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  • 1999年12月下旬の日記
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    12月21日
     昨夜は、うちのコピーマシンが壊れてしまったため、娘の同人誌の原稿をスキャナーで取り込み、これをPageMakerで編集してレーザープリンターで出力させられた。冬コミ用でもなさそうだが……。
     朝起きてメールのチェックをすると、来年とりかかる某社の企画に最終的にゴーサインが出たとのメールが届いていた。編集会議、役員会議ではOKが出ていたのだが、めでたく社長決裁も通ったとのことで、晴れて出版にゴーサイン。これで来年の前半もほぼ埋まったかな……。
     というわけで来年は早々から忙しくなりそうなので、来年2月締切の架空戦記を年内には終わらせようと、喫茶店をハシゴしながら原稿書き。途中で携帯に電話が入り、依頼のあった別の出版企画もほぼまとまる。こちらの企画は、大きな作業はないので少しホッ。
     途中でラーメンを食べ、再び別の喫茶店で原稿。1軒目の喫茶店が暗かったせいか、目が疲れてしまった。

    12月22日 腰がイテテ
     腰の痛みで午前中に目覚めてしまう。某出版社の編集者から頼まれた拙著を段ボールに詰めて宅配便で発送。これは来年出版される予定の本の参考資料。ついでにマクドナルドに出かけて原稿書き。帰宅後もせっせと原稿。
     小学館から届いた「週刊ポスト」に、ぼくもアンケートを送った20世紀最高の美女特集が。ジュディ・ギーソンなんて女優を1位にしたのはぼくだけらしく、「オレにも言わせろ! ランキング外極私的ベストワン」という欄外にコメントとともに掲載されていた。栄光の第1位はイングリット・バーグマン。2位にオードリー・ヘップバーン。ヘップバーンには票を入れたんだけどなあ。この2人が競り合って1、2位となり、つづいてマリリン・モンロー、吉永小百合の順。吉永小百合の初期の作品はほとんど見てるんだけど、小学生だったから美女だなんて思わなかった。

    12月23日 今日も腰がイテテのテ
     今日も腰の痛みで早起き。午前中は家で原稿を書き、午後、喫茶店で原稿を書いた後、たまにはプールで泳ごうと思ったら、なんと今日は天皇誕生日の祭日ではないか。平日会員のオイラはプールを利用できないのであった。おーい、天皇誕生日って4月29日じゃなかったっけ? あ、あれは昭和の話か……。
     しかたないので本日に繰り上がった我が家のクリスマス・パーティーのため、1本470円のワインを赤白1本ずつ買って帰宅。
     クリスマスとはいっても母親は朝から麻雀大会、下の娘はバイトで留守。カミサンと上の娘の3人だけでワインで乾杯。食べ過ぎてカミサンの作ったケーキは後まわしにする。

