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  • 2000年12月中旬の日記

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    12月11日 またもヒッキー

     家に籠もって仕事。特記事項なし。

    12月12日 外で仕事しよう

     やはり能率が悪いので、ノートパソコンを担いで喫茶店とファミレスをハシゴ。徒歩でうろうろしたせいか5000歩以上歩いた。

    12月13日 またヒッキー

     終日、家に籠もって原稿。

    12月14日 入れ歯が入った

     歯医者へ。右奥2本、左奥3本分の入れ歯が入る。まだ慣れないので歯茎が痛い。右の奥歯は10年以上もなかったので、なんだか変な感じ。

    12月15日 ミニ忘年会

     先月、伊東で高校の同期会があったばかりなのに、メールで連絡がつく高校の同級生数人が集まり、新宿のビアレストランでミニ忘年会を決行。家の冷凍庫に保管してあった静岡県富士/富士宮周辺の名物「茹で落花生」をカミさんに茹で直してもらい、持ち込みツマミとして持参する。懐かしい郷里の味に、あっというまに売り切れ。5時間近くも同じ店で粘ったが、これも同級生の大学教授が常連となっている店のせいか。
     帰途、高円寺の馴染みの店に寄り道し、その店が閉店後、ママさんとワインバーに流れて朝まで。

    12月16日 久々の爆睡

     久しぶりにワインを飲んだせいか、9時間も寝てしまい、目が覚めたのは午後3時だった。昨日の忘年会は、引き籠もってばかりいるぼくを引っ張り出して息抜きさせようというのも主旨の一つだったが、おかげで睡眠不足を解消できました。
     午後3時に起きると、「別冊宝島」の「インターネットの安全な歩き方」で描いた『掲示板あらし』のマンガを文庫に収録したいという依頼の手紙が届いていた。もちろんOK。
     夕方、某大手ネット会社の役員氏から紹介を受けた某コンピューターのハード・ソフト販売会社の社長から電話。新しく始めたコンテンツ販売の相談に乗ってほしいとのことで、来週、会うことになる。
     原稿を書かなければならないのに、昨日、新宿南口ルミネ4Fのブックセンター青山で買い求めた『ポケモンストーリー』(畠山けんじ&久保雅一・著/日経BP社/1,400円)を一気読み。いまや世界のポケモンとなった「ポケットモンスター」のゲーム、マンガ、アニメと展開されていく「ポケモン」の歴史を綴ったノンフィクションで、丹念な取材によるキャラクタービジネスが成立するまでの記録集だ。「ポケモン」の成功に影響を受けてか、同じようなキャラクタービジネスをWebサイト上で展開しようと目論む人たちも多いようだが、このようなビジネスに必要なキャラクターに対する「思い入れ」や作り手に対する「尊敬」などがまるで感じられず、ブローカー気質丸出しで、「一発当ててやろう」といった雰囲気の人たちが多いのも事実。そんな人たちにこそ、この『ポケモンストーリー』を読んで、自分たちに何が足りないのかを学んで欲しいものだ。
     後書きの協力者に対する献辞には「作家菅谷充」の名前もあったりするが、著者と創世記のゲームの歴史などについて、楽しく雑談しただけなのになあ。気を遣っていただいてすみません。

    オンライン書店bk1の「ポケモンストーリー」紹介のページ(オンラインショッピング可) 

    12月17日 レースのない週末

     先月までは、週末になると必ず世界、国内のどこかでレースがあって、これが曜日を認識する基準となっていた。ところが世界のレースが一斉にオフシーズンになってからは、曜日の感覚が失せ、毎日が日曜日のようだし、毎日が平日のような気もして、どうもよろしくない。これも起きてから寝るまでパソコンの前にしがみつき、ただひたすらキーを打っているせいだろう。両手首にはキーボードダコ。足のくるぶしには座りダコ。これじゃ身体にいいわきゃないよ。
     夜、「フジテレビ721」の「F1川井塾」で、津川哲夫さんがガイドするベネトンのカーボンコンポジット・ファクトリーのルポを見ていたら、途中で家族に「進ぬ! 電波少年」にチャンネルを変えられる。レースシーズン中は、F1ナマ中継のため、こちらがチャンネルの優先権を持っているのだが、オフシーズンではしかたがないか。

