2007年05月の日記

2007年5月31日 (木)▼図書館へ

 今日は早起きして午前中から早稲田大学中央図書館へ。返済期日の迫った本を返し、レポートに必要な本を8冊ほど借りてくる。ただし、読んでいる時間はなさそう。
 図書館ではAVルームで、レポートと仕事双方の参考になりそうな映画を1本見てくる。『二世部隊』(原題「Go For Broke」)という1951年にハリウッドで作られた日系二世部隊の活躍の物語。戦闘シーンは少なかった。二世部隊といわれた442連隊関連の書籍を多数読んでいるが、実際の戦闘は、本当に壮絶なものだったらしい。
 映画を見たあとは、急ぎ帰宅し、また原稿。

2007年5月30日 (水)▼今日も、引き籠もり

 やはり、引き籠もってます。

2007年5月29日 (火)▼原稿執筆中

 ただいま必死に原稿を書いているため、とくに日記に書くようなこともありません。わたし、引き籠もってます。

2007年5月28日 (月)▼「ZARD」を知らないワタシ

 徹夜だったせいで、新大阪駅発の「のぞみ」に乗ると、すぐにサンドイッチで朝食。そのせいで京都駅あたりまでは起きていたが、あとは爆睡。気がついたのは新横浜あたりだった。
 東京駅到着後は、駅構内の書店で本を買い、地下鉄&西武池袋線経由で帰宅。
 途中、携帯電話でmixiをチェックすると、マイミクの人たちの日記のタイトルが「ZARD」「ZARD」「ZARD」で埋めつくされている。ファンの方、ごめんなさい。ワタシ、この「ZARD」が何なのか知りませんでした。『負けないで』という曲は聴いたことがあるけれど、誰が歌っているのかは知りませんでした。
 音楽、お笑い芸人、女子アナ……このあたりのことが、まるでわかりません。
 地元駅に着いてタクシーに乗ると、こんどは運転手さんが農林水産大臣が自殺したことを教えてくれる。
 帰宅して、また寝直そうと思ったが、アマゾンに注文してあった本の不在通知が。電話をすると、すぐに持ってきてくれるというので、寝るのを我慢して待っていたら、なかなか来ない。座椅子にもたれてうたた寝しはじめたらピンポーン。やっとアマゾンが来た。
 で、結局、夜まで寝てしまう。
 目が覚めて夕食をとったあとは、また原稿。
 今週は、ハシカのせいで早稲田大学人間科学部eスクールの授業も休講。この隙に、しばらく、仕事に専念させていただきます。

2007年5月27日 (日)インディ500、またも雨!

 昼に起きてシャワーを浴び、急いで着替えして、昨夜、我が家に泊まった義姉とともに、カミサンにクルマで西武池袋線の最寄り駅まで送ってもらう。
 池袋からは地下鉄丸の内線に乗り換え東京駅へ。15:00過ぎの「のぞみ」に乗って新大阪に向かうが、睡眠不足を補うため、発車と同時にグ〜。途中、三河安城駅通過のアナウンスが聞こえる前に目覚める。昔、鈴鹿サーキットに通っていた頃、いつも、ハッと目が覚めると三河安城駅を通過中だった。そのときの記憶が体内時計に刻まれているのかもしれない。
 名古屋でお客が減ったので、ノートパソコンで新大阪到着寸前まで、架空戦記の原稿書き。
 新大阪からは地下鉄で2つ目の中津まで。ビジネスホテルにチェックインしたあと、ロビーで待ち合わせしていた大阪の企業の方と合流し、ちかくの別のホテルのカフェで打ち合わせ……というよりも、初顔合わせのご挨拶。こちらの会社と進行中の企画については、まもなくアナウンスできると思います。
 打ち合わせ終了後は、ひとりで梅田方面に向かい、とんかつで食事。すぐにホテルの部屋にもどって架空戦記の原稿を書き、2時間ほど仮眠をとる。
 午後10時45分、スーツに着替えてホテルのロビーに集合し、コンビニで食料や眠気覚ましを買い込んでスタジオへ。現地が雨ということで、途中、レースが中断されて長丁場になる可能性も高いため、食料も多めに買い込む。
 リハーサルのあと、午前1時30分から生放送スタート。モニターに映る顔が眠そうだ。ちなみにスーツは、昨年のインディ500のときに着ていたサマースーツと一緒に買ったもの。その前に、2年連続で同じスーツを着て出演したら、しっかりチェックしている視聴者がいて、ネットの掲示板で指摘されていた。それで毎年、スーツを新しくすることにしたわけだが、もちろん衣装代は自前。そんなに高いギャラではないし、1年に一度、着るかどうかのスーツなので、もちろん、チェーン店の安いもの。ブランドものなど買ったら足が出てしまいます。
 レースがスタートして、しばらく経つと、やはり雨でレースが中断。2時間半もの間、喋りでつながないといけない。いちおうクラッシュでイエローが長引いたり、雨になることを予想して、ネタはたくさん仕込んでおいたが、今回は、一緒に解説している松田選手が、ルーキー・オリエンテーションの思い出話でつないでくれて、こちらのネタは出し尽くさずにすんだ。出さなかったものは、来年用にとっておこう。
 雨がやみ、レースが再開したものの、路面温度が下がり、ラバーも流されてしまったせいなのか、クラッシュが続出。あげくの果てに、ワタクシがイチオシだったマルコ・アンドレッティが宙を舞い、イエローが出たところで土砂降りの雨。結局、この雨はやみそうになく、166/200周でレースは終了した。
 優勝したのはダリオ・フランキッティ。ジム・クラークにつづく2人目のスコットランド人優勝者。奥さんのハリウッド女優アシュレイ・ジャッドがピョンピョン飛び跳ねて大喜びしていたのが印象的だった。女優という割りにはツンとしたところもなく、すごく親しみやすい印象の女性だなあ……という印象は、アレックス・ザナルディが両脚切断の事故を起こしたとき、彼女がザナルディの奥さんをずっと力づけ、ケアしてくれていた……という話をザナルディの伝記で読んでいたせいかもしれない。
 で、放送が終了したのは午前8時(だったかな?)。2000年には雨で中断したうえに、200周を走ったため、8時間の長丁場になったが、今回は、それにつづく6時間半という2番目の記録。2004年にも雨で180周で終了しているが、こちらが解説をした7回のうち3回が雨。なんかついてないなあ……。
 ……というわけで、ホテルはチェックアウトをしにもどっただけで、そのまま新大阪に向かい、新幹線で帰京。

