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  • 2000年12月下旬の日記

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    12月21日 歯医者の後、喫茶店へ

     夕方、歯医者に出かけ、入れ歯のチェックと差し歯のチェック。とりあえず年内は、これでおしまい。歯医者の後、自転車で喫茶店をハシゴし原稿を書く。

    12月22日 フグをご馳走になったのに……

     夕方から渋谷に出かけ、某社の会長さんと小料理屋で打ち合わせ。フグのブツ切り、あん肝、大トロ、アナゴの白焼き、カニの酢の物をご馳走になったのだが、入れ歯が慣れないため、好物のフグが噛み切れないのが悲しい。
     帰途、高円寺の馴染みの店その1に寄ったら、ここでゲイバーのクリスマスパーティーに拉致され、喧噪の中で深夜まで立ち飲みし、某出版社の女性編集者とともにタクシーで帰宅。

    12月23日 新宿でパーティー

     夕方から新宿のビアレストランで、毎年恒例となっている石津嵐(磐紀一郎)さんの生誕記念パーティー。時間を勘違いして1時間遅れで到着。もう食べ物は残っていなかった。毎年、午後7時スタートだったのに、今年は6時スタートで、そのことに気づかなかったわたしがアホでした。時代小説で忙しい宮本昌孝に会費を徴収され、彼の司会で、これも毎年恒例の有馬記念の馬券と宝くじの配布。アニメ監督の石黒昇さんと会うのも1年ぶり。
     二次会は、ぞろぞろと高円寺の馴染みの店その2へ移動し、ここでシナリオライターの鈴木良武さんに、ノートパソコンを使った原稿執筆法をデモ。
     その後、カラオケの三次会に向かう人たちと分かれ、石津さんの娘の石津彩(女優&声優)と腕をからませて、デート気分で馴染みの店その1のクリスマスパーティーへ。うーん、オムツの取れない頃から知っている娘と腕を組んで歩くのも妙な気分だ。
     2日、連チャンでの深夜帰りはツラいので、カラオケはパスして早々に帰宅……といっても家に着いたのは午前2時過ぎだった。

    12月24日 ひたすら原稿

     2日連続で外出したせいで、原稿が遅れている。とっくに締切をブッチ切っている原稿なので焦っているのだが、英語の資料を読みながらのため、遅々として進まない。また引き籠もりの1日となった。
     カミサンが19日からずっと西谷祥子さんの個展の受付の手伝いに行っていたのだが、今日が最終日。夕食は、西谷さんからいただいたケーキを囲んで、クリスマスパーティー。ぬふふ、ちょっと自慢したい気分かも。  深夜、楠木誠一郎さんのホームページの更新。

    12月25日 今日も原稿

     正月休みを1日くらい取りたいので、少し張り切って原稿を書く。

    12月26日 ただ原稿

     原稿を書くつもりだったが、なかなか進まない。腰が痛いせいだ。

    12月27日 逆上して深夜にファミレスへ

     睡眠不足のせいか原稿の進みが悪いので、午前零時を過ぎてから徒歩でファミレスへ。年末のせいか、お客も少ないので、コーヒーをおかわりしつつ午前5時まで粘って原稿を書く。
     帰宅後、寝酒の焼酎のお湯割りを飲みながら原稿を書いていると、午前6時に危篤だった叔父が息を引き取ったとの連絡が入る。すぐにでも出発したいが、寝酒を飲んだばかりで、しかも眠気に襲われているため、3時間だけ仮眠を取ることにして布団へ。しかし、子供の頃、父親のかわりに「男の子」の生き方をすべて教えてくれた叔父のことが頭の中で渦巻き、なかなか眠れず。