    12月24日 火事で睡眠不足なのに徹夜でカラオケ

     明け方まで仕事して午前5時過ぎに布団にもぐったのだが、午前8時過ぎ、消防車のサイレンの音が近所で停止し目が覚める。以前、やはりサイレンの音にあわてて飛び起きたら、枕元のオアシスポケット3を踏み潰してしまった苦い経験があるため、足下を確認してから雨戸を開けてベランダに出ると、隣の家の向こうから黒煙がモクモク。あじゃ、火事はすぐ近所だと思って階下に降りると、朝食のしたくをしていたカミサンは、すでに外に飛び出したあと。しかもガスコンロにはヤカンをかけっぱなし。火事を見に行っている間に自分の家が火事になったのでは、シャレにならないので、ガスを止めてから外に飛び出す。パジャマの上下に半天をひっかけただけの情けない姿。
     火事は100メートルほど離れたお宅で、階下から出火したらしい炎は、すでに2階にまで燃え移っている。消防車は到着しているものの放水はまだ。見ているうちに放水が始まったので、消火活動の邪魔にならないよう家に戻ることにした。子供の頃は、近所に火事があると、鳶職をしていた腹違いの兄が、バケツで水をかぶっては、火事の家に飛び込んで、家財道具の運び出しに活躍していたが、いまは、近所で家財道具の運び出しをするようなこともないらしい。
     1時間ほどで鎮火したので、もういちど布団に潜るが、家族が留守になり、そのあいだに何度も電話が鳴る。布団から出て電話を取ろうとすると、そのときにはもう電話が切れている……の繰り返し。ろくに寝られず昼過ぎに布団から出て、眠い目をこすりながらパソコンに向かい原稿書き。
     夜は新宿で、毎年恒例の石津嵐生誕記念パーティーがあるので、途中の喫茶店で仕事をしようとノートパソコンと補助バッテリーをリュックサックに入れ、さて出かけようとすると電話が立てつづけに鳴る。さらにi-mode携帯電話にメールの転送設定をしてあったため、携帯電話も『ゲームセンターあらし』の着メロを奏でてばかり。電話もメールも編集者からで、打ち合わせの相談や「よいお年を」の挨拶電話&メール。今日で年内の出社も最後になる会社もあるらしい。
     やっとこさ電話とメールが一段落し、武蔵関駅まで歩いて西武新宿線で西武新宿駅まで。パーティーまで時間のゆとりがあるので、各駅停車の電車に乗って、車内で原稿を書く。西武新宿駅到着後も、パーティー会場ちかくのコーヒーショップに飛び込んで、そこで原稿を必死に書く。来年2月中旬が締切の原稿を、なんとか年内にメドをつけたいため。
    宮本昌孝と記念撮影  午後7時、パーティー会場のレストランに向かい、もう20年以上も連続して続いている石津嵐(現・時代小説作家の磐紀一郎さん)の誕生パーティー。司会は、石津さんの弟子でもある現・人気時代小説作家の宮本昌孝が、やはり20年以上も連続して担当。宮本は、我が社の社員だったこともあり、『ゲームセンターあらし全百科』などは、彼にまとめてもらっている。(写真は司会役の宮本昌孝と。内輪の気楽な会なので、オイラは無精髭も剃らずに出席)
     虫プロ時代、石津さんの部下だったSF作家の豊田有恒さん、アニメ界の重鎮の石黒昇さんたちも例年どおりに出席してワイワイガヤガヤ。今年はメンバーの中で10年ほど前に山形に引っ越した中華料理店経営者の子供たち4人(高校3年生から小学生まで)が、青春18切符を使って上京し、両親の代理でパーティーに出席。東京で2、3日遊んだ後、さらに鈍行列車を乗り継いで、鹿児島まで行くのだそうで、いまどき珍しい冒険旅行に一同感激し、カンパを募って餞別をわたす。
     2次会は、いつものように高円寺に流れ、3次会はカラオケ。石津さんの娘で、「NHK衛星アニメ劇場」でアニメのお姉さんをやっている女優兼声優の石津彩やT間書店、T島出版の編集者も一緒になって、朝まで喉が枯れるまで歌いまくって解散。アメリカから帰国したばかりの高齋正明クンと一緒にタクシーで帰宅。今回、高齋クンのお父さんは、今日、海外から帰国したばかりで欠席。さすがに眠い。

    12月25日 ノートパソコンのバックライトがおかしい

     昨日から愛機レッツノートAL-N2のバックライトが不調。画面の左側が暗くなってしまい、原稿を書くのにも不便。問題があるのはバックライトだけと思われるが、修理に出すと液晶ごと交換されて高くつく公算が大。バックライトの冷陰極管だけ交換できれば安くつくはず……とレッツノートをバラしてみると、あじゃ、小型軽量化のためか、液晶ディスプレイと陰極管の一体型ユニットだ。しかたないのでキーボードを交換したときのように部品だけ購入して、自分で交換することにして部品の型番をメモし、とりあえず元どおりに戻して使っていたら、あれれ? いつのまにか暗かった画面が明るくなっている。
     ノートパソコンの分解と組立をしていて外出するタイミングを逸し、結局、原稿が進まず。ヤバいなあ……。ちなみにパソコンを自分で分解すると保証が受けられなくなりますので、よい子はマネしないこと。

