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  • 1999年10月上旬の日記
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    10月01日
     昼過ぎに起きると、ウランを溶かすのはステンレスのバケツを使っていたという。な、なんじゃ、そりゃ。唖然としてしまう。
     もう人災なんてもんじゃない。いくら安全を確保された施設でも、危険なものを扱うのには変わりがないのだ。そもそも原子力に関わる人たちは、鉄道、航空などの公共交通機関や電力、ガス、水道などのライフラインにも関係した公共性の高い仕事に就いていることを自覚するべきだろう。最近、モラルの欠如が問題にされるが、モラルはプロ意識から醸成されるものでもある。警官の不祥事なども含め、「人に見られていることを意識する職業」でもある。最近、そんな「人の目」を忘れてしまっている公共的な職業に就く人が増えているように思えてならない。
     事故の報道を追いかけていたために、すっかり遅れてしまった「週刊小説」のイラストを夜になってから上げる。

    10月02日
     半径350メートル以内の住民に対する避難勧告もやっと解除。このニュースを追っていて、今日も結局、仕事にならず。この事故が、こんなに気になるのは、10年ほど前から4年にわたって週刊誌に『エネルギーを考える』という電事連のPRマンガを連載していたからだ。このマンガの取材のために、東海村も何度も訪れている。燃料製造過程については、同じ東海村の別の会社を取材したが、動燃の再処理工場も2回訪問。原研のガス炉にも出かけている。
     他に国内で訪問した原子力施設は、六ヶ所村、浜岡原発、美浜原発など。海外では、スウェーデン、スイス、フランス、ロシア、アメリカ(スリーマイル含む)の原発を取材し、ウィーンの国際原子力機関(IAEA)も訪れた。そんな経験もあるために、原子力関連の事故は他人ごととも思えないのだ。

    10月03日
     さすがに原稿をやらないとヤバい。ファミレスに出かけて原稿に専念する。
     夜、帰宅後は、フジテレビでフォーミュラ・日本第9戦を見た後、NHK‐BS2で石原裕次郎主演の「零戦黒雲一家」を見る。自衛隊が全面協力し、種子島のオールロケで撮影された作品だ。公開は、ぼくが小学5年生くらいのとき。母親が日活系の映画館に勤めていたので、顔パスで公開中の1週間、毎日通って7回みた映画。主題歌も覚えていた、裕次郎の声に合わせて歌ってしまった。

    10月04日
     編集者からついに原稿の催促。ウラン燃料工場の事故に関する情報を追いかけていて、仕事がすっかり遅れている。心を入れ替えて仕事せねば。

    10月05日
     気合いを入れて仕事しようと吉祥寺に出かけて喫茶店をハシゴしながら仕事。バッテリーが2セットなくなるまで粘り(約6時間)、なんとかノルマの枚数をあげる。これで気分が良くなり、ふらふらと高円寺へ。飲み仲間と3軒ほどハシゴして明け方帰宅。

    10月06日
     涼しくなってきたせいもあって8時間以上グッスリ。今日は車でファミレスに出勤し、ひたすら原稿。バッテリーがなくなり、帰宅後、充電しつつ、また原稿。

    10月07日
     運動不足なので、徒歩で保谷駅まで出て、電車で大泉学園まで。ノートパソコンと資料の本を詰めたリュックサックを背負って歩くと、背中が汗でぐっしょり。喫茶店を3軒ハシゴして原稿を進める。
     帰宅後、充電しながらノートパソコンで原稿を書いていると、バッテリーの警告用発光ダイオードが点滅。充電で異常があったらしい。ニフティサーブのフォーラムでチェックすると、けっこう起きる現象らしい。とりあえず完全放電させてみるがバッテリーは回復せず。もう1セットのバッテリーはOKだが、これでは外に出かけて原稿を書くには心細い。とにかく、もう一晩充電してみてから考えよう。

    10月08日
     一晩充電したが、まだバッテリーの発光ダイオードがピカピカ。これでは外に出かけて仕事ができない。仕事部屋にもデスクトップパソコンがあるが、仕事部屋の蛍光灯6本のうち3本が切れているため、暗くて目に悪い。とにかく仕事部屋でも仕事できるようにしようと、クルマでヤマダ電気まで蛍光灯の買い出しに行く。ついでにFAX用紙(なんで30メートルしかないんだ。100メートルのがほしい)とタックシール用紙を購入。
     帰宅後、仕事部屋の蛍光灯を交換し、なんとか仕事ができる態勢に……。さあ、今夜も仕事だ。


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