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  • 1999年1月中旬の日記
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    01月11日
     ひたすら原稿。

    01月12日
    「週刊小説」からSOSの電話。明日が締切だと思っていた原稿は、先週の水曜が締切だったんだそうで、あわてて原稿にとりかかる。イラストも今日中に上げて送らないといけない。年末進行で1週間早く原稿を入れていたので、勘違いしてしまった。

    01月13日
     何の変哲もなく、ただひたすら原稿を書く。
     深夜にメールが1通。なんと1982年に一緒にル・マン24時間レースの観戦に出かけた人から。昨年、パソコンを買って、ニフティサーブに入ったとか。当時23歳だった彼も、今や40歳。1982年にル・マン24時間レースに出かけた帰りの機内で、ぼくは、ひたすらパソコンの本を読んでいたとか(本人は忘れていた)。で、思い出したのが、帰りのトランジットで立ち寄ったヒースロー空港の売店で買ったコンピューター入門書。イギリスBBC放送が、子供向けに出したコンピューターの原理を解説した本。この1年ほど前に、イギリスで、この子供向けのコンピューター入門書が大人に読まれてベストセラーになっているということを朝日新聞読書欄の記事で知り、子供向けのマンガ版マイコン入門書を描けば、大人にも読まれるのではないかと考えて書いた企画書が、1年以上経った後、「こんにちはマイコン」になったのでありました。
     ル・マン24時間レースの帰途、その現物の本を見つけて買ったものの、当時は英語などチンプンカンプンで、帰国後、自費で翻訳してもらい、「こんにちはマイコン」を描くときの参考にもしました。この本は、その後、光文社のカッパブックスで翻訳出版されましたが、原書にあった豊富なイラスト、写真がなくなり、かわりに南伸坊氏のイラストが載っていただけ。翻訳したものの、図版がないために、かえってわかりにくい本になっていたという記憶があります。  よく考えたら、1982年に初めてル・マン24時間レースに出かけたときは、仕事が忙しくて半ノイローゼ状態で、ほとんど海外逃亡状態でありました。でも、そのおかげでマツダの人と知り合って、翌年には工場見学をさせてもらい、そこで「QCサークル」の存在を知って、それが大人向け情報コミック第一弾の『こんにちはQCサークル』(プレジデント社)になったりと、有意義な逃避行ではありました。現地で落ち合った高齋正さんご夫妻は、ル・マンからイタリアにまわって帰国の途中、ハイジャックに遭ったりなんて事件もありました。
     ル・マンってのは、実にのどかなところで、パテが美味く、結局、その後、さらに3回も出かけるハメになったのであります。その結果、レース熱も加速して、チームを持ってしまうし、海外のレース結果を少しでも早く知りたくてパソコン通信は始めるし……。そんなこんなのエポックになったのが1982年のル・マン24時間レース第50回記念大会かもしれません。

    01月14日
     午前中に起床して原稿をヒーコラ。夕方、ネクタイにジャケット姿で青山のホンダ本社に出かけ、モータースポーツ関係者の懇親会に出席。最近、サーキットに出かける頻度が落ちているので、挨拶しないといけない人がたくさん。高橋国光選手にも久々お会いする。
     あっと、今月末に『龍の伝説』と同じニューズ出版から発売になる『走れクニミツ――小説 高橋国光物語』を予約しなくては。フジテレビのF1中継のオープニングで、毎回流れる詩的なナレーションの作者でもある高桐唯詩さんが、高橋国光さんと温泉旅館に泊まり込み、インタビューにインタビューを重ねて書きあげた本です。この本は買いですよ!
     で、帰りに高円寺にまわり、マンガ家ながいのりあきさん(「がんばれキッカーズ」の作者)とスナックで一杯。ここんとこ外出していないので、何となく、こちらのストレス解消につきあわせてしまったような感じも……。ごめんなさい。
     まだ原稿が山のように残っているので、電車のある時間に帰宅。ヒーコラと原稿を再開。

    01月15日
     久々に熟睡し、寝起きもスッキリ。たまにはストレス解消しないとダメですね。
     今日は成人の日。NHKの「青年の主張」を途中まで見るが、テレビを見ていると仕事にならないので、テレビを消して仕事。

    01月16日
     フランスから1960年代からの日本のレース結果をまとめ、バインダーに綴じた分厚い書類が2冊届く。フランス人のモータースポーツ史家がまとめているもの。とりあえずわかる範囲で「F2000〜F2〜F3000〜フォーミュラ・ニッポン」のリストをチェック。これだけで半日以上かかり、目がショボショボ。ドライバーやマシンの名前のミススペルをチェックし、メールで送信する。

    01月17日
     そろそろ次の架空戦記小説にかからないといけないので、いま書いているパソコン関連書籍を今日で一時中断することに。小説の方が発売は1ヶ月も早いのだからしかたがない。とりあえずできる範囲までやっておこうとロッテリアに出かけて必死に原稿を書く。

    01月18日
     午後から八重洲の「ツインリンクもてぎ」本社へプレスカードの申請書をもらいにいく。昨年、送ってもらったのに行方不明になってしまったため。ついでに昨年から目をつけていた「ツインリンクもてぎ」のコース図入りマウスパッドをもらってしまう(バンザイ!)。2枚もらってしまったので、1枚は4月の「FedExチャンプカーシリーズ第2戦」の取材に来日するアメリカ人記者にプレゼントしてあげよう。
     その足で銀座2丁目の有楽出版社に、『太平洋の覇者・連合機動艦隊大戦記[2]』の献本用リストを届けにいく。そのついでに次作の打ち合わせも。書きたい戦記ものと売れる戦記ものとの間にギャップがあるのが難点ではある。冒険小説系の戦記ものを書きたいんですけどねえ。
     往復の電車の中ではWindows CEマシンを使って、2月執筆予定の本の目次作り。

    01月19日
     石森プロのT氏が『仮面ライダー・ストロンガー』の原稿を受け取りにくる。復刻版用の原稿。ただし手元にあったのは、昔、秋田書店から発売された『ストロンガー』の2巻目の原稿のみ。講談社『テレビマガジン』に連載した原稿は、ほぼ残っているのに、ほかのはどこに消えたんでしょう?
     あとは、ひたすら原稿に励む。

    01月20日
     気合いを入れるためにフィットネスクラブに出かけ、自転車漕ぎと水泳。フウフウと息が上がった状態でファミレスに出かけて原稿。


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