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  • 2000年06月上旬の日記

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    06月01日 つい読書にふける

     先日買った『MARI』八木啓代/幻冬舎/1,800円)を読みはじめたら、ヤバイ、止まらなくなった。読みかけのままだと続きが気になって仕事も進まないので、夜、徒歩でファミレスに打ち合わせに出かけた後、別のファミレスに寄り、朝までかけて一気に読了。久々の冒険小説に満足、満足。パリの描写などに、ちょっと気になるところがあったので、ご当人に報告しておく。万歩計は4300歩。

    06月02日 小説の資料読み

     次の架空戦記の資料読みに専念。英語の本の中から、今回の作品に使えそうなものを選ぶ。
     シンガポールのスポーツ専門サイトから、日本のレースのリポートを英語で書いて送って欲しいとのメールが届くが、即座に断る。レース速報は@niftyとCompuServeで手一杯。これ以上やったら本業ができなくなる。
     ハワイ島在住のKさん(アメリカ人)が来日中。バーベキューパーティーのお誘いのメールが届くが、果たして参加できるか?

    06月03日 F1モナコGP予選

     午後2時過ぎに起きると、インタビュー記事のFAXが届いていた。「仮面ライダー」関連のムックに掲載されるものだ。「天にも昇る気持ち」というのは「天にも昇る心地」の方がいいような気もするけど、まあいいか……。
     午後遅く、喫茶店に出かけて仕事をし、午後8時、家に戻って「フジテレビ721」でモナコGPの予選を観戦。その後、@niftyオートレーシング情報フォーラム用のコメントを少し手伝った後、再び朝まで仕事。なんとか学習マンガのネームに人物などの当たりを入れ終える。

    06月04日 今日もレース三昧

     午後2時に起床し、ケーブルテレビの「スカイスポーツ」で富士スピードウェイのフォーミュラ・ニッポンを観戦。スタートで失敗した高木虎之助は、13番手まで落ちながらも怒濤の追撃で優勝。F3000の頃もそうだったが、大型のフォーミュラカーを、まるでカートみたいに操っている。チームメイトの松田次生は、本山を抜いたところでAコーナーでスピンし自滅。残念。
     PageMakerで別のマンガのネーム用紙を作成し、これと一緒に、今朝終わったばかりの学習マンガのネームを持って、徒歩でクロネコヤマトの営業所へ。学習マンガのネームを宅急便で送った後、書店に寄って「読書中毒」(小林信彦/文春文庫/524円)を購入。さらに古書店で「B17爆撃機」(サンケイ出版・第二次世界大戦ブックス)を見つけ、即座に400円で購入。基本的な資料は持っているが、資料は多い方がいい。
     喫茶店でインターネットがらみのネームをやるはずが、つい「読書中毒」に読みふけってしまう。小林信彦氏は、小説はもちろん、評論も面白い。「ゲームセンターあらし」は、間違いなく「オヨヨ大統領」や「唐獅子株式会社」の影響を受けている……と作者は思っている。
     午後9時に帰宅し、「フジテレビ721」でF1モナコGP観戦。独走を続けていたミハエル・シューマッハーは、排気管の破損で左のリアサスに熱が伝わり、この熱のせいでリアサスの付け根がポキリ。これで1勝を失うことになった。かわりに漁夫の利を得たのはクルサード。決勝レース結果をニフティに掲載し、チームのリリースを訳す。マクラーレンのロン・デニス監督は、高尚な言い回しが好きで、しかも、辞書を引かないとわからないような単語ばかり使う。もうちょい易しい英語を使ってくれ。
     今週の末から架空戦記に専念できる態勢をつくるため、朝になってから、締切1週間前の朝日新聞の連載記事に手をつける。12字×50行の記事なので、ちょっと手直しするだけで、すぐに行数が足りなくなったりオーバーしたりする。なんとか書き上げたのは午前8時過ぎ。家族が朝食を取る横で、ビールで晩酌。

    06月05日 マンガの催促

     睡眠不足は肌に悪いので、根性を出して午後5時まで寝る。起きてコーヒーを飲んでいたらT社のH譲からマンガのネームの催促電話。あわてて朝食(家族は夕食)を食べ、喫茶店に出かけてネームを入れる。2ページ弱しかないので、1コマ動かすと、残り全体も動かさないといけない。喫茶店の閉店時刻(午後10時)直前に、なんとかネームを入れ終え、急ぎ足で帰宅。H譲の自宅にFAXで送信。
     後は、ひたすら架空戦記の構成。ここで少しくらい時間がかかっても、プロットが決まっていれば、原稿の本番がラクになる……はずだ。

    06月06日 トブルク戦線

     昨日はホームページの更新をして寝ようと思ったのだが、午前4時からケーブルテレビの「CSN1ムービーチャンネル」で「トブルク戦線」が始まったため、つい午前6時まで見てしまう。公開は1967年だが、3年くらい後に、池袋の文芸座かどこかの名画座で見た記憶がある。テレビでも見ているはずだが、最初から見てみると、前半は、まるで記憶になかった。後半のほとんどは覚えていたけれど。
     で、結局寝るのが遅くなり、午後まで寝てしまう。起床後、昨日送ったマンガのネームがOKとの電話。このマンガに取りかかるまえに架空戦記の資料で足りないものをインターネットで検索。アメリカのサイトばかりなので、英語の解読に時間がかかる。太平洋戦争は、南太平洋、中部太平洋方面の資料は多くても、アリューシャン方面を含む北太平洋方面の資料が少なくて困ります。

    06月07日 喫茶店ハシゴ作戦

     午後、パソコンと予備バッテリーをリュックサックに入れて、架空戦記の本番原稿を書く旅に出る。計8時間以上は保つバッテリーがなくなるまでは家に帰らない覚悟。喫茶店は、どこも冷房が入っていて、鼻がクスン。午後11時、4軒目の喫茶店でバッテリーがなくなる。予定よりも多い枚数が書けたので、自分へのご褒美に高円寺で生ビール。

    06月08日 追加の資料を入手

     実は、昨日の原稿で、一部、資料が足りなくて抜かしておいた部分があり、そこを埋めるために起き抜けからインターネット。英語のサイトを回って歩いていたら、あっというまに4時間。目が痛くなる。
     しばし休憩の後、朝まで原稿に専念。

    06月09日 軽井沢で藤田宜永氏にインタビュー

     強風と雨がうるさく、ほとんど寝ない状態で東京駅へ。
     午後3時過ぎ、東京駅発の長野新幹線「あさま」で、文芸誌の編集者2名と軽井沢へ向かう。作家の藤田宜永氏にインタビューするため。軽井沢駅前からタクシーに乗り、別荘地にある藤田氏の仕事場におじゃまし、パソコンを使った小説執筆環境についての取材。デジカメでパソコンも撮影させてもらう。
     取材後は、藤田氏夫人の小池真理子さんも加わって、軽井沢のイタリア料理店で食事。午後10時過ぎの最終上り新幹線の発車間際まで、ピザとパスタとビールとワインを囲みながらの歓談。楽しい一時を過ごさせていただいた。この取材は、来週、再来週と続く予定……。

    06月10日 さあ原稿に復帰だ

     昨日は、ほぼ完徹状態での取材だったせいで、久々に8時間以上グッスリ。それでも眠気が抜けない。徳間書店から見慣れない手紙が届いたと思ったら、「超・速読トレーニング」(1987年初版)の増刷通知。13年目で25刷。増刷になるのは小説以外の本ばかり……。家族に「小説はほどほどに……」といわれるのもしかたないか……。専業小説家への道は遠い……。


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