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  • 2001年11月下旬の日記

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    11月21日 吉祥寺で仕事

     午後、Y社のM編集長から、表紙イラストの発注もあるので、できている分だけでも原稿を送ってほしいとの電話。さっそく送信するが、まちがって別件のメールを送信してしまう。あわてて正しい原稿を送信した後、さらに原稿を進めるためにバスで吉祥寺へ。

     長崎チャンポン(390円)を食した後、喫茶店で仕事。ところが目が疲れていたのか、バックライトの照明が目に突き刺さるような感じになってきて、あまりにもつらいので仕事を中止。原稿を書くかわりに『四ツ目屋闇草紙』(磐 紀一郎/学研M文庫/550円+税)を読了。シリーズ第1作といった感じ濃厚で、本編は、これから……といった感じも。すいすいと読めるし、けっこう面白いではないか。

     高円寺にまわって寝酒を飲み、バスのある時間に帰宅。風呂にも入らずバタンキュー。

    11月22日 原稿の修正

     今日も早起きして原稿を書いていると、Y社のM編集長から電話。昨日送った原稿の第1章と第2章を入れ替えてもらえないか……との提案。こちらもちょっと迷っていたところなので、電話をしている間に入れ替えてしまう。こんなことができるのもWZエディターのアウトライン機能を使っているから。見出し一覧のウィンドウで章や節の題名を入れ替えると、本文も一緒に入れ替わってくれるのだ。章を入れ替えた後、つながりがおかしくないか、念のため原稿をチェック。

    11月23日 世間は祭日らしいが……

     必死に原稿。特記事項なし。

    11月24日 今日も原稿書き……

     特記事項なし。ちょっと運動不足なので、深夜、50分ほどウォーキング。

    11月25日 今日も原稿

     今日は喫茶店を3軒ハシゴして原稿書き。日曜日のせいで喫茶店は、どこも混雑。それでも我慢して予備バッテリーも空になるまで原稿。

    11月26日 今日も原稿

     ちょっと蛍光灯を買いに出かけたけど、あとは原稿。ペースを上げるため、デスクトップPCで原稿執筆。急ぐときはフルサイズのキーボードの方が早い。

    11月27日 『血まみれの野獣』と西谷祥子先生の個展

     昨夜、寝る前に小説の原稿を半分強だけ送信してあったのだが、無事に到着したらしい。ホッ。知り合いの女性からは、「ウィルスを送ってごめんなさい」のメール。でも、うちにはウィルスメールは届いていなかった。

     数日前に届いていた〈いま一番読めるレース雑誌だ!〉の「F1 CLUB」を読んでいたら、書評欄に『ゴルゴ13』と一緒に『血まみれの野獣』(大藪春彦/光文社文庫)がとりあげられていた。書評を担当したTさんという方は、若い人なんだろうなあ……。『血まみれの野獣』が連載されていた「ボーイズライフ」のことも知らないようだし、また、当時のモータースポーツ事情についても、ご存じないらしい。

    「巻末の解説によると、この『ボーイズライフ』誌はファッションや音楽など様々な情報を掲載した若者向け雑誌とのこと。それにしては、今の感覚だと一般読者から反発を買いそうなくらいレースに関する記述が実に細かい。しかも長い。クドイとも言えるほどで、現在なら編集部から方向転換を求められるか連載打ち切りとなってもおかしくはないだろう。ただ、このこだわりこそが大藪作品の持ち味であり、編集部も読者もそこに魅力を感じていたのかも知れない。」と書かれているのだが、まず「ボーイズライフ」について。

    「ボーイズライフ」は小学館から発行されていた学習雑誌(!)「中学生の友」が休刊となり、この雑誌に変わって創刊された「男子中高生向けの雑誌」だった(ちなみに「女学生の友」という女子中学生向け雑誌もあった)。このあたりのことは『ぼくのマンガ青春期』でも触れているが、ぼくたちの世代(団塊の世代)にとっては、実に衝撃的な雑誌だった。創刊号からイアン・フレミング原作の『007・死ぬのは奴らだ』(さいとう・たかを)は連載されるし、『片目猿』(横山光輝)は連載されるし、「少年サンデー」でも活躍していた長岡秀三(元/長岡秀星)氏の精彩なメカイラスト(空母「エンタープライズ」の大判分解図の付録など)が掲載されるし、SF小説が連載されるし、大藪アクション小説が連載されるし……と、そりゃもう大騒ぎ。ぼくは、この雑誌の読者欄で見つけた「マンガ同人誌会員募集」に応募していなかったら、漫画家なんかになっていなかったはずだ。

     で、モータースポーツの認知度ということになるが、ほら、インターネットを検索しただけでも、こんなサイトが出てくるではないか。いずれも「ボーイズライフ」に掲載されていた記事について書かれたものだ。

  • その昔、「福沢幸雄」という男がいた!!

     あじゃじゃ、こっちの記事を書いてるのは、「F1 CLUB」にも執筆している西山平夫さんじゃないか。

  • 「ボクがレースを好きになった理由」 〜すべては「ボーイズライフ」から始まった〜

     おいらも「ボーイズライフ」に掲載されていたホンダF1の写真を見て、「イラスト」を描いたことがある。ちなみに「イラスト」という和製英語は、このちょっと前、「平凡パンチ」が生み出した。

     ほかに「F1 CLUB」の執筆陣では、大串信さんも、この頃のモータースポーツ・シーンには、熱い思い入れがあるはず。西山さんか大串さんに書評を依頼したほうが良かったんじゃないの?>ICIさん

