゲームセンターいがらし』は、正直いってぼくの好みの絵柄ではない。醜悪な絵柄にも思えたものだった。自分の子供にさえ、「父ちゃん、こんな絵にされて悲しいでしょ」とからかわれたほどである。
     しかし、ぼくや子供にとって好みの絵柄ではなかったとはいえ、これは個人の感性である。いまの若い人には、このような絵柄や内容が好まれているのもわかっている。ここで「気に入らない」と拳を振り上げたところで、「シャレがわからない」「野暮なことして」といわれるのが目に見えている。大衆の支持は、パロディ作品の側にあるからだ。そういう意味で『あらし』は、すでに過去のキャラクターでもあった。
     ぼくは子供に、こう説明した。「こうやって『あらし』のことを思い出してくれる人がいるだけでもありがたいと思わないといけない。美川憲一だって忘れ去られようとしていたのに、コロッケにモノマネされたおかげで、みごとに復活しちゃったじゃないか」と。
     パロディ作品を事前に見せられて、許可を与えるなどということも、やはり噴飯ものだろう。それでは検閲になってしまうではないか。公表された作品は、すべからく引用を認められている。もちろん批評や研究を目的とした場合に限るが、作品を公表するということは、批評されることでもあるということだ。批評されるのがイヤなら「公表」しなければいい。
     パロディも、この「批評」のうちに入るか、あるいは近いものだろう。そう、「風刺も批評の一種」であるはずなのだ。
     ときには原作や原作者に対し、風刺や当てこすり、からかいといった「悪意」を籠めてパロディ作品を作ることもある。悪意のないパロディなど少しも面白くないともいえる。そのような場合には、なおさら「覚悟」が必要となる。訴えられることもあれば、ときには命がけになることもあるからだ。
     江戸時代後期の寛政年間、戯作や歌舞伎という形式でパロディ作品を発表し、手鎖の刑(山東京伝)、身代半減の刑(蔦屋重三郎)を受けた作者たちの末路を見てもわかるだろう。謀殺された(自殺を強要された?)とおぼしき戯作者(恋川春町)もいたほどなのだ。
     現在は、パロディを発表しても命まで失う恐れはない。しかし、社会的に抹殺される危険は残っている。パロディに限らず作品を「公表」するということは、そういうことでもあるのだ。反対に、オリジナル作品であっても、それを公表するということは、批評や研究の対象ともされるように、パロディやパスティーシュの対象となる可能性も秘めていることになる。
     今回のような事件が起きた背景には、「同人誌」がすでに同人という閉じた人間関係の間でだけ配布されるものでなく、不特定多数への配布、公表を前提とした自費出版物(営利、非営利は関係ない)になっているからだろう。それを「同人誌」と呼んでいるから、作品を「公表する」ことについての認識が甘くなっているところもあるのではなかろうか。
     ぼくはパロディそのものに対しては、許容範囲が広いつもりでいる。それは自分でも多くのパロディを描いたり書いたりしてきたからだ。もちろんそのために、カミソリの刃の入った封書をもらったこともある。それでも懲りずに、またパロディを書いてみたいと思っている。

     ●似顔絵●もパロディと似た存在だ。似顔を描かれた当人が不快であればあるほど、第三者からは受けるという宿命を持っている。ワタシは、これらの作品で世間を狭くした(^_^;)。
     そういえば●こんなパロディ(のつもり)●も書いたことがある。

