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  • 2001年01月上旬の日記

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    01月01日 21世紀

     正月は冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし――という言葉が実感される21世紀最初の新年となりました。
     とりあえず仕事関係の年賀状だけ作ってしまおうと、届いた年賀状で住所が変わっている人たちのデータを住所録ソフトに打ち込む。つづいて遅れている原稿に取りかかるが、エンジンがかからない。3日から馬力をかけて書くことにしよう……。

    01月02日 新年会

     1月2日は、毎年恒例の我が家の新年会。高齋正さんはBMWのバイクでやってきたため、飲酒なし。高齋さんの新刊のイラストを頼まれたが、ううう、時間が……。
     一足先に高齋さんがお帰りなった後、午後4時、クルマで高円寺まで石津嵐さんたちのお出迎え。今年は、いつもお世話になっている飲み屋のママさんも出席。とりあえず今日だけは正月気分を味わおうと、日本酒、ワインで乾杯。途中で高齋さんの長男もやってくる。
     宴は午後11時までつづいたが、アルコール類は途中でやめたため、散会の頃には目も頭もスッキリ。再びクルマで高円寺まで石津さんたちを送る。
     帰宅後、作りかけだった年賀状を2台のデスクトップパソコンと2台のプリンターを駆使して印刷。今年は300枚。印刷を終え、一言書き添えていたら朝になっていた。

    01月03日 仕事だ仕事だ

     仕事をしないと相当ヤバいので、必死に原稿を書くも、自宅では能率が上がらず。午後8時になってから保谷駅方向に徒歩で出かけるが、開いていた喫茶店はモスバーガーのみ。しかも、若者のお客が一杯。ほかに行くところがないので、コーヒーとサラダを頼んでカウンターでノートパソコンを開く。チラチラと周囲を観察すると、テーブルとカウンターを埋めている若者たちは、皆、英語や地理の参考書、問題集と取り組んでいる。正月で家族がいる自宅では勉強がやりづらくて、こんなところで勉強しているのだろうか。ボサボサの茶髪頭のアンちゃんも、予備校のテキストを広げて問題に取り組んでいた。
     歩数を稼ぐため、遠回りして帰宅。

    01月04日 原稿書きのはずが

     今日も午後遅くから徒歩で武蔵関の喫茶店に出撃。まずラーメン屋でタンメンを食べてからと思って、開いていたラーメン店に入るが、正月メニューでタンメンなどの手のかかるメニューには紙が貼られている。しかたがないのでネギラーメンでガマン。食後、喫茶店に向かうが、あらら、喫茶店は、まだ休み。
     都心に出れば開いているだろうと、西武新宿線の各駅停車の電車に乗り、高田馬場に向かっていると、途中、たまに仕事する野方駅前の喫茶店が開いているが窓から見えた。あわてて野方で下車し、ここで3時間ちかく原稿。
     さらにバスで高円寺に移動しようと思ったら、ちょうどバスが出たばかり。午後8時を過ぎて、やけに寒いため、客待ちしていたタクシーで高円寺に向かう。
     さすがに高円寺は駅前の喫茶店も開いていて、ここでバッテリーが切れるまで2時間ほど原稿。原稿が進んだので、ご褒美に、一昨日、新年会に来てくれたママさんの飲み屋へ。喫茶店は、どこも足元がスースーと寒くて、凍えていたため、ここでアツアツの焼酎のお湯割りを呑んで身体を温める。
     電車のあるうちに帰宅するはずが、馴染みのお客さんたちと喋っていて、結局はタクシー帰り。帰宅した頃には酔いも冷めていて、また朝まで原稿。

    01月05日 風邪?

     昨日、喫茶店で寒さに震えながら仕事をしていたのだが、そのせいで風邪を引いたらしい。頭が重く、起きているのもつらい。座椅子にもたれ、膝の上にノートパソコンを置いて原稿を書くが、極めて能率悪し。風邪薬を飲み、栄養剤を飲んで、毛布をかぶって横になりながら、テレビで「ジュラシックパーク2・ロストワールド」を見る。映画館で見た映画なのに、最初の「ジュラシックパーク」ほどには内容を覚えていなかった。衝撃が薄れていたせいかもしれない。ストーリーも1作目に比べると「キングコングの息子」みたいで面白くなかったし。
     暖まっていたら頭の痛いのも取れたので、また原稿。

