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■ 06年02月下旬の日記

21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 28日

02月21日(火)▼引き籠もり

 終日、家に籠もって原稿を書く。

■最近いただいた本、買った本

『羅刹裁き』『羅刹裁き』(えとう乱星/ミリオン出版/2006年2月刊/660円)........『悪鬼裁き』に次ぐ書院番同心・加納左馬ノ助を主人公としたシリーズ第2弾。主人公の服装が寒そうでリアルです。いま『悪鬼裁き』を読んでいるところなので、これが終わったら続けて読ませていただきます。著者からのいただきもの。ありがとうございました。
『DESTINY 桜子姫悲恋剣』『DESTINY 桜子姫悲恋剣』(藤水名子/ソニーマガジンズ・ヴィレッジブックスedge/2006年2月刊/672円)........いろいろと理由があって勉強のために購入。これから読みます。
『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(竹内一郎/講談社選書メチエ/2006年2月刊/1,680円)........マンガの表現技法について論ずるのは、やはり、多少なりとも自分でマンガを描いたことがある人が向いているのではなかろうか。映画の技法に手塚マンガの技法を当てはめているけれど、手塚先生は、どこまで自覚的に映画をイメージしていたのだろう。この本で解説されている映画の技法との関連は、なんだかこじつけくさい。後出しジャンケンのように見えてしまうのは、やはりコリコリとペンで斜線を引き、スクリーントーンを貼ってマンガを描いていた経験があるからかもしれない。
 この手の本でいつも触れられる『新宝島』は、最近、講談社の全集版を買って再確認してみたが、やはりディズニーなどのアニメを紙上再現をしようとしていたのではないか(講談社版は全面的に描き直された新作ともいえるものだが、旧版についても感想は変わらない)。
 おそらく実写映画を見て、また映画の技法書を読んで、最初から映画の技法を意識的に採用したということでは、やはり石ノ森章太郎先生が嚆矢ではなかったかと思う。『仮面ライダー』を描いていた頃、石ノ森先生の仕事場に行っては、先生がペン入れをしているところを背後霊のようになって見つめていたことがある。石ノ森先生は、その視線が気になってか、いま下絵を入れ、ペン入れをしているコマの形や人物の構図について、そのコマ、その絵に込められた「意図」を、いつも明確に語ってくれたものだ。ただし、石ノ森先生も、やはり劇画の呪縛からは逃れられず、『仮面ライダー』あたりからは、それまでの繊細で流麗な線から、力感のあるタッチに線が変わる。その頃から、わかりやすさを優先するようになり、コマ割りや構図には冒険をしなくなった。『ホテル』や『マンガ日本の歴史』は、逆に、そのわかりやすさが効を奏した作品といえそうだが。
 しかしなあ……マンガの「国策」かあ。ぼくは大塚英志氏の著作のいい読者ではないのだが、「やはり野に置けマンガに劇画」という意味では、大塚氏の考えに賛意を示します。
『人は見た目が9割』『人は見た目が9割』(竹内一郎/新潮新書/2005年10月刊/714円)........こちらの本でも、マンガについて触れられているが、どうもピンと来なかった。『キャラは見た目が10割』ならわかるのだけれど(^_^;)。この本、ベストセラーになったのは、タイトルの勝利だと思う。

 その他にも多数の本を買っているのではありますが、いずれも新作の資料であり、本の題名を見ただけで、どんな作品を手がけようとしているのか一目でわかってしまうため、紹介は割愛させていただきます。

02月22日(水)▼打ち合わせとプチクリと

 午後、新宿の元・滝沢、現・椿屋珈琲店で編集者と新作小説の企画について打ち合わせ。その後、吉祥寺に移動し、書店で本を購入後、喫茶店で読書しつつ、ノートパソコンで原稿の執筆。
 午後10時から立ち飲み居酒屋で開催されたオタキング岡田斗司夫さんのトークライブ「聞くだけでプチクリになれる話」に出席。定刻より早く店についたのに、店内は、すでに満員。岡田さんも定刻前からトークをスタートしていてサービス満点。話すことに慣れているのがありありで、感心しながらトークを聞く。お客の中には、いかにもオタクな人が多かったような……。人のことは言えませんが。
 トークライブの後、岡田さんにご挨拶。夜も遅かったので、こちらもバスで帰宅となりました。

■今日、買った本

『アトムの命題―手塚治虫と戦後まんがの主題』『アトムの命題―手塚治虫と戦後まんがの主題』(大塚英志/徳間書店・アニメージュ叢書/2003年4月刊/1,995円)........『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』に関連して、未読だったこの本のことが気になり購入。大塚氏の著作とは相性が悪く、『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』くらいしか膝を打ちながら読んだことはないのだが、この本は、非常にわかりやすく、かつ『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』の100倍くらい説得力があって、非常に納得しながら読んだ。大塚氏の著作で理解できなくなってしまう本は、大塚氏がマンガや小説の解説や評論のかたちをとりながら、ご自身の哲学や思想を語るものに限られているのかもしれない。こちらは、そのようなものに興味がないので、拒絶反応を起こしてしまうようだ。
 というわけで、いつものように途中でギブアップすることなく、この本に出てくる「戦時下」(こちらは太平洋戦争だ)の意味も納得できた。
 ちなみに『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』が全面的に首肯できなかったわけではない。たとえば「脚本を先に書く創作姿勢」あたりに書かれていた文章は、確かにそのとおりだと思うからだ。ぼくが見聞したり、