    12月28日 清水へ

     結局2時間の睡眠で飛び起き、母とともに車で静岡県清水市の山奥に向かう。この車、最近、凹凸を乗り越えるとグニャリと車体が沈み、踏ん張ってくれなくなっている。タイヤの空気が抜けているか、サスペンションのショックのガスが抜け始めているらしい。高速を走るのが怖い状態のため、東名の入口手前でガソリンスタンドに入り、ガソリン補給のついでに空気を入れてもらおうとしたら、店員に「このタイヤじゃ危ない」といわれる。すでに8年も使っているタイヤのため、2万キロちょっとしか走っていないものの、サイドに細かいヒビが入っていて、これがグニャリの原因だったらしい。途中でバーストでもしたら困るので、新しいタイヤに交換してもらう。20分ほどの遅れになったが安全のためにはしかたがない。おかげでカーブでも踏ん張るようになり、安心して走れるようになった。
     東名高速に入ったのは午後1時過ぎ。年末交通安全週間のせいで、途中、何度もパトカーと遭遇。このせいで流れが悪くなっている。富士川サービスエリアでのトイレ休憩を挟み、午後3時前に清水インターを降りる。
     母の実家は、ここから興津に戻り、国道52号線で山梨県境の近くまで入ったところ。子供の頃は、夏休み、冬休みに入るたび、母の実家を継ぐ叔父がオート三輪で迎えに来てくれ、この家で過ごしていた。そのたびに、家の下を流れる川で、泳ぎを覚え、魚釣りやズガニ獲りに明け暮れていたが、その川も、いまは泳げるような水量がない。そんな思い出を従兄弟たちと語りながら、深夜まで叔父の枕頭で酒を飲む。酒が好きで、人が集まるのが好きだった叔父の供養には、にぎやかに酒を飲むのが一番だからだ。

    12月29日 通夜

     明け方まで酒を飲んで寝たというのに、朝7時過ぎに母に叩き起こされる。喪主の従兄弟が床屋に行くので、一緒に行けというのだ。車で一緒に床屋に出かけ、肩近くまであった髪をバッサリ。頭が涼しくなった。
     夕方の納棺、通夜まで時間があるので、1時間ほど仮眠を取る。
     喪服に着替え、通夜の席に着くと、大勢いる従兄弟・従姉妹のうちの1人が、サッカーの天皇杯準決勝の結果がわからないとブツブツ。地元の清水エスパルスが出場しているせいだ。持っていたi-Modeでスポーツニュースをチェックするとエスパルスは1−0で勝っていた。その画面を見せてやると「これで落ち着いて通夜に専念できる」。清水は「日本のラテン」といわれているくらい気候が温暖なせいか、住んでいる人々の気質までラテン。この気質は、ぼくも受け継いでいるのでしかたがない。
     通夜の読経が終わった後は、従兄弟2人とともに祭壇の前で酒を飲みながら線香の番。午前3時まで頑張ったが眠気に負け、従兄弟の長男に交代してもらって毛布をかぶって仮眠。

    12月30日 長い葬儀

     田舎の葬儀は朝が早い。午前6時には起こされ、午前7時過ぎから出棺の読経。8時に出棺して火葬場に行き、火葬をすませた後、正午から本葬。本葬の後、歩いて15分ほどのところにある墓まで行列し、納骨をすませる。昔は、30分以上かかる山のテッペンに墓があったので、納骨に出かけるだけでも大変だった。
     納骨の後は、お寺参り。お寺で読経、焼香がすんで家に戻り、払いの膳がすんだのは午後4時すぎ。昔ながらの隣組のコミュニティができており、葬儀の采配や食事の世話などは、すべて隣組の人たちが仕切ってくれる。
     本来、葬儀の後に寄り道するのは良くないのだが、なかなか田舎には出かけられないので、富士宮市の母の友人の家に、お餅と畑の肥料をもらうために立ち寄り、夜の東名を走って帰宅。睡眠不足のまま夜の東名を走ったせいで、頭も身体もヘトヘト。

    12月31日 何もできない大晦日

     7時間ほど寝て起きたが、まだ頭がうまく働かない。昨日、履き慣れない革靴で墓地との間を往復したせいか、腰と尻も痛い。運動不足のツケが出たようだ。作りかけの年賀状もほったらかしにし、毎年恒例の新年会用の酒を買いに出かけたほかは、終日ゴロゴロ。紅白歌合戦をボンヤリしながら見て、早々に寝る。今年は年越しソバも省略。


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