    12月26日 喫茶店で聞き耳立てつつ原稿を書く

     昨夜は早く寝てしまったため、午前9時前に起床。午前中はインターネットなどして、午後からリュックサックにレッツノートと予備バッテリーを詰めて、自転車で喫茶店に出撃。1軒目でパカポコとキーを叩いていると、2つほど向こうの席から出版関係者らしき人の会話が聞こえてくる。同じ出版とはいっても、どうもアカデミックな方面の出版らしい。しかし、昨今の不況の荒波をかぶっているのは、硬軟どちらも同じらしい……なんてことを小耳に挟みながら原稿を書いていたら、いきなり知っている……どころか本も出してもらったことのある小さな出版社の話題が。しかも、そこの社長の名前まで出てきて、経営が苦しくて大変らしいとか……。まあ、そんな話は、どこの出版社でも同じことだし、その会社からは、ちゃんと印税も払ってもらっているので、いまさらどうでもいいのだが、知っている固有名詞が出てくると、原稿を書くスピードが落ちるのは人情というもの。そそくさとレッツノートをリュックサックにしまい込み、次の喫茶店に移動する。
     途中、自転車に乗りながら、携帯電話で家に電話して、カミサンに有馬記念の結果を訊く。一昨日の石津嵐生誕記念パーティーでは、毎年、会費の中に有馬記念の特券1枚分が含まれて、あらかじめ購入してあった馬券を配布するシステム。今年もらったのは「10-11」(馬連)だが、残念なことに、みごとに大ハズレ。
     2軒目の喫茶店でシコシコと原稿を書き、キリのいいところまで上がったところで、書店に移動。読む時間がないので、書店で一部を立ち読みですませていた『痛快! コンピュータ学』(坂村健/集英社/1,700円)をあらためて購入。昔、『こんにちはマイコン』という日本初のマイコン(パソコン)入門書で、本当にやりたかったのは、『痛快! コンピュータ学』の前半にある「コンピューターの原理」の部分でもあったのだが、ハードウェアの話はむずかしすぎるから……と、ボツになったのであった。この本を読んでいると、20年以上前、コンピューターの理屈を知ろうと、TI(テキサス・インスツルメンツ)のLS74シリーズのICを買ってきて、「AND」だの「NOT」だの「NAND」などの回路を組んで、発光ダイオードを点滅させていた頃が思い出され、懐かしかった。初期の『ゲームセンターあらし』に出てきた「ビッグコンピューターをやっつけろ!」の巻に登場した、安藤、能登、納戸……といったコンピューター科学者の名前は、この論理回路からいただいたものだったのだ。
     ほかに『まんが原作者インタビューズ』(伊藤彩子/同文書院/1,300円/面白いが誤植多し)、『マンガはなぜ面白いのか』(夏目房之助/NHK出版/880円)などを購入。
     帰宅後、読書しつつプレイしたレッツノートの麻雀で、四暗刻単騎待ちを積もり役満!

    12月27日 最後の忘年会

     午後、打ち合わせに出かけるつもりで支度をしていると、打ち合わせ予定だった編集者から電話。昨日、転んで頭を打ち、これから病院に検査に行くので、打ち合わせをキャンセルしてほしいとのこと。あらら大変というわけで打ち合わせは延期。突然、時間が空いてしまったので、原稿次第だった最後の忘年会に出かけることにする。
     少し時間が空いたので、会場近くの中野ブロードウェイ内の喫茶店で原稿書き。しかし、睡眠不足のせいか眠いのなんの……。眠気が我慢できなくなり、喫茶店を出てブロードウェイ内の「まんだらけ」や明屋書店などを覗いて時間をつぶし、その後、忘年会の会場へ。
     出席者は官能小説作家、ファンタジー小説作家、マンガ家など総勢10人ほどで沖縄料理。原稿もあるので一次会だけで失礼し、高円寺に移動して喫茶店で原稿。そのあとで馴染みの店に寄り込んだら、あらら、磐紀一郎(石津嵐)親子が入ってきた。電車のあるうちに帰ろうと思っていたのに、つい話し込んで、店を出たのは午前1時すぎ。駅前で石津親子と別れ、空腹を覚えたので、ひとりでスパゲッティを食べて帰る。
     帰宅後、まだ起きていた娘の報告で、カミサンがインフルエンザにてダウンしたことを知る。

