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  • 1999年6月中旬の日記
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    06月11日
     夕方から喫茶店を2軒ハシゴして原稿。目の調子が悪くて能率上がらず。帰宅後、午後11時からニフティサーブ「オートレーシング情報フォーラム」にて、ルマン24時間の速報を担当。久々にインターネット経由でフランスのミニテルにアクセスし(専用エミュレーターソフト利用)、ルマン24時間の主催者ACOのサイトで情報収集。ここは料金がデポジット制なんだけど、2年前に払った前払い金が、まだ生きていた。
     ほかにコンピュサーブのモータースポーツBフォーラムからも情報収集。こちらではイギリスから2人、スイスから1人が速報を担当してくれていた。私も1985年以来、ここの日本担当スタッフをつづけている。
     午前5時、SysOpの新倉さんとバトンタッチして、しばし睡眠。

    06月12日
     昼前に起床し、喫茶店に出かけて必死に原稿。午後6時からルマン24時間レースの速報に復帰。遅れていた「週刊小説」のイラストも描いて送信し、1時間ごとの結果をニフティサーブ「オートレーシング情報フォーラム」へ。イラストの仕事もあったので仕事場のデスクトップ機を使っていたら、Windows 98ではミニテルのエミュレーターソフトが動かない。ミニテルのサイトにいってみると英語のページが消えている。フランス語の説明を適当に解読すると、どうやらWindows 98には対策用dllをダウンロードしてインストールする必要があるらしい。そんなことをしている暇はないので、サブノートを開いてミニテルには、こちらでアクセス。
     ACOの公式掲示板のリアルタイム・タイミングモニターを見ていたら、おおおっ、2位につけていた日本人トリオ(片山右京/鈴木利男/土屋圭市)が、トップのBMWを猛烈な勢いで追いかけている。1周遅れだったのが同一周回になり……で、合間にゲラを見るはずが、見ている暇もない。
     モニターの前で、「行け! 抜け!」と念を送っていると、右京夫人からも、やはりドキドキハラハラで落ち着かない……とのメールが飛び込んでくる。つづいて熱烈右京ファンで、応援ホームページも開催している女性Sさんからもメールが。みんな思いは同じ。なんで、こんなところをテレビ朝日はナマでやらないんだ! 日曜映画劇場は、ルマン24時間のときだけは休みにしろ!
     こんな思いをしたことが前にもあったなあ。そうだ、あれは1994年のルマンだった。やはり、モニターの前でジェフ・クロスノフ(故人)、エディ・アーバイン、マウロ・マルティニの3人が乗ったサード・トヨタがトップを走っているときだった。このまま行け、最後まで走りきれ、と必死に念を送っていたら、ゴール1時間前にトラブルでマシンがストップ。乗っていたジェフが故障個所を自分で直してピットまでマシンを持ち帰り、修理をすませたマシンでアーバインが猛烈な走り。3位まで落ちていた順位を2位まで回復したところでチェッカーとなった。その直後、ルマンにいたジェフから「It was 24 Heures Demon!」という題名のメールが送られてきた。ルマン24時間レースは、フランス語では「24 Heures du Man」。「du Man」の発音は「ドゥ・モン」で、これを「Demon」に引っかけた題名だ。しゃれっけのあるジェフらしい題名だったが、彼にしてみれば、ドライブシャフトのピンが飛ぶというつまらないトラブルで優勝を逃しただけに、まさに「ルマンには魔物が棲んでいる」という心境だったのだろう。
     なんてことを思い出していたら、今年もやってきました、魔の残り1時間! 残り1時間を切ったところでトップを追い詰めていた右京選手ドライブのトヨタTS020が、何とタイヤバースト。これでボディも痛めてスロー走行でピットイン。この瞬間、トヨタの総合優勝の目は消えたのであった。もう愕然、消沈、ガックリ。
     それでも日本車/日本人の過去最高位だ。数年前までは、こんな表現にも白々しいものがあったが、昨年、ニッサンの日本人トリオが表彰台に立ってからは、事情がちがう。日本車/日本人の過去最上位でもいいじゃないか……と気を取り直して、結果の速報だけニフティサーブに送ると、サブノートPCを抱えてテレビの前に移動。もちろん1時間20分遅れ(野球のために放映時間が20分遅れた)でスタートするテレビ朝日のルマン中継を見るため。痛恨のタイヤバーストをテレビで見て、またガックリしながらもレース結果などを収集しながらテレビを見る。
     ゴール後の表彰式では、去年と違って日本人3人は、優勝したBMWのためにドイツ国家が流れたとき、ちゃんと脱帽しておりました。うっかりしていた土屋選手には、右京選手が注意していましたが。このあたりがF1というヨーロッパのレースに出ていた経験の差でありましょう。昨年は、星野一義/影山正彦の両選手が脱帽しなかったので、アジャと思ったものでありました。やはりヨーロッパのレースなんだから、そこはヨーロッパの伝統に従わなくちゃいけません。
     ルマンが終わると、こんどはフジテレビでF1カナダGPのナマ中継。今回も解説は川井ちゃん。現地リポートもないところを見ると、お台場でボイスオーバー(スタジオで音声をかぶせる。ぼくのやっていたスポーツi・ESPNのCARTレース中継も同じ)らしい。ヨーロッパラウンド以外は、この方法なのかなあ。それだけ予算が厳しいんでしょうね。
     追い抜きシーンがなくて居眠りしそうになるF1レースだが、ナマ中継となると話は別。いつ追い抜きがあるか……と、つい最後まで見てしまう。今回はクラッシュ続出でセーフティカーが3回入る。アメリカのレースなら、最後のセーフティカーは、ゆっくり走って、最後に1周だけのレース……という見せ場を作る可能性が大なんだけど……。もっともノロノロ走行するとオーバーヒートしてしまうF1では無理な相談か。
     今回のスターは何といってもアーバイン。クルサードと接触して8位に落ちた後の走りは、94年ルマン24時間レースの再現かも。
     F1カナダGPの結果をニフティサーブ「オートレーシング情報フォーラム」に送り、あわててゲラのチェックに入る。しかし、午前9時までかかっても終わらない。目が霞んで老眼鏡をかけても効果がないためだ。しばし仮眠をとることにする。