     ぼくが「パロディ」という言葉を知ったのは、赤塚不二夫氏が書かれた『シェーの自叙伝』という自伝によってだった。1965年頃のことだ。この本は、自伝のほかに、『おそ松くん』などの自作の漫画も採録され、その解説もなされていた。
     その中のひとつがO・ヘンリーの作品を、おそ松くんの世界に置き換えたパロディだったのだが、このときはじめて、このような他の名作などをもじった作品を「パロディ」と呼ぶのだと知った。
     そこには「パロディの定義については中原弓彦氏に譲るとして……」というような記述があって、詳細な説明は省かれていた。どうやら中原弓彦というパロディに関する専門家がいるらしいと知ったのだが、田舎の中学生は、この中原弓彦なる人物が、「ヒッチコック・マガジン」というミステリー雑誌の編集長であり、テレビの構成も担当して自らも画面に登場していたことなど知らずにいた。その後、漫画家をめざして上京した後に、ようやく中原弓彦氏の著作に出会う。『日本の喜劇人』という題名どおりの本で、この本の中で、小学生の頃、毎週見ていた日活アクション映画の主要な俳優、宍戸錠が喜劇人扱いされていたのにブッとんだものだった。
     そして、1972年頃、朝日ソノラマから刊行が開始された箱入りジュブナイル・シリーズで、『オヨヨ島の冒険』(小林信彦)という本にも遭遇した。これが面白くて、その後、「ミステリマガジン」や「週刊朝日」に連載されたオヨヨ大統領シリーズを追いかけるようになり、さらには小林信彦氏のエッセイやコラムも読むようになって、ようやく中原弓彦=小林信彦という事実を知った。小林信彦氏は、エッセイ、コラムも含め、いまだに新刊が出ると買わずにはいられない大好きな作家のひとりである。

    ●今日届いた本:   コミック版『黎明の艦隊』(原作・檀良彦/作画・細井雄二/学研/1000円)

    01月30日
     車で近所の喫茶店に出かけ、原稿書き。バッテリーがなくなり予備のバッテリーに交換したところで書店に移動し、ハワイのガイドを購入。いま書いている原稿の確認のため。そのままファミリーレストランに移動して、海鮮トマトパスタで夕食をとりながら再び原稿。1時間ほど書いたところで高校生のグループが近くのテーブルに座り、ワイワイとうるさくなったので退散する。

    ●本日届いた本:   『風の名前』(妹尾ゆふ子/プランニングハウス/800円)
      詳細は●こちら●へ!

    01月31日
     今日は31日。アイスクリームのサーティワンの特売日……というわけで家族がアイスクリームを買いにいく車に同乗し、途中下車して武蔵関の喫茶店へ。途中、書店を2軒覗き、1軒で『日本本土竜虎決戦録』が並んでいるのを確認。それにしても街の書店はノベルスの扱いがひどくなっているなあ。
     ついでに「週刊ファミコン通信」の終わりの方のページに、5月発売予定の「ザ・ノベル」という短編テキストアドベンチャーゲーム集の紹介記事が出ているのを確認。この中に、なんと、ぼくがシナリオを書き、原画のセレクトをした『ゲームセンターあらしR』という短編ゲームも入っているのだ。「あらし」の絵は、原画をスキャンし、CG処理したものになっている。でも短いゲームなので、あまり多くは期待しないように。「あらし」のことを懐かしがってくれる人向けのゲームです。あ、プレステ用なのでお間違えなく。オマケもついてくるかも……。
     喫茶店でバッテリーがなくなるまで原稿を書き、もう1軒の喫茶店に移動したら閉まっている。しかたがないので電車で1駅の東伏見に移動し、モスバーガーでハンバーグサンドを食べながら原稿のつづき。バッテリーがなくなったので早足で自宅に帰る。息が切れた。
     自宅に戻ると義兄からパソコンでトラブルが起きたとのSOSの電話。1時間半かかって電話でリモコンしながらファイルのコピー方法を教え、さらに会社と自宅のパソコンでファイルを共有したいとのことなので、Windows 95のブリーフケースの作り方を教授。うちはノートパソコンとデスクトップの間では、イーサネットでつないだブリーフケースでファイルの更新をしている。他のハードディスク、MOとの間でのバックアップコピー作りもブリーフケースだ。ファイルの数が多いと時間がかかるのが難点だが、ひとつひとつファイル更新の履歴を確認しているよるはずっと早い。
     そのまま居間で原稿のつづき。腰が痛い。アメリカのフロリダ州デイトナ・インターナショナル・スピードウェイでは、デイトナ24時間レースが走行中。そろそろゴールかな? 今年の日本人ドライバーは寺田陽次郎選手のみ。


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