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  • 2002年08月下旬の日記

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    08月21日(水) 母が永眠

     前夜、入院中だった母の容態が悪化したとの連絡があり、家族で午後10時過ぎに病院に駆けつける。母の実家を継いでいる従兄弟も静岡から駆けつけてくれ、ともに病室で母を見守るが、午前8時20分、先に呼吸が止まり、次いで心臓が停止。享年82歳。死因は肝不全。肺癌が肝臓に転移し、肝臓が機能しなくなったのが原因だった。
     葬儀会社の車で遺体を自宅に運び、通夜、葬儀の準備。22日が友引のせいで斎場の空きがなく、通夜は23日、葬儀は24日となる。

    08月22日(木) あわただしく時間は流れる

     通夜までに1日あいたが連絡しなければならないところがたくさんある。通夜・葬儀の会場の地図をFAXするために2階の仕事部屋との間を往復している間に脚が筋肉痛になってくる。その間にも近所の方々が弔問に訪れてくださる。

     親戚も来てくれるが母の思い出話になると楽しいエピソードばかりで、ついワハハハと大笑い。これも母の人徳であろう。

    08月23日(金) 通夜

     郷里から親戚が集まり、自宅で納棺。その後、斎場に移動して通夜。仕事関係は通夜と葬儀の関係で締切に影響が出てしまった2社だけに連絡していたのだが、それにも関わらず多数の仕事関係の方々が参列してくださる。昔、母の手料理をともに食べていたマンガのアシスタントたちも集まってくれ、いつしか同窓会のように。「私が死んだら宴会をやってくれ」が口グセだった母も喜んでいることだろう。斎場の規則で夜通しで遺体の側につくことができないため、親戚は自宅と近所の旅館に分宿。自宅に泊まった従兄弟と深夜まで酒を飲む。旅館に泊まった従兄弟たちも久しぶりに会ったために夜中まで話がはずみ、旅館の人から静かにするよう注意を受けたらしい。

    08月24日(土) 葬儀

     午前11時から葬儀。正午に出棺。堀之内の火葬場でお骨にしたあと初七日の法要をすませ、自宅に遺骨を持ち帰る。親戚が線香を上げて帰ると、とたんに家の中が静かになり、疲れがあふれ出る。切羽詰まった締切があるため、とりあえず疲れを取ろうと早めに就寝。明日からは平常……つまり仕事で慌ただしい日々に戻ることにしよう。

    08月25日(日) 霊園見学

     葬儀が終わったばかりだというのに新聞に近所の霊園のチラシ広告が入ってきたのを幸いとばかりに見学に出かける。徒歩20分くらい。自転車なら10分もかからない場所。いかにも東京らしい狭く小さな墓地だったが、近いのが一番とばかりに予約してしまう。帰宅後は深夜までマンガの原稿を追い込む。

    08月26日(月) 雑用が多くて仕事が進まない

     朝から銀行やら郵便局やらを回り、あれこれ母の死後の手続き。午後から仕事に集中するが、来客も多く能率が上がらない。霊園の担当者も来てくれて墓石ローンの手続き。

    08月27日(火) 今日も雑用

     戸籍関係の書類を取りにクルマで練馬区役所の石神井庁舎へ。ここで間に合わない用事もあって練馬の本庁舎までクルマを走らせる。帰宅後は必死に原稿。夕食後、諸手続に必要な書類を書く。期限が区切られているものが多いので焦らなくてはいけない。
     夜、母の遺品の一部を整理していたら、ボクの小中学生時代の成績表が出てきた。うーん……恥ずかしい。あららガリ版時代の石(ノ)森章太郎ファンクラブ会報『風のたより』が出てきた。35年くらい前のだな、これは……。

    08月28日(水) 仕事に励む

     ひたすらマンガの原稿。このところ早寝早起きのため、仕事のペースが上がらない。おまけにエアコンが壊れてしまい、汗だくで仕事の能率も悪い。一昨日のデパートの葬祭担当者の来訪を皮切りに、引き出物のカタログが次から次に届く。どこからか葬儀の名簿が流されているのだろう。そのほかに細かい戸籍関連の手続きなどがあるため、昼間は仕事に専念できないのが困る。しかし、この体験は小説のネタにもなりそうなので、面倒でも丁寧に手続きを進めていく。