    06月13日
     3時間の睡眠で飛び起き、ゲラの続き。今回、原稿の量が多かったので、チェックにも時間がかかる。夕方6時30分の予定が10分ほど早くバイク便がゲラを取りにくる。おかげで最後の数枚を見られず。ゲラを渡した後、残っていたファイルで原稿を確認し、あと3ヶ所ほどミスを発見し、こちらはメールで送信する。
     夕食もとらずにファミレスに出かけ、書きかけの架空戦記の原稿に復帰。しかし、さすが睡眠不足がこたえ、バッテリー1セット分(2時間半)でダウン。家に戻ってからもパソコンに向かうが、能率あがらずダウン。

    06月14日
     ただひたすら原稿。狭山市まで遠出し、アイホップでワッフルを食べながら原稿。帰途、ジョナサンで、また原稿。

    06月15日
     昨日に同じ。今日はマクドナルドにデニーズ。デニーズでは夏メニューのナメコオロシソバ。

    06月16日
     変わりばえしない毎日。夜中になってから少し遠めの富士見台のジョナサンまで行って原稿。遠くの店なら、帰るのが面倒なので、原稿が進むだろうと思ってのこと。ここでも、この日から夏メニュー。冷麺を食べる。

    06月17日
     本当に変わりばえしない毎日。ホームページの更新をさぼっていたため、高円寺の飲み友達のTさんが、寝込んでいるのではないかと心配してメールを送ってくれる。肩凝り、腰痛がひどく、全身トクホン状態ですが、なんとか生きてます。
     このところ午後9時頃になると眠気に襲われ、我慢できずに仮眠を取り、その後、夜中にファミリーレストランへというパターンがつづいている。今日は東伏見のジョナサン&関町のマクドナルドと青梅街道沿いを攻める。今日で終わらせようと思ったのに終わらない。目がショボショボで少しだけ寝ようと思ったら……8時間も寝てしまった。

    06月18日
     朝6時に寝て、目が覚めたら午後2時。「すずらん」も見られなかったぞ。せめて夕方まで原稿を終わらせようと思ったが、たくさん寝たのに目が不調。能率が上がらず、とうとう夜に突入。これではダメだと逆上して、大泉のデニーズへ。豚骨ラーメンを食べながら原稿を書くも終わらず、さらに大泉学園町のジョナサンへ。ベークドチーズケーキとコーヒーで粘り、ひいこらと原稿を書くが、隣のテーブルにポータブルMacを持った3人連れが。隣でパソコンの話なんかしないでくれ〜、こちらは原稿が〜……と心の中で叫びながらも必死にキーを打つ。隣のお客も帰って最後の追い込み。午前3時半にやっと終わる。
     帰宅して、作者の言葉も書いて、資料用の地図の画像と一緒に原稿を送信。これで休みが取れる。バンザイ。ちょっと仕事がハードだったので、今月いっぱいは休養にあて、ゴロゴロします。読みたい本も溜まっているし、見たい映画も始まるし……。
     というわけでおやすみなさい。

    06月18日
     仕事が一段落して脱力。読書とテレビでゴロゴロ。夜はフジテレビで「エイリアン3」を鑑賞。エイリアンも見慣れたせいか、あまり怖くない。
     夜中から、ニフティサーブ「ほん・まるしぇ」用のファイル作りに入る。まずはレース小説の『灼熱の走路』から。第1巻を一太郎に読み込んでプリントアウトし、ガシガシと赤を入れて文章の手直しをする。

    06月19日
     昨日に引き続き「灼熱の走路」第1巻の赤入れ。4年前の作品なので、文章の言い回しなどに気になる部分があるが、それでも、いま書いている架空戦記に比べれば、視点も決まっているし、実に素直な文章。有楽出版社の架空戦記シリーズは、古色蒼然のセピア色みたいな感触を出したくて、昔の講談調時代小説のような文体を使っているのですが、やはり持ってまわった言い回しなどで無理しているため、ゲラのときに真っ赤っかになってしまうのであります。
     今日は父の日とのことで、夕食時にワイン。いい心持ちになったので、仕事はせずにテレビを見る。NHKスペシャルと「進ぬ電波少年」。

    06月20日
     たまには運動を……と思ってプールへ。体重を量ったら史上最高ではないか! これはヤバいと、せっせと泳ごうと思ったら、200メートル泳いだところでゴーグルのゴムひもがブツリ! しかたないのでウォーキングでお茶を濁す。
     帰宅後、「灼熱の走路」の赤入れの続き。明け方に終了。


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