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  • 2000年07月下旬の日記

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    07月21日 同上々々

    「あらし」復刻版 「あらし」復刻版の最終巻が届く。小学館の平山さんが書いてくださった解説を読んで、ウルウルウル……。  長くなっていた髪が汗で額にまとわりつき、うるさい。発作的に理髪店に出かけ、髪を切る。そのついでにデニーズに出かけて原稿。ほぼメドがつく。

    07月22日 グダグダ

     ちと体調が悪くグダグダ。目の調子が悪い。原稿終わらず。

    07月23日 

     身体のだるいのは暑さのせいか……。外も暑いので、家にこもって仕事。なんとかメドをつける。
     深夜、寝ようと思っていたらCARTのミシガン500がスタート。な、なんだ、このレースは! スタートから5台も併走して、トップが目まぐるしく変わる。最後まで目が離せないまま、つい最後までテレビを見てしまった。いやあ、こんなレースを見てしまうと、F1もかすんでしまう。

    07月24日 原稿あがり

     終日パソコンに向かい、小学生向けパソコン入門書の原稿が、とりあえず終わる。この原稿を書くときは、小学生向けワープロソフト「一太郎スマイル」についている「ATOKスマイル」を使っていたんだけど、使える漢字、熟語に制限があって、えらい苦労しました。とりあえず今日は寝てやるぞ。

    07月25日 コンコルド落ちる

     たっぷり寝るつもりが電話の呼び出し音で4時間ほどの睡眠で起床。こんなときに限って家族がいない。で、いちど目が覚めると寝直しができないという悲しい性格のため、そのまま起床し、次の次の小説のための資料読み。読みかけだった『カラツィオラ自伝』(R・カラツィオラ/高齋正・訳/二玄社/1969年刊)を読了。第2次大戦前のグランプリレースで活躍したルドルフ・カラツィオラの自伝だが、戦時中、そして戦後の1946年、初めてインディ500に出場したときのエピソードなどに胸打たれ、涙腺がゆるむ。
     そのまま寝ようと思っていたら、テレビの画面に「コンコルド落ちる」のテロップが。BBC、CNNを交互に切り替えてニュースを追っているうちに、結局、朝。1993年、インディ500を見に行ったとき、インディアナポリス空港にコンコルドが駐機していて、「なんでこんなところに?」と思ったのだが、地元の新聞を読んで、この年、インディ500に初出場したフランス人ドライバー、ステファン・グレゴワールのスポンサーが、応援団を送り込むためにチャーターしたものだったことが判明。機内にはシャンパンの香りが充満していたとか。今回の事故も、ドイツの観光会社のチャーター便だったらしいが、ヨーロッパは、お金持ちの規模がちがうなあ。
     今夜こそたっぷり寝てやろうと、ビールを3本飲んで寝る。

    07月26日 ボケ〜ッ

     ちょっと手間のかかった仕事が一段落したせいか、頭がボケ〜ッ。次の仕事にかからないといけないのに、まるで仕事が手につかず。今日届いたばかりの「F1倶楽部」「RacingOn」「AUTOSPORT」「週刊小説」に読みふける。
     さらに、思いつきでGIFアニメを作り、「オートレーシング情報フォーラム@nifty」のホームページへ登録。

    07月27日 推理作家協会の懇親会

     夕方、飯田橋のホテルで開かれた推理作家協会の懇親パーティーへ。2時間立ちっぱなしでいたせいで、腰がイテテテテ。ノートパソコンを背負って歩いたのも悪かったかも。パーティー後は、1人で高円寺へ。酒は仕事と無関係のところで飲んだ方が美味い。タクシーで帰宅し、久々にグッスリ寝る。

    07月28日 腰痛対策にプール

     たっぷり寝たせいで腰痛はおさまっていたが、再発が怖いので、久々にプールへ。クロールで100メートル、平泳ぎで50メートル泳いだ後、ウォーキングを400メートル。さらに個人メドレーで100メートル泳ぎ、ジャグジーに浸かって腰を温める。
     プールの後、ジョナサンに出かけ、カレーうどんを食べながら架空戦記に着手。なんとか構成と出だしが決まる。あとは、ひたすら書くだけだ。
     帰途、深夜まで開いている書店に寄り、各戦記用の資料を購入。帰宅したら、今日は金曜日でF1ドイツGPが始まっていた。つい先ほどまで、木曜日だと思い込んでいたのに……。ミカ・ハッキネンやジャック・ビルニューブのコメントを訳して「オートレーシング情報フォーラム@nifty(パソコン通信サービスの方)」に掲載。