    「ボーイズライフ」に限らず、「平凡パンチ」や「週刊プレイボーイ」にとって、自動車レースのグラビアや記事は必須のアイテムで、生沢徹や福沢幸雄、川合稔といった多くのカリスマ的ヒーローが生まれていた。『血まみれの青春』が連載されていたのは、そんな時代だったのだ。「レーサー」たちがつき合う女性たちも、モデルだったり歌手だったり女優だったり。福沢幸雄が死んだときは、「夜のヒットスタジオ」で小川知子が泣き出して歌を歌えなくなるし、川合稔の奥さんは「オー・モーレツ」の小川ローザだったし、高原敬武は松尾ジーナと結婚したし……女性雑誌でも「レーサー」たちはモテモテだったのだ。

     ……というわけで小学生のとき、近所の家で毎週、「週刊アサヒ芸能」連載の大藪作品を読んでいたワタクシめとしましては、今回の「F1 CLUB」の書評には、どうもナットクいかなかったワケであります。大藪氏のレース描写のくどさなら、『非情の女豹』や『アスファルトの虎』のほうが上でないのかな? いずれも角川書店の「野生時代」に連載された作品だけど、『アスファルトの虎』なんて、レースしてるか猛獣狩りしてるかでっせ。小説としては破綻しているんですが、そこがまた大藪小説なのでありますよ。

     あ、今日は、こんなことをしているときではない。昨年に引き続き、今年も日本画の個展を開催することになった西谷祥子先生に頼まれ、夫婦してクルマで個展会場に向かい、絵の展示のお手伝い。西谷作品の大ファンである二階堂黎人さんひかわ玲子さん江下雅之さんも駆けつけて、大きな日本画の飾りつけ。展示が終わった後はティールームでお茶。話がはずんで帰りが遅くなり渋滞にハマる。

     帰宅したらウィルスメールが届いていた。ただし、まるで知らない人から。もちろん添付ファイルは開かずに、そのまま削除。ほかに昨日あたりから、携帯電話が1回だけ鳴って切れ、表示されている番号に電話すると法外な料金を請求される……という情報を伝えるメールも何通か届いているのだが、これは、1987年頃に流行った「当たり屋情報」と同じパターンの都市伝説(デマ情報?)でないの? いずれにせよ、携帯電話もPHSも持っているけれど、送信専用で、ふだんは電源を切っている私には関係なさそうだ。

    11月28日 藪から棒に藪蛇

     昨日、「F1 CLUB」誌の書評について、あれこれ繰り言を書いてしまったもので、責任を感じて同誌を編集しているI氏に、この日記のことをメールしたら、あれこれメールの往復があった末に、次号から、この雑誌の書評を担当することになってしまったみだいな気配。こういうのを藪から棒……じゃなくて藪蛇という。

     夕方、プールに出かけて水泳800メートル、ウォーキング500メートル。サウナに入って汗を流し、帰宅後、明け方まで原稿。

    11月29日 ウィルス騒ぎで仕事にならず


     昨日あたりからウィルスが猛烈にはびこっているようで、うちにも何通か届いているんだけど、えらく大量に届いている作家さんもいるらしい。この原因は、どうやら、ウィルスが、IEの一時ファイル(キャッシュ)に残っているホームページの中からメールアドレスを抽出して、そこにメールを送っているのが原因らしい。うちのホームページはトップページではなく、もう一段奥に入ったところにメールアドレスが記載されているため、ウィルス感染者が使うIEのキャッシュにメールアドレスが蓄えられる確率が低かった……ということのようだ。
     で、知り合いの作家、ライター、その他の方々からSOSのメールや電話が舞い込むこと舞い込むこと。困っている人のほとんどは、誰かにパソコンを設定してもらって、そのまま使っているため、何か問題が起きたとき、自分では解決できなくなってしまうらしい。
     パソコンというのは、ちょっと自動車みたいなところがあって、使いこなすためには、運転技術だけでなく、法規や構造(決まりや仕組み)を知っていた方がいい。それも「学ぶ」「習う」といった受け身の姿勢ではなしに、だ。
     たとえばインターネットがあれば、ウィルスのチェック方法から削除方法まで、一通りの情報は手に入る。
    (誰かに教えてもらって、その場はしのげても、原因が解明できていなければ、また同じ誤りを冒すことになる。日本の政治からビジネス、あるいは戦争における失敗というのは、みな、このあたりに理由があるのではないか?)
     なんでも自分でやる「Do It Yourself」の精神が、パソコンやインターネットには必要なんだと、ぼくは確信している。
     で、あまりにも問い合わせが多く、また、質問されるとイヤといえない性格のため、必死に対応していたが、さすがに締切が目前では、「いい人」ではいられない。家にいるからメールを受信したり電話を取ったりしないといけないのだ……というわけで、家を抜け出し、喫茶店へ脱出することに。

     途中、古書店で、生まれて初めて原稿料をもらった4コママンガ(右のマンガ)を載せてもらった「COM」(1969年12月号)を見つけ、即購入。500円也。ほかに、すがやみつる作品としては異色のうちに入る『夢売り人ドリィミィ』が掲載された(「アニメージュ」増刊『リュウ』Vol.3 1979年11月発売)も購入。こちらも500円。

     喫茶店に4時間以上も居座って、架空戦記小説の原稿。バッテリーがなくなり、目もショボショボになり、執筆を断念。疲れたので高円寺に寄り道して寝酒。途中で、目の健康にいいというブルーベリーを買って電車の中でムシャムシャ。それでも目の奥が痛いので、薬局に立ち寄り、眼精疲労に効果があるというアリナミンEドリンクを飲む。

     高円寺の飲み屋で寝酒を飲んだ後、吉祥寺から深夜バスで帰宅し、また仕事。

    11月30日 迷惑なウィルス

     ウィルス騒ぎは、まだ止まらず。それでも少しは減ってきたかな?


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