    12月28日 体重を減らさねば

     昼過ぎまで寝て起きたが、いちど起きていたカミサンは、熱のために再びダウン。こちらは原稿もヤバいので、ファミレスに出かけて鍋焼きウドンを食しつつ仕事。その後、久しぶりにスポーツクラブに寄り、プールでウォーキングと水泳。忘年会つづきの不摂生で、体重が過去最高。1時間ちかくの運動で、とりあえず600グラムほど体重が落ちた。
     帰宅するとダウンしたカミサンに替わって上の娘が夕食を作ってくれてあった。ダイエットしなければと思いつつ、つい娘の作ったハンバーグを食べてしまう。ああ、また運動しなければ……。

    12月29日 cgiに挑戦してみたものの……

     早起きしてテレビ東京で正午からスタートした「次郎長三国志の見どころ」という正月12時間連続時代ドラマのPR番組を見る。次郎長が明治になってから開拓した我が故郷の次郎長開墾も取材されたそうで、従兄弟が、あちこち案内役をしていたらしいとのことだったので。でも、従兄弟は画面には出てこず、富士山をバックにした広い畑と家がチラリと映っただけだった。ま、テレビってのは、こんなものですね。
     年賀状を印刷しようとしたらプリンターのトナーが切れてしまい、クルマでヤマダ電器まで買い出しに。うちのレーザープリンターはエプソンのLP-8200なんだけど、エプソンのトナーは外箱に対応機種が書いてないため、調べてもらうのに時間がかかる。ほかのメーカーは、ちゃんと対応機種一覧が外箱に貼りつけられていたのに……。
     ついでに「INTERNET Magazine」(インプレス)を買って、デニーズで食事しながら読んでいたらcgiの記事が載っていた。@niftyもホームページを引っ越してからcgiが使えるようになったので、家に帰ってから、ちょっと試してみることにする。
     しかし、ちょっとのつもりが徹夜になるのは、いつものこと。あれやこれやと試していたら、あっというまに朝。
     とりあえずアクセスログの解析を試してみたのだけれど、このホームページに来る人は、全員がIE4かIE5。自動巡回ソフトの人もいたけどNetscapeは1人もなし。最近、Netscapeのシェアが激減しているのは知っていたが、これほどとは……。

    12月30日 Netscapeユーザーの方、ごめんなさい

     年賀状の印刷もしないで今日も、新しいホームページのデザインにヒイヒイ。夕方、仕事に戻ろうと思ったら「すがやさんのホームページがJavaScriptエラーで見られない」とのメールが届く。Netscapeのユーザーが1人も来ないのは、このせいでは……とNetscapeでチェックしたらピンポーン! フレームの中に書かれたJavaScriptの命令を受けつけてくれないらしい。しかたがないのでフレームをやめることにする。
     そんなこんなで今日も仕事にならず。年内に書き上げる予定の原稿は、まだ半分ほど。実際の締切は2月なんだけど、正月明け一番には終わらせないと……と大反省。

    12月31日 年賀状だあぁぁぁッ!

     締切が先の仕事は能率が悪い……と言い訳しつつ、起き抜けからホームページ作り。正式公開はまだだけど、興味のある人はこちらへどうぞ。お年玉の画像もあるぞ!

     午後、高齋正さんのお宅に、昨日いただいたお餅やお節料理用の食材などのお礼を兼ねて、我が家の畑でできたネギやオフクロさんの作った手打ちソバなどを届け、その足で酒屋に正月用のお酒の買い出し。
     帰宅後は年賀状作りに専念するはずが、またもやホームページのチェック。Netscapeでもキチンと見えるようにするには、せっかく習い覚えつつあったスタイルシートなども制限されてしまう。スタイルシートを最低限に減らし、HTMLのタグでシコシコと、なるべくどちらのブラウザーでも見えるように作っていく。そろそろテキストエディターで、シコシコとタグを書いていくのは限界かなあ?
     というわけで、紅白歌合戦を見ながら、これを書いています。
     皆さん、来年もよろしくお願いいたします。
     さあ、年賀状つくりで越年だ!


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