    08月29日(木) 久しぶりの水泳

     ケーブルテレビのアダプターが壊れたようで、ノイズがひどくテレビが見られない。ケーブルテレビ会社に電話を入れ、修理の依頼をしたが、おそらくアダプターの交換になるだろう。
     午後、近所の方、郷里の方が、母の霊前に線香をあげにきてくださる。夜は仕事で座りっぱなしのために痛んできた腰を伸ばすため、久しぶりに水泳。600メートルほどを軽く泳ぎ、あとは水中ウォーキング500メートル。帰宅後、また仕事。

    08月30日(金) ショッピングで吉祥寺に

     午前中にケーブルテレビの修理。やはりアダプターが壊れていて新品に交換したらきれいに映るようになった。
     区役所の出張所、郵便局などを回った後、夕方から家族で吉祥寺へ。いま取りかかっている仕事はマンガの原稿で、家族総出の家内工業状態で執筆しているのだが、スクリーントーンが足りなくなってユザワヤへ買い出しに出かけたついでに夕食まですまそうということになる。葬儀のあと、カミサンもずっとマンガの手伝いで、食事も簡単なものが続いているため。とりあえずユザワヤの画材売り場でトーンやマンガの原稿用紙などを購入し、ビーズを買いたいというカミサンと娘たちと別れて一人でB1の模型売り場へ。地下へのエスカレーターに乗ったとたん編集者から携帯にTEL。地下に向かっている途中だったため、応答した電話は感度がどんどん悪くなる。しかたがないので通話を一度切って、地上に戻った後、電話をかけ直す。雑誌の座談会についての連絡で、夜、地図が送られてくるらしい。
     再び地下1Fの模型売り場に戻ると、な、なんと、まるでワタクシが現われるのを待っていたかのようにショーウィンドウの中に1/18のアウトウニオン・タイプDのスケールモデルが。こんな渋いスケールモデルは、どこの国のものだろうと思ったら、やはりドイツ。1938〜39年にかけてヌヴォラーリたちが乗って活躍したリアエンジンのグランプリカーで、昨年購入したイタリア製のアウトウニオンに比べると、ずっと大きく値段も高い(23,000円だった)。現金の持ち合わせがなかったが、えいやっとクレジットカードで購入。まだ完成していないグランプリ小説の景気づけにしよう。カミサンも「仕事の励みになるのなら」と、こんなオモチャの購入にも理解があるので助かります。もっとも実に精巧に出来ているので、小説の描写にも役立つこと間違いなしだ。写真や図面を見ているよりも、立体の模型を見ている方が、ずっとイマジネーションが湧いてくる。

     ショッピングの後はバーミヤンの中華料理を食べたいという娘たちがリクエストするので、クルマでバーミヤン探しの旅に。吉祥寺に近い五日市街道沿いにバーミヤンのネオンを発見し、クルマで接近してみると、これがコンビニのネオンでガックリ。紫とピンクのネオンでそっくりで、まぎらわしいったらありゃしない。そのまま直進したあたりでバーミヤンを見た記憶がおぼろげにあったのでクルマを走らせると、みごとにピンポン! 武蔵野市の緑町にバーミヤンを発見し、ここに入ることにした。この店を見た記憶があったのは、昨年の11月、この近所にある武蔵野中央公園で開催された紙飛行機の競技会を見学した後でバスで吉祥寺に向かう際、窓外に見た光景を覚えていたものらしい。
     北京ダックやら回鍋肉やらと、久々のまともな食事(?)で満腹。帰宅と同時に居眠りしてしまった。

    08月31日(土) マンガ家仲間と座談会

     朝からマンガの原稿に専念した後、夕刻、池袋の居酒屋でマンガ雑誌「トラマガ」用のマンガ家座談会。出席者は桜多吾作、のむらしんぼ、すがやみつるの3名。ディープな業界話も交え、2軒の居酒屋をハシゴしつつ6時間以上も座談とも雑談ともつかないお喋り大会。これを記事にまとめるのは至難の業になりそうで、編集者の苦労が偲ばれる。オフレコ話も多いので、ゲラのチェックを慎重にやらないと……。
     終電車で帰宅しケーブルテレビでフォーミュラ・ニッポンの予選を見ているうちに居眠り。フジテレビのF1ベルギーGP予選を見損ねてしまった。


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