    01月06日 あわやノートパソコンが昇天

     家にいると常時接続のCATVのケーブルモデム経由で、ついネットにつないでしまう。この誘惑を断ち切るため、今日も喫茶店に出撃。歩数を稼ぐため、隣の大泉学園駅まで、せっせと歩くが、早足で歩いたせいか20分ほどで着いてしまう。歩数は3000歩強。
     一昨日の仇を討つためラーメン屋でタンメンを食す。タンメンを選んでいるのは野菜が多いため。書店をまわって喫茶店2軒をハシゴして必死に原稿。2軒目の喫茶店で原稿を書いている途中、突如、ノートパソコンがガガッとスピーカーから音を出してダウン。外付けバッテリーを接続して原稿を書いていたのだが、原稿を書くのに熱中していて、バッテリー切れになったのに気づかなかったらしい。ただ、原稿を書いている時間は3時間ちょっとで、本来ならバッテリーの切れる時間ではないのだが、これだけ酷使していれば、寿命が短くなるのもしかたないか。
     書きかけの原稿が昇天していないことを祈りつつ、急いで電車と徒歩で帰宅。家に戻ってノートパソコンにACアダプターをつなぐと、とりあえず無事に起動。さらに書きかけだった原稿も、WZエディターの自動バックアップのおかげで、無事に復活できた。WZエディター偉い! ビレッジセンター偉い!

    01月07日 「ゲイ・パレードとすがやみつる氏」……?

     あいかわらず原稿書きの毎日ですが、ちと息抜きに自分の名前で検索エンジンをチェックしたら、『「ゲイ・パレードとすがやみつる氏」の巻』という何やら怪しげなタイトルが引っかかってきた。
     あれれれ……都内某所のゲイバーで遊んでいるのがバレたか……と一瞬アセったが、ドメイン名を見ると、なんと文藝春秋社のサイトではないか。あわててクリックしてみると、その内容はこんなコラムでした。筆者の高田正純氏(日本のパソコン通信の草分け)と1991年の夏、サンフランシスコでバッタリ出くわしたときのことを書かれているんですが、こちらは観光団ではなく、アメリカのエネルギー事情を取材する旅の途中でした。ボストンでマサチューセッツ工科大学に行き(ついでにハーバード大学にも行ってきた)、ワシントンDCで電力会社や石油公団を訪ね、原発事故で有名なスリーマイル島を訪問した後、「エネルギーのデパート」ともいえるカリフォルニア州を縦断すべく、サンフランシスコに着いたときのことでした。
     ここに書かれているゲイパレードは、30万人ものゲイ(日本でいうレズ、バイセクシュアルを含む)が、サンフランシスコのメインストリートであるマーケット・ストリートを山車などに乗ってパレードするもので、沿道でレインボーカラーの旗を振る人たちも、女装からマッチョスタイルまで色々のゲイの皆さん。同性同士の婚姻が認められている街だけあって、盛大なパレードでした。
     サンフランシスコで高田氏と会った後は、南カリフォルニア一帯にガスと電気を供給するパシフィック・ガス&エレクトリック(PG&E)という会社の研究所や原発、風力発電所に太陽光発電所などを見学しつつロサンゼルスまでクルマの旅を続けたのであった。
     アメリカでは1995年に電力ビジネスの自由化を認める法律ができ、PG&Eも電力とガスの小売り会社と発電会社に分かれたらしいのだが、最近のニュースによると、発電コストが上がっているのに小売りの価格が規制で安く抑えられているため、PG&Eが経営危機に陥っているらしい。結局、政府が債務の支払い猶予などを発電会社や銀行などに求めることになったらしい。日本でも電力自由化が進み、電力会社も競争の波にさらされているが、きっと他山の石のできごとではないだろう。
     昨年の秋から書き続けている『雷神』という仮題のSF小説は、このときのアメリカ取材をベースにしたもので、ワシントンDCで取材した電力会社も舞台の1つとなっている。先に架空戦記の締切が来てしまったため、電力SFは、ちと中断中だが……。

    01月08日 今日も仕事

     原稿書きのほかに特筆事項なし。つまらないなあ……。

    01月09日 腹へった

     明日、コレステロールの再検査があるため、午後8時から絶食。うう腹へった。空腹を水と白湯で誤魔化しながら明け方まで原稿書き。

    01月10日 再検診

     昨年秋、東京に出てきてから32年目にして、初めて健康診断なるものを受けたのだが、コレステロールの値が高かったため、今日、再検査を受けることになっていた。食事に注意したり、万歩計をつけて歩いていたのは再検査のためだったが、締切が迫ると、起きている時間は、ひたすらパソコンに向かうだけ。これじゃ再々検査必至だなあ……と覚悟しつつ睡眠時間2時間で自転車に乗って保健所へ。
     眠気が覚めない状態で出かけたせいか、血圧は信じられないほど低く、また、起き抜けだったせいか、身長が前回よりも5ミリほど伸びていた。注射器で血を抜かれた後、マクドナルドに寄ってノートパソコンで原稿書き。注文はハンバーガーでなくフィレオフィッシュにするが、昨夜からの絶食を埋めるには至らず、帰宅後、正月の残りの餅を使った雑煮。
     食事をしたとたん睡魔に襲われ座椅子にもたれて爆睡していると、架空戦記の担当編集者から電話。いちばん恐れていた人からの電話だったので、一発で目が覚める。電話の後は、ひたすら原稿。


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