2007年5月26日 (土)原稿に追われつつ時差調整

 終日、架空戦記小説の原稿書き。途中、F1モナコGPの予選を見るが、あれ、誰がポールだっけ? あ、アロンソだ。

 深夜、明日のインディ500テレビ解説に備え、資料のチェック。眠かったが明日の放送に備えて朝まで頑張る。

2007年5月25日 (金)▼原稿でヒイヒイ

 今日は睡眠3時間で原稿書き。しかし、今日は宅配便のピンポンが多い日で、何度も仕事を中断させられる。
 宅配便を受け取りに玄関に出たついでに家族が取り込んであった新聞をひらくと、あれま、「熱血!! コロコロ伝説」の一面広告が! 小学館もリキが入ってます。『ゲームセンターあらし』のキャラクターもカラーで出ていて、ちょっと嬉しく、ちょっと恥ずかしい。
 さらにmixiでは、電車の中に「熱血!! コロコロ伝説」の釣り広告が出ていたとの報告が。ますますリキが入ってます。
 ……しかし、そんな感慨にふけっているときではな〜い! とにかくひたすら小説の原稿を書きつづけ、夕方、とりあえず送れるところまで送る。
 夕食後、また原稿……。
 ほかに書くことないのか?→自分
 ないんです。どうもすみません。

2007年5月24日 (木)▼メールの特異日

 昼過ぎに起きてパソコンの前に座り、メールのチェックをすると、いつもよりも多くのメールが届いている。またスパムか……と身がまえたが、スパムメールはフィルターを通しているため、ほとんど目にすることはない。そのスパムフィルターが不調になったのか……と心配したのだが、そうではなく、すべてが打ち合わせやら原稿依頼やら取材依頼やらのメール。
 急ぎの返事が必要なメールが10通ほどあり、この返事を書いては送信しているうちに、また返信の必要なメールが届き、さらには、返信の返信が戻ってくる。そんな状態で、一部はチャット状態になりながら、えんえんとメールを書き続けていたら、いつのまにか夕方。5時間ちかくもメールを読んでは書いていたことになる。

 これはヤバイと、ノートパソコンを持って自転車に飛び乗り、ファミリーレストランへ。食事もしていなかったので、何か食べながら仕事を……と思ったのだが、ハンバーグとミックスフライの食事を終えたら猛烈な眠気に襲われ、原稿など書ける状態ではない。ノートパソコンの画面を見ているうちに、カクンと頭が垂れる状態で、これでは仕事になりそうもない。トイレに行って顔を洗うが、その効果もないので、なんとか自転車で帰宅し、座椅子を倒してダウン。2時間ほど仮眠をとってから起き出し、なんとか朝まで原稿を書いたのでありました。

「熱血!! コロコロ伝説」バナー そういえば、到着しました。明日発売予定の“大人のコロコロ”こと「熱血!! コロコロ伝説」の1号と6号。封を切ってチラリと中身を覗くと、つい読みふけってしまう。そんなヒマはないのだ! とココロを鬼にして今日のところは封印。仕事が一段落したら、またジックリ読むぞ!
(バナーをクリックすると「熱血!! コロコロ伝説」のサイトにジャンプします)

2007年5月23日 (水)▼メールの特異日&資料の買い出し

 昨日、疲れがたまっていたせいか、ちょっと体調不良だったので、しっかり睡眠をとろうと午後まで寝る。おかげでスッキリ目覚めたのだが、その後、どういうわけか怒濤のようにメールが到着。それも返事が必要なものばかり。返信を書いて送ると、すぐに別のメールが到着。なかにはチャット状態になるメールもあって、メールを読んでは返事を書いているうちに、時刻はアッというまに午後7時。
 それにしても、今日読み書きしたメールの多さ。新記録ではなかろうか。仕事の打ち合わせに取材の相談にインタビューの申し込みに……など。

 急いで夕食をかき込んだあと、池袋のジュンク堂に向かう。ジュンク堂は午後10時まで開店しているのが便利。大学の課題で必要な本や、仕事の資料類を購入。あっというまに1万円以上になるが、そのうちの1万円分は図書カードで支払い。

2007年5月22日 (火)▼仕事が進まない

 今日は、管理を頼まれているWebサイトのブログがトラブルを起こし、悪戦苦闘して修復を試みたが、たぶん、ブログソフトのMovableTypeが使っているMySQLというデータベースソフトのデータが壊れたらしく、どうしても復旧しない。データベースのバックアップなんて取っていなかったしなあ……。
 半日以上、悪戦苦闘したが、仕事もあるので、復旧を断念。とりあえず問題は書き込みができないことだけなので、これまでのブログだけ読めるようにして、とりあえず作業を終了。
 今日から仕事に専念……のはずだったのに仕事にならず、かなり青ざめている。明日から追い上げなくては。

2007年5月21日 (月)▼テレビ会議でゼミの授業

 今日は昼前に起床し、必死にeスクールの授業を受講。その途中でeスクールから、ハシカのため早稲田大学が全学規模で本日の午後から29日まで休講になったとの連絡が。eスクールも、今週分の授業は配信を終えていたが、来週の授業の掲載が1週間遅れることに。課題やレポートの締切も1週間延びるとのこと。

 うわあ、まいったなあ。課題レポートの資料を早稲田大学中央図書館に借りにいくつもりで、借りたい本もリストアップしてあったのに、なんと図書館も休館。このレポートも締切を延ばしてくれるんだろうか?

 夕方までに、今週の授業の受講をほぼすませ、午後7時からゼミのテレビ会議。提出してあった卒論の序論や先行研究について、この先、どうしたらいいかを話し合う。もっとも映像や音声の調整が必要で、会議になったのは終わりの30分くらいだったかもしれない。それでも、面白い体験ではあった。あと数回、このシステムを使って授業をする予定。

 テレビ会議終了後、残っていた1科目の最後の1章を受講し、今週の授業は終了。小テストもすませたし、これで仕事に専念できる。あ、BBSへの書き込みがひとつ残っていたが、これは後まわしにしよう。今日は、睡眠不足なので、早々に寝ます。

(画像はボカしてあります)

2007年5月20日 (日)ミステリーな結婚披露パーティー

 今日は、正午前に起きて原稿をビシバシ。午後、六大学野球の早稲田対明治の試合で、早稲田が3点のリードとなったところで家を出て、一昨日、出かけたばかりの神保町へ。

 今日の目的地は、一昨日、半日ほど滞在した小学館の斜め前にある学士会館。由緒ある建物だなあと思ってはいたのだが、ここが日本における野球発祥の地だったとは、今日、はじめて知ったのであった。

 学士会館に来た目的は、ミステリー作家・芦辺拓さんの結婚披露パーティーに出席するため。辻真先先生はじめ、芦辺さんと一緒に鮎川哲也賞を受賞した二階堂黎人さん、柴田よしきさん、篠田真由美さん、ひかわ玲子さん、野間美由紀さんなど知った顔も多く、ホッ。

 司会は、関西のミステリーファンにはお馴染みの講釈師・旭堂南湖さん。途中、余興で、あの酒井七馬作の『原始怪獣ガニラ』の紙芝居まで見せていただき、ラッキー! ちなみに『酒井七馬伝』の著者・中野晴行さんもいらしてました。

 パーティーがお開きになったあとは、女性ミステリー作家軍団四名に男ひとりで拉致されて(?)神保町のカフェでお茶。ん……なんか、最近、妙齢の女性複数の中に男ひとりで混じって、お酒を飲んだりお茶をしているパターンが多いような記憶があるが、思いちがいかな?

 女性軍の皆さんは、さすがにミステリー作家だけあって、話題は、殺人や銃器などの濃ゆいネタばかり。日曜日の夜で、店が空いててよかった……かも。

 お茶のあとは神保町で解散し、単独で高円寺に移動。新店舗へ引っ越しのため、今日で旧店舗がクローズするノラやの在庫一掃セール(?)に顔を出す。狭い店に寿司詰めになり、しかも隣は落語家のB師匠。そのまま閉店時刻までいたかったけれど、仕事もあれば授業もあるので、泣く泣く、電車のあるうちに帰宅。冷たい水で顔を洗い、切り替わったばかりの授業を1科目受講してから布団に潜り込んだのであった。

2007年5月19日 (土)早稲田大学所沢キャンパスでスクーリング

 今日は午前7時前に起床し、早稲田大学所沢キャンパスへ。「Media Production & Presentation」という授業のスクーリングのためである。eスクールでは今学期に初開講した授業ということもあり、受講者も60名ほどと大人数だった。

 午前中の授業は、隣り合った人同士で、特殊な図形を口頭で伝達し、それを絵にしてもらう実験や、クラス内の数人で小グループを作り、「何かを売る」というプレゼンテーション。わがチームは「人生をリセットする権利書」というものを売ることになった。

 しかし、社会人が多いせいか、他チームのプレゼンテーションの内容も、面白く、しかもプレゼンテーションも堂に入ったものが多い。このあたりが高卒後、まっすぐに大学に入った通学生と、大きく異なるところだろう。

 昼休みは事務局に2006年度卒業生の卒業研究要旨集をもらいにいき、さらに図書館に行って別科目用の資料をコピー。昼食の時間もなくなってしまったため、学食でカレーライスを大急ぎでかきこみ、あわてて午後の授業に入るあわただしさ。

 午後は、パワーポイントによる自己紹介プレゼンテーションの製作、そして、5〜6名が1組になってのビデオカメラを使った30秒のショートムービー製作など。

 パワーポイントは、先週、早稲田大学西早稲田キャンパスで開催されたシンポジウムのために、「OpenOffice」を使ってプレゼン資料を作成していたこともあり、あっさり、簡単にできた。

 ビデオについては、どうも動画に関心が薄く、我が家にはビデオカメラもない。1983年に、アタッシュケースのように大きなポータブルVHS録画機のナショナル・マックロードとカメラを買い、富士スピードウェイに持っていったこともあるが、結局、数回、撮影に使ったきりで、それっきり。でも、今日の授業では、Windows XP付属の「Windowsムービーメーカー」で、簡単な動画編集ができることもわかった。これなら小さなデジタルビデオカメラを1台買って、ちょっとした小作品など作ってみてもいいかも。今後の課題ということにしておこう。

 授業のあとは学食で懇親会。そしてゼミ担任のK先生も巻き込んで、ゼミ仲間と一緒に小手指でプチ懇親会。睡眠不足のうえにビールも入ったせいで、帰宅するなりバタンキュー。学生気分満喫の1日であったのだった。

2007年5月18日 (金)▼打ち合わせ、取材、座談会、プチ同窓会

 今日は午前中に起床し、午後1時から神保町の喫茶店で新連載の打ち合わせ。久々にマンガの連載をするのだ。しかも隔週。編集部もこちらも心配なので、締切を前倒しにして進行することにする。

 つづいて午後3時から小学館の会議室で「熱血!! コロコロ伝説」の取材を受ける。写真を撮影されながらのインタビューで、昔の「コロコロのり」の勘が取りもどせずに、ちょっと苦労した。

 さらに午後5時からは、同じ会議室で、別の出版社から発売予定の「コロコロコミック」30周年に絡んだ企画で、元編集長で現取締役のHさんとマンガ家のむらしんぼさんの3人で座談会。

 午後7時に座談会が終了したあとは、近所の中華料理店でフルコースをご馳走になる。

 おひらきになったあと、のむらさんと2人で高円寺へ。居酒屋で飲んでいた、ながいのりあきさんと合流し、「プチ・コロコロ同窓会)。ちょっとした流れから3人で寄せ描きまですることに。

 本当は、遅くまで付き合いたかったのだが、明日がスクーリングで早いため、早々に退散。あわただしい1日だったが、充実した1日でもあった。

2007年5月17日 (木)▼夜遅くにPCショップへ

 今日は午前中に起床後、ひたすら原稿。夜になってカラー印刷の必要が生じたが、インクジェット・プリンターのカラーインクが切れている。出かけたついでに買おうと思っていたのに風邪のせいで出かけそびれていたため、ずっとインク切れのままだったのだ。

 今夜中に印刷しなければならないが、すでに時刻は午後8時過ぎ。ヤマダ電機も閉まっている。そこでふと思い出したのがPCデポ。確か、夜遅くまでやっていたはずだとネットで検索すると、あれれ、いつのまにか練馬の高野台ちかくにあった店舗が消えている。ちかくにヤマダ電機やコジマができて、商売がしにくくなったのかもしれない。次に近いのは、花小金井店。午後10時まで開いているとのことで、すぐさまクルマで出かけインクを購入。なんとか急ぎのプリントをすませることができた。

 風邪は抜けてきているけれど、でも、睡眠不足がつづいて疲れ気味。今日は早めに寝よう。

2007年5月16日 (水)▼『D列車でいこう』読了!

 正午前に起床し、コーヒーを飲みながら原稿。午後遅くになって阿川大樹さんの新刊小説『D列車でいこう』が到着。簡単なあらすじをご本人から聞いていたが、あらすじを聞いただけで胸ときめくような内容だったので、あわてて封を開いて読みはじめる。途中、食事と仕事のメール連絡などで少し中断したが、あとは一気読み。いやあ、予想にたがわず面白かった。このまま映画にもなっちゃいますね。『スウィングガールズ』とか『フラガールズ』とか『UDON』とか、そんな感じではありますが、この構成のままシナリオにしても、2時間の映画ができてしまいそう。
 バツイチで誠実な銀行マンとMBAを持つ銀行キャリアウーマンと元国家公務員の鉄ちゃんが、廃止寸前のローカル線復活に向けて動き出す『プロジェクトX』風の物語なんだけれど、読んでいてアドレナリンが涌いてくる。
 団塊の世代についても触れられているが、そうなんだよな、テレビなんかで観る老人施設では、老人に演歌を歌わせたり、童謡でお遊戯させたり。ベンチャーズにビートルズにGSで育った世代は、そんな施設には入りたくないにちがいない。ぼくだってイヤだ。そんな施設に入るときは、ノートパソコンとエレキギターとアンプを抱えていきたいものだ。
 それはともかく、この小説、評判になることまちがいなし。いま、日本中が、こんな小説を求めているのではないか。きっと書店でもプッシュしてくれることだろう。阿川さんも忙しくなること請け合いだ。皆の衆、瞠目して読むべし!
 さあ、みんな、ポジティブでいこう!

■今日、読んだ本

『D列車でいこう』『D列車でいこう』(阿川大樹/徳間書店/2007年5月刊/1,785円)........表紙の画像が、まだアマゾンに入っていないようなので、阿川さんのサイトからお借りしました。


2007年5月15日 (火)▼PCレスキュー隊、出動せよ!

 今日は午後になって起床し、早稲田大学人間科学部eスクールの所属ゼミから届いていたWebカメラとマイク・レシーバーのヘッドセットのセットアップ。来週から始まるテレビ会議を使ったゼミ授業の準備である。週末に接続試験があるのだが、仕事で参加できないため、来週の授業はぶっつけ本番になりそう。どうか、うまくいきますように。

 テレビ会議のセットアップ終了後は、ひたすら仕事の原稿を進める。

 夜になってから早稲田大学人間科学部eスクールの先輩で、いまは大学院生のMさんのノートパソコンをチェックするため、クルマで西武新宿線の最寄り駅へ。先週、MさんからSOSの電話があり、PCレスキュー隊として出動することにしたもの。

 駅で所沢キャンパスから帰宅途中のMさんを待ち受けてピックアップし、ファミリーレストランに向かう。食事しながらノートパソコンのチェックをするためだ。

 トラブルの内容は、画面コピー(キャプチャー)をしようと「Print Screen」キーを押してもコピーができない、というもの。ファミレスに到着し、テーブルでノートパソコンを開いたとたんに、秒速で問題は解決した。このノートパソコン、富士通製だったが、「PrintScreen」キーを有効にするには「ファンクション(FN)キー」を押す必要があるタイプだったのだ。ノートパソコンは、キーボードのキーの数を減らすために、「FN」キーを採用しているものが多い。この富士通製のノートパソコンも、その方式だったわけだ。

 こちらが愛用しているパナソニックのLet's Noteも同じ方式を採用しているが、ふだん、画面の保存には「PaintShop Pro」のキャプチャー機能を使っているため、「Print Screen」キーを使う機会がなく、電話で相談を受けた段階では、ピンとこなかった。電話をもらったときは、デスクトップPCを使っていたこともあって……。

 というわけで、「FN」キーの使い方をお知らせした結果、やろうとしてできなかったという画面の明暗や音量の調整も可能になったのでありました。

 ほかに論文を書くために必要な先行研究調査のためのデータベースの使い方や、パソコンに取り込んだ論文の整理方法などもアドバイス。でも、よく考えると、学部生が院生にアドバイスするというのは、ちょっと変? といっても、こちらはパソコンやネットワーク、データベースの利用経験とも20年以上。社会人学生の世界では、珍しくないことにちがいない。

 食事を終えてMさんをクルマでお送りする途中、Mさんの仕事の話をあれこれ伺う。旅行業界のベテランだけに、そちらの世界ではプロ中のプロ。面白いエピソードや知見を持っていて、非常に興味深かった。こんなところが早稲田大学人間科学部eスクールのWeb 2.0的なところでもあるのではないか。つまり、いろんな経験を持つ社会人が集まる「智の集積場」という意味で。これをネット上だけでおこなえば、もっとWeb 2.0的になるのかもしれないが。来週からスタートするテレビ会議システムを使った授業も、そのようなものに近いかもしれない。

 帰宅後は、またパソコンに向かい、明け方まで原稿。さらにそれから2時間ほどワインを飲みながら読書。しばしの至福の時間。

2007年5月14日 (月)▼レポート、ギリギリで提出

 今日のレポートの締切は、深夜の23:59。あれこれ調べ直したり、書き直したりで、夕食は片手で食べられるオニギリ。なんとか23:40頃には完成し、大学のサーバーにアップロード。

 ホッと一息つく間もなく、こんどは残る授業を受講。朝までに小テストなどの提出物も出してしまう。これで今週は週末まで仕事に専念できる……はず。

2007年5月13日 (日)F1、スーパー・アグリ、初入賞!

 朝帰りをしたせいで、起床は午後3時。喉が痛くて声も出せない。しかし、差し迫ったレポートがあるため、そんなこともいっていられない。パソコンに向かってレポートを書き、午後9時から食後の休憩を兼ねてF1スペインGPを観戦。

 決勝レースがスタートすると、いつものように、途中で居眠りしてしまうが、後半、目が覚めると、なんとスーパー・アグリの佐藤琢磨が8位争い。先行していたフィジケラがピットアウトしてきた瞬間は、つい、拳を握り締めてしまう。8位争いで力こぶを入れているようではいけないんだけれど、でも、まあ、1年で、よくもここまで……という思いもある。鈴木亜久里オーナーは、うちが富士GCシリーズに参戦していたときは、独立したてのホヤホヤで、ガレージも隣り合っていたりした間柄でもあるので、その分、力が入るわけでもあります。

 琢磨の8位を確認した後は、表彰式も見ないでレポートに復帰。さらに午前零時から、今週の授業を何科目か受ける。

2007年5月12日 (土)早稲田大学でシンポジウム

 今日は早稲田大学西早稲田キャンパスの井深大記念記念ホールにおいて、「早稲田大学人間科学部教育課程(eスクール)成果報告」というイベントがあり、『eスクールを基盤とした従来型教育からの脱却』というシンポジウムのパネラーとして出席した。

 いちおう出席の確認は取れていたのだが、現役学生の代表として「パワーポイント」を使って10分間のプレゼンテーションをして欲しい、との依頼があったのが5月3日になってから。「え、プレゼンまでするの? でも、パワーポイントなんて持ってないのに」ということで、今後、他の授業や卒論発表でも必要になりそうなことから、買いに出かけようと思ったのだが、あいにくの風邪で寝込んでいる状態で、外出する気力がない。

 そこで無料で配布されているオープンソースで書かれた「OpenOffice」を使ってみることにする。以前、Ver.1の頃に試したときは、動作が重く、使いものにならない印象だったが、その後、Ver.2になってから少し試してみたら、パソコンの性能が上がっていたせいかもしれないが、操作感に重いという印象もなくなっていたからだ。

 ゴホゴホと咳をしながらプレゼンテーションの資料を1日がかりで作り終え、プレゼンも規定の10分以内に収まるように時計の針を見ながら練習していたのだが、そんなとき、7日に新しく配信された早稲田大学人間科学部eスクールの「Media Production & Presentation」の授業ビデオが、まさにプレゼンに関する注意事項などをまとめたもの。ビデオのH先生の指摘を参考に、自分のプレゼン資料を作り直したり、プレゼンの練習をやり直したり。

 事前準備は怠りないはずだったのに、本番直前になって他のパネラーの方々のプレゼンを見ていて気づいたのが、自分のプレゼン資料に題名がなかったこと。あわてて客席でノートパソコンを使って題名を打ち込んだのは、1人前の方のプレゼンがおこなわれいるあいだのこと。

 自分のプレゼンでは、事前のテストではOKだったプロジェクターへの接続に戸惑ったり(ノートパソコンをバッテリーだけで動かしていたため、画面がスタンバイ状態になっていた)、いざスタートすると、予定になかった余計なことまで口走って、時間が足りなくなり、結局、中途半端に終わってしまう。

 ただし、アカデミックなシンポジウムとはいっても、こちらは、ある意味、生まれついてのマンガ家である。つい「ウケ」を狙ってしまうし、「笑い」を取ろうとする悲しい習性がある。そのあたりについてだけは、会場にいらしていた聴衆の方にも受けていたようで、ココロの慰めとする。しかもプレゼンの後、シンポジウムの前に基調講演をされた東工大名誉教授の坂元昂先生に、「おもしろかったですよ」と声をかけられ、ドギマギ。しかも過分なお褒めの言葉をたくさんいただいて、まさに身に余る光栄であり、ひたすら恐縮の態でありました。

 最後に他のパネラーと一緒に壇上に上がっての討論のはずが、それぞれが一言くらい感想を述べるだけで、時間切れに。

 たしかに「eスクールの成功」については、大学側、システムをつくった人たち、そして教育コーチたちの尽力も大変だったとは思うのだが、eスクール現役生としての実感からすると、この早稲田大学人間科学部eスクールの発展には、学生の自主的かつポジティブな取り組みもも欠かせない大きな要素であったのではないか。とりわけ初のeスクール生となった1期生が、懇親会などのイベントやサークル結成などを通じて培った「校風」が、のちのeスクールの発展に、大きく寄与していたようにも思う。機会があれば、学生が主体になったeスクールについてのシンポジウムが開催されても面白いかもしれない……と、壇上に坐りながら、そんなことを考えていた。

 シンポジウムの後は、リーガロイヤル・ホテルで開催された懇親会へ。他大学の教員、学生、eラーニング業界の方々からも、プレゼンが面白かったと声をかけられ、恐縮しきり。パーティーでは、早稲田大学人間科学部eスクール教員の先生方、交友たちとも談笑し、おひらきのあとは高田馬場へ移動して、校友たちと二次会。さらには三次会にまで突入して、結局、朝帰り。パーティーでも二次会・三次会でも、騒々しい中で大声を張りあげて話していたので、風邪にプラスして、さらに喉が痛い。

2007年5月11日 (金)▼風邪が抜けてきた……

 起きたときには喉が痛かったが、その後、痛みも取れてくる。あ、夕食の後に薬を飲むのを忘れたけれど、もう咳も出なくなったし、大丈夫そうだ。はあ、長かったなあ。

 今日は、管理を担当している高円寺「ノラや」のサイトの一部リニューアル。来月、新店舗に引っ越すため、地図の入れ替えなど。また、スクロールが面倒なので、フレームでの表示をやめにしてみた。

■今日、届いた本

『小袖日記』『小袖日記』(柴田よしき/文藝春秋/2007年4月刊/1,600円)........柴田さんからの頂きもの。いつもありがとうございます。タイムスリップものですが、気楽に読めそうで楽しみ。しっかし、柴田さんは、作品の幅が広いよなあ……。柴田さんとは来月あたりに某イベントで密会の予定があるので楽しみにしています。

『撃墜王』『撃墜王』(スティーブン・クーンツ/高野裕美子・訳/講談社文庫/2000年11月刊/1円)........1円ってのは、アマゾンのマーケットプレイスで買ったため。新刊があれば、基本的には新刊で買うようにしています。こちらも印税のおかげで生計を立てさせていただいている身なものですから。
 作者のクーンツは、あの『ベストセラー小説の書き方』の(^_^;))クーンツではありません。『デビル500応答せず』や『イントルーダーズ』などの航空軍事小説の第一人者のスティーブン・クーンツです。アマゾンではS.クーンツスティーブン・クーンツの2つの表記になっているので、ちょっとややこしい。

すがやみつるすがや みつるのちがいみたいなものか。姓と名前のあいだにスペースが入るだけで、検索結果がちがうのだ)

 A6イントルーダー攻撃機に乗っていた元パイロットだけあって、海軍の空母からの離発艦や戦闘シーンなどの描写のリアルなこと。好きな作家の1人です。でも、この『撃墜王』という本は見逃してなあ……。
 過去の第一次大戦から現代に至るまでの撃墜王や名パイロットのノンフィクションを編集したアンソロジーで、S.クーンツは、ここでは編纂を担当しているのですが、なんでも第一次世界大戦でのアメリカ一の撃墜王となったエディ・リッケンバッカーの記録も入っているらしいとのことで、あわてて検索したもの。
 リッケンバッカーは、パイロットになる前にはインディ500マイルレースにも出場したレーシングドライバーで、第一次大戦で活躍した後は航空会社を興し、さらにはインディアナポリス・モーター・スピードウェイを購入してオーナーにもなった人物。太平洋戦争中には、操縦していたB‐17が太平洋に不時着水し、24日間の漂流の後、救助されるなど、ドラマチックな人生を送っている。エレキギターのリッケンバッカーは、イトコが創業者のひとり。ギターのブランド名をリッケンバッカーにしたのは、撃墜王の名声にちなんだものだったとか。
 なんで、こんなことをチェックしているのかというと、今年のインディ500も公開練習がスタートしているなんてこともありまして。


2007年5月10日 (木)▼風邪、治らず

 う〜ん、しつこいなあ……。病院のクスリを飲んでも風邪は少し良くなったくらい。明後日、大きなプレゼンがあるのに、せめて喉の痛みだけでも止まってくれ……と祈りながら、「OpenOffice」で作ったプレゼン用の資料を煮詰める。

2007年5月9日 (水)▼病院に行く

 雑用で外出しなければならなくなり、ついでに切れた風邪薬を買おうかと思ったが、思い切って病院に行くことにする。

 すでに熱はないのだが、喉が腫れあがっていて痛い。診察の結果も、喉以外に問題はなさそう。4種類の薬を処方され、イソジンのうがい薬をもらってくる。

 帰途、スーパーに寄ってスイカを買い、帰宅後、すぐさま食す。

 しかし、風邪だってのに、食欲だけは、いつもよりあるくらい。風邪をひいてから体重は増えているんじゃなかろうか。

 イソジンが効いたようで、夜になってから喉の痛みも引いている。このまま治ってくれ〜!

2007年5月8日 (火)▼まだ風邪……

 風邪を引いているのに、無理をして仕事をしたり、授業を受けたりしていたせいか、まだ風邪が抜けない。かえってぶり返しているような雰囲気だ。
 昨日も断続的に寝ていて、最終的に目が覚めたのが午前零時。それから早稲田大学人間科学部eスクールの授業を受けて、朝7時過ぎてから風呂に入り(風邪で風呂を我慢していたので、もう気持ち悪くて……)、寝たのが午前10時。これじゃ身体にいいわきゃないよ。

 夕方起床するも、ノドの痛みが激しくゲホゲホ。夜になって給湯器が壊れていることが発覚し、しかたなしに家族は自転車で銭湯に。娘は銭湯に行くのなんて生まれて初めてではなかろうか。

 こちらは授業の課題の残りや仕事の資料読み。あいかわらず風邪薬を飲めば、たちまち眠気……の繰り返し。本当に参るなあ……。

2007年5月7日 (月)▼風邪がしつこい……

 昨夜は、編集者に見せることになっていた新作の書き出しを朝までかかって書き上げ、意識モーローとしながら送信。こんなことをしていたせいか、起きても風邪の症状は抜けず。早稲田大学人間科学部eスクールの授業を受けるが、風邪薬を飲むと、たちまち眠くなってダウン。夕方に起床し、また授業を受けるが、夕食後、風邪薬を飲むと、またダウン。

 結局、深夜に目が覚め、残りの授業をすべて受講。「Media Production & Presentation」の授業は、プレゼンテーションのツボについての講義。週末のプレゼンテーション用に作成してあった「OpenOffice」の資料を授業の内容に沿ってつくりなおす。

 今日は早めに寝よう……といいつつ、もう4時だ。

2007年5月6日 (日)まだ風邪が抜けない

 いちど昼前に起きたのに、熱っぽくて起きていられず、布団の中で読書。そのまま眠りこけてしまい、目が覚めたら午後8時。早く治ってくれないかなあ……。
「ホメオスタシスのために頑張ってくれ、白血球!」と、「生理学」の授業を思い出しながら、声援を送る。

2007年5月5日 (土)風邪が治らない……(泣)

 こんなに風邪が長引いたのは、いつ以来のことだろう。とにかく記憶にないぞ。身体が熱っぽくて、喉が腫れあがり……って、これはインフルエンザ? 風邪薬を服用すると、すぐに眠くなるため、1日に何度も寝てばかり。それでも体調は回復せず。
 大学の課題は先にすませているので問題ないのだけれど、仕事の資料読みと原稿がズルズル……と。連休明けには新しい仕事の打ち合わせも始まるのに……。風邪よ、飛んでけ〜!

2007年5月4日 (金)▼プレゼンテーションの資料づくり

 いま、早稲田大学人間科学部eスクールの授業で「Media Producton & Presentation」という科目を受講しているのだが、どうやらスクーリングで「パワーポイント」を使ったプレゼンテーションをするらしい。
 そのためパワーポイントを購入する予定だったが、忙しくて買いに行っていられない。おまけに風邪を引き込んで、今日も絶不調。しかし、授業とは別のシンポジウムにパネラーとして参加することになり、そこでもプレゼンテーションをしなければいけないため、熱を押して資料づくりを開始する。

 パワーポイントが手元にないので、使ったのは「OpenOffice」の「Impress」。付け焼き刃で機能を確認しつつ1日がかりで動画混じりのファイルを完成させたが、これをパワーポイント仕様で保存すると、目玉の動画が表示されないではないか。ほかにテキストのアニメ効果などに少しおかしなところがもある。

 でも、そのような特殊効果の部分を除けば、あとは、かなりの互換性がとれている。「Open Office 1.0」のときは、処理が重くて使う気になれなかったが、だいぶ進歩しているようだ。

 午前6時ちかくなって作業を終えたが、熱が上がり、喉も腫れあがって声も出ない。また首にタオルを巻いて寝ることにしよう。

2007年5月3日 (木)▼また男性誌に「コロコロ30周年」の記事

 今日も風邪が抜けず、喉が腫れあがってゲホゲホ。熱もあるので家に籠もり(風邪でなくても籠もっているのだが)、ポカリスウェットとビタミンCと風邪薬で過ごす。夜になってから、少しは回復してきた感じ。

 午後、「CIRCUS CLIMAX」(サーカス・クライマックス/KKベストセラーズ)というグラビア雑誌の最新号(「CIRCUS」6月増刊号)が届く。先日の「週刊プレイボーイ」と同様に、この雑誌にも「コロコロコミック」創刊30周年の特集記事が掲載され、そこにぼくも取材を受けて登場している。ほかにファミコンの高橋名人や元タミヤの前ちゃんも。みんな、すっかりオジサンになってしまったなあ……。もちろん、ぼくも含めてである。あ、『超人キンタマン』の立石佳太さんは、あまり変わってないなあ。マンガ家は年をとらないのかもしれない。

2007年5月2日 (水)▼風邪で読書&『あらし』が大学の教科書に

 昨日、身体がゾグゾグして風邪をひいた感じがしたので、少し早めに寝たのに、今日は、喉が痛くて目が覚めてしまう。あーあ、久しぶりに本格的な風邪だよ。一度は起きて仕事を……と思ったが、熱があるのかボワ〜ッとして集中できない。しかたがないので、本を持って寝床にもどり、ひたすら読書。もっとも風邪薬を服用したせいもあって、すぐに眠くなり、何度もうたた寝してしまう。

 それでも読了したのは以下の本。

■今日、読んだ本

『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』『アニメ作家としての手塚治虫―その軌跡と本質』(津堅信之/エヌティティ出版/2007年3月刊/2,520円)........先日読了した『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』(中野晴行/筑摩書房/2007年2月刊/1,995円)に比べるとワクワク度が低かった。たぶん読者として求めているものが違うからだろう。ぼくが読みたいのは専門書や学術書ではなく、読み物として面白いノンフィクションだからだ。『謎のマンガ家〜』が面白く、読んでいてワクワクしたのは、おそらく「足で書かれたノンフィクション」で、たくさんの未知の事実が書かれていたからだろう。『アニメ作家としての手塚治虫』も、『アトム』の予算の話のほかに、もっといろんな「新発見」が欲しかった。もっと多くの関係者に取材していたら……というのが正直なところかな。
 そういえばぼくも、虫プロ出身の石津嵐さんの原作で、虫プロを舞台にしたマンガを描いたこともあったのを思い出した。ついでなので、期間限定でダウンロードできるようにしておこう。→[ダウンロード(toriyo_tobitate.pdf / 3,258KB)

『デジタルメディア・トレーニング―情報科時代の社会学的思考法』表紙カバー クスリが効いたのか、ぐっすり昼寝してしまい、目が覚めると夕方。夕刊を取りに玄関に行くと、ポストに本が届いている。『ゲームセンターあらし』のイラストを使わせてほしいと依頼のあった『デジタルメディア・トレーニング―情報科時代の社会学的思考法』(富田英典&南田勝也&辻泉・編/有斐閣選書/2007年4月刊/1,995円)という本だった。大学生向けの教科書として書かれたものだが、第9章「ビデオゲームの誕生」のトビラに『あらし』のイラストが掲載され、『あらし』についての説明文が添えられていた。有斐閣の本には大学の授業でお世話になっているせいもあって、ちょっぴり誇らしい気分。

 さて、熱も下がったようなので、仕事と授業の資料読みをつづけるとするか。

2007年5月1日 (火)▼「ハノイの塔」に夢中?

 昨日の日記を読んだ学友からメール。「ハノイの塔の解法を知っている場合も、その手順を書けばいい」と、他のクラスでコーチから案内があったらしい。やはり、同じような疑問を抱き、質問した人がいたらしい。

 で、この「ハノイの塔」、パソコンをいじりはじめた頃、雑誌に紹介されたBASICのプログラムを打ち込んで、そのアルゴリズムを学んだことがあった。「ハノイの塔」の最短手順を知っていたのも、このときのこと。円盤が5枚くらいまでなら、途中で詰まることもなく、最短手順ですべての円盤を移動できる。最初の1枚をどこに置くかも、円盤の枚数が偶数か奇数かで変わってくる。そんなことを憶えているのも、このとき実際にプログラムを書いて試してみたからだ。

 Z-80を使った8ビットのパソコンで、BASICインタープリターを使っていたため、このような思考系の計算には、えらく時間がかかった記憶がある。同じ頃、オセロゲームも打ち込んでみて、やはり、あまりの遅さに音をあげて、秋葉原までマシン語のカセットテープを買いにいったりもしたものだ。

 そこで試しに「ActiveBasic」を使って「ハノイの塔」の最短手順を求めるプログラムを書いてみようと思ったのだが、どのように書いていいのか、まるで思いつかない。確か、クイックソートか何かの延長か応用で書いた記憶があるのだが、まるで出てこない。ソートのプログラムだって、クイックソートやバブルソートのプログラムをさんざん書いていたはずなのに、これも出てこない。老人力というのは、こういうことを指すのでしょうか?

 でも、どこかにBASICで書かれた「ハノイの塔」のプログラムがあるに違いない……と思って検索したら、ありました!「Hanoi Mania」という「ハノイの塔」の解法プログラムばかり111種類も集めたサイトが!

 Hanoi Mania

 当然のごとくBASICで書かれたプログラムもあったのですが、なんと、ここには1976年に、あのビル・ゲイツが、マイコンのホビーストたちに宛てたオープンレターまで添えられています。

 ビル・ゲイツの手紙とBASICによる「ハノイの塔」解析プログラム

 この手紙を読むと、その後のマイクロソフトがとった経営戦略の出発点がここにあったのでは……なんて思ったりもします。ついでに当時は「Micro-Soft」という表記だったこともわかります。住所がニューメキシコ州アルバカーキーになっているのは、MITS社のマイコン「Altair 8080」用にBASICを開発し、この地で会社を立ち上げた直後のことだからでしょう。アスキー創始者の西和彦さんがマイクロソフトを訪問したのも、この頃だったはずです。

 とりあえずプログラムをダウンロードし、「ActiveBasic」「N88互換BASIC for Windows95」の両方で試してみましたが、きちんと動いてくれました(あ、ちょっとREM文の中にある記述がエラーを発したので、そこだけ直しました)。

 でも、円盤の数を増やすと(最大9枚)、手順が画面に入りきれなくなりし、何回かかったのかもわからない。そこで、回数だかわかるように、ちょっとプログラムを書き換えてみました。これをActiveBasicでコンパイルし、実行ファイルにしたものを掲載してみます。よろしかったらお試しあれ。ただしWindows用です。また、セキュリティの関係でダウンロードできない人もいるかもしれませんので、lzhファイルにしておきます。

 hanoi_basic.lzh

 ついでにPerlで書かれたCGIプログラムも見つけたので、これも試しに、このサイトにインストールしてみました。試してみたい方は、下のリンクをクリックしてみてください。URL欄に記述されたURLの「?」の後に書かれた数字が円盤の枚数になります。円盤の数を変えたいときは、この数字を変更してください(最大9)。なお、こちらでは手順の回数は表示されません。

 hanoi.cgi?3

 しかし、プログラムは動いたものの、アルゴリズムを思い出せないのが、なんとも情けない。おまけに、こんなことをしているヒマもないというのに……。とりあえず解法はわかるので、この手順をパソコンにつないだマイクに向かって話し、IBMの音声認識ソフト「ViaVoice」でテキスト化する。


『 これから、ハノイの頭の実験炉スタートします。
 まず最初に、某市に包まれている円盤のうち、最上段にある正念場を移す円盤を棒を決めます。円盤の数が奇数の時は、最初に円板を移す先は、最終的に全円盤を積み上げる棒になります。つまり今回のケースでは、円盤の数が奇数なので、最初に正面番を打つのは某さんになります。(後略)』


 これを修正したものが下の文章。

『 これから、ハノイの塔の実験をスタートします。
 まず最初に、棒1に積まれている円盤のうち、最上段にある小の円盤を移す棒を決めます。円盤の数が奇数のときは、最初に円盤を移す先は、最終的に全円盤を積み上げる棒になります。つまり今回のケースでは、円盤の数が奇数なので、最初に小の円盤を移すのは棒3になります。』


 そんなに悪い結果ではないと思いますが、いかがでしょう。

 早稲田大学人間科学部eスクールの今週の授業は、昨日のうちにすべて受講ずみだが、2科目ほどBBSに書き込み。「ハノイの塔」にドップリ浸かっていたおかげで、予定していたスケジュールが大幅に遅れる。しかも風邪をひいてしまったらしい。アイスホッケー観戦のせいかも。というわけで風邪グスリを飲んで早めに寝ることに……。


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