    12月18日 事務仕事が苦手

     いちおう株式会社の経営者ということになっているせいで、月に何日かは事務処理の仕事をこなす必要がある。今日は請求書の作成と発送作業。いちおうカミサンが経理担当役員なんだけど、どんな仕事をやったかを知っているのは社長だけ。エクセルで自作した請求書のフォーマットに数字を打ち込み、何通かの請求書を作る。
     あとはヒイコラと原稿書き。夜は「愛の貧乏脱出大作戦」の後、NHK「悪魔の嵐」を見る。スティーヴン・キング原作・脚本によるホラードラマ。

    12月19日 西谷祥子さんの個展へ

     昼前に起床し、オートレーシング情報フォーラムをクリスマスバージョンに更新した後、あわてて食事をして車で出撃。西武池袋線の保谷駅近くで待ち合わせたファンタジー作家のひかわ玲子さんを向かえに行き、さらに自宅でカミサンを乗せた後、こんどは西武新宿線の東伏見駅で本格ミステリー作家の二階堂黎人さんをピックアップ。そのまま中央線三鷹駅まで向かい、駅前のビルで今日から開催の西谷祥子先生の個展へ。
     西谷祥子先生は、60年代後半、少女マンガ界に青春という概念を持ち込み、また、絵柄でも従来の少女マンガを一変させた革命児。大人気少女マンガ家として活躍していた頃に、石ノ森章太郎ファンクラブの会長をしていた青柳誠に頼まれて、細井ゆうじと一緒に、一度だけ西谷先生のアシスタントに出かけたことがあった。手伝ったのは「わが魂の清ければ」という「月刊セブンティーン」に掲載された100Pの読み切り戦争マンガ。細井とふたりで戦艦「大和」や零戦の絵を担当したものだった。西谷先生は、アマチュア時代、石ノ森章太郎先生たちがやっていた「墨汁一滴」という肉筆回覧誌の流れを組む「墨汁二滴」という同人誌の出身で、ぼくと細井は、さらにその流れを組む「墨汁三滴」という同人誌のメンバーだった。西谷先生は、ぼくたちにとっては姉弟子みたいな存在というわけだ。
     そんな縁もあって、昨年、久々に石ノ森章太郎先生の長男・丈君の結婚式でお会いしたとき、個展を開くときには案内を出すからとおっしゃってくださったのだが、今回、それが実現することになった。
     その話を西谷作品で育ったひかわ玲子さんや、マンガコレクター(西谷作品の全コミックス所有)、ライターの江下雅之さん(西谷作品の大半を所有)に話したところ、ぜひ連れていってほしいといわれ、やはり西谷ファンでファンレターも出していたことのあるカミサンも参加して、大挙、個展に押し寄せることになった。
     いざ会場に着いてみると、まだ絵の飾りつけ中。それも西谷先生ひとりでだ。飾りつけを手伝うはずだったご主人が、仕事の都合で手伝えなくなったらしい。絵はマンガではなく、大作を含む日本画で、女性ひとりで飾りつけをするのはとても無理。早速、全員で飾りつけのお手伝い。初日とあってお客も少なかったため、たっぷりと話をする時間もあり、サインしてもらったり記念撮影したり。とくに「西谷作品に出会わなかったら今のわたしはない」と断言するひかわ玲子さんは、もう、完全に少女マンガの瞳になっていて、ぼくたちが帰った後も居残り、都合5時間も会場にいたらしい。
     こちらは一足先に帰宅し、睡眠不足を補うために昼寝。さらに夕食後、またもや寝てしまい、あわてて起きたら午後11時過ぎ。すぐにテレビをつけてNHK「悪魔の嵐」の2回目を見る。

    12月20日 「悪魔の島」最終回

     昼間は喫茶店に出勤し、夜はNHK総合テレビでスティーブン・キング原作・シナリオの「悪魔の島」の最終回を鑑賞。うーん、ホラーというのは、こんな具合にカタルシスも救いもない状態で終わらせないといけないのか。いまホラーっぽいSFを書いているのだが、ホラーには向いていないことを実感してしまう。


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