    07月29日 原稿……と書くしかないのが寂しい。

     今日も起き抜けから原稿。暑いので駅まで自転車で出て、朝食兼昼食は、メカブトロロそば。喫茶店にまわり架空戦記小説の原稿。帰宅後は、F1ドイツGP。オートレーシング情報フォーラム@niftyのリリースを訳す。どうせ家でフジテレビ721のドイツGP生中継を見ていても、座椅子にもたれて寝てしまうだけだ……と思って喫茶店で仕事していたが、どうやら雨で大混乱だったらしい。

    07月30日 Fポン、F1、CART……。

     起きたのは午後2時過ぎ。あわててケーブルテレビでスカイスポーツにチャンネルを合わせ、フォーミュラ・ニッポン第6戦を観戦。あらら、また高木虎之助のポール・ツー・フィニッシュだ。しかし高木選手、よく喋るようになりましたね。F1に行く前は、まるで喋らなかったのに。レースをしていたお父さんについて、サーキットに来ていた小学生の頃も、本当に無口な子供でした。
     Fポンのテレビ観戦後、こんどは鈴鹿8耐にチャンネルを合わせてしまうが、こんなことをしていては仕事が進まない……と思っていたら、カミサンが、目に何か刺さったらしく、痛くてたまらないという。休日に開いている吉祥寺の眼科までクルマで送り、こちらはファミレスで冷麺とビビンバの食事をとりながら仕事。カミサンから携帯に電話があって、異物が取れたのでバスで帰るとのこと。こちらは、そのまま原稿を続稿する。
     帰宅後は、もちろんドイツGPの生中継を観戦。「今日は1周目に事故があるから、スタートが見逃せない」と言ったら、本当にその通りになって、カミサンが「このテレビ、ナマじゃないの?」と目をシロクロ。混乱した予選結果を見れば、1周目にガチャンがあって、レースも混乱したものになることは予想がつくってもの。そういえば、1983年、鈴鹿のF2レースで、30周レースの29周目まで、ブッチギリのトップで走っていた星野一義選手が、「この周で終わりだな」とスタンドで予言したら、その通りになって、一緒にいた人が目をシロクロさせていたことがあったっけ。あれも、星野一義選手のパターンを知っていたから、つい口をついて出た言葉だったんだけど。
     ドイツGPは、予期せぬ闖入者のおかげでマクラーレン・メルセデス勢が割を食ったけど、あの闖入者、フランスのルマンにあったメルセデスの工場を解雇されたフランス人で、メルセデスに抗議するために、あんな行動をとったとのこと。それが目的なら、メルセデスには、手痛い一撃になった。
     レースは終盤に雨が降り、コース半分がドライ、残り半分がウェットのむずかしい状況に。ここをドライタイヤで乗り切ったルーベンス・バリチェッロが、雨に強いブラジル人ドライバーの本領を発揮して、F1初優勝。いやあ、初優勝のドライバーを見ているのは気分がいい。
     このレースの合間にFポンの予選・決勝結果をコンピュサーブのモータースポーツ・フォーラムにアップし、続いて、結果表を作成して「オートレーシング情報フォーラム」にアップし、つづいて記者会見の翻訳。
     すでにF1ドイツGPはナマで見てしまったので、深夜は日本テレビで、先週のCART(ミシガン500)を観戦。レースマンガやレース映画でさえ、こんなドラマチックな終わり方はないという接戦をもう一度見るため。
     原稿を書きつつ午前5時スタートのCARTレース(シカゴ)を観戦。こちらでもブラジル人のダ・マッタが初優勝。イエローのせいで時間がかかり、レース終了直後にテレビ放映も終わり。もうちょっと初優勝の感激シーンを見せてくれえ。

    07月31日 まじめに原稿

     結局、寝たのは午前8時過ぎ。ところが風の音がうるさくて昼前には目が覚めてしまう。虫歯が痛んでいて歯医者に行く予定だったのだが、寝不足で麻酔を打たれると動悸が激しくなるので、今日はガマン。仕事部屋のデスクトップPCに向かって、ひたすら原稿を書く。今週いっぱいは、こんな状況がつづく。


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