こんにちは。すがやみつるです。1971年に『仮面ライダー』(原作・石ノ森章太郎)のコミカライズでデビューし、今年(2021年)で画業50周年になるマンガ家です。途中、小説家になったり、社会人大学生や大学院生になったり、大学教員にもなりましたが、それでも生計の大半はマンガから得てきました。
代表作は『ゲームセンターあらし』という児童マンガです。1978年から83年にかけて「コロコロコミック」に連載され、82年にはTVアニメにもなり、83年には『こんにちはマイコン』という学習マンガと併せて小学館漫画賞を受賞しています。
世間的には『ゲームセンターあらし』だけが知られているのですが、実は、その後も大人向けや子ども向けの学習マンガを多数執筆し、生計の糧としてきました。おかげさまで仕事に困ったことはありません。仕事が途絶えそうになったら新企画を売り込みにいき、仕事をつないできたからです。
私にとってマンガ家とは、作品を発表することよりも、食べるための手段でした。大ヒットを狙ってイチかバチかの勝負に出るのではなく、いつも仕事がある状態を保つことの方が重要だったのです。そのために私が意識したのは、「マンガ家ではなく、マンガ屋になろう!」ということでした。
「来る仕事は拒まない」
「どんな仕事でも拒まない」
「仕事が来なければ売り込みにいく」
こんな姿勢をつらぬいてきたせいか、社会人学生や教員になるために意図的に仕事をセーブしたとき以外は、仕事に困ったことはありません。
そのうえでコンスタントに仕事を続けられたのは、マンガを創作する過程の効率化や合理化を絶えず考え、試してきたからだとも考えています。たとえば誰よりも早くFAXを導入したり、デジタル作画にトライしたり、といったことです。「マンガ創作のルーティーン化」にも取り組み、試してきました。
このようなことを考え、実践してきたことが、50年もの長きにわたり、マンガ家(ときには小説家)として活動をつづけられた理由ではなかったかと考えています。
2012年4月から2021年3月まで京都精華大学マンガ学部で教員をしていましたが、職人気質型のマンガ家をめざす学生は多くありませんでした。意識が低いと思われたのかもしれません。おかげで私がマンガ屋として培ってきたノウハウを教える機会も、ほとんどありませんでした。
そこで、大学を定年退職したのを機に、このサイトで、マンガ屋ならではの、また、マンガ工学を意識したマンガの描き方を紹介することにしました。コツコツと連載していく予定ですので、ご愛読いただければさいわいです。
なお大学では、よりアカデミックな観点に立ち、マンガ研究やマンガ教育を実践してきました。そちらについても紹介させていただきますので、少しお待ちください。
2021年4月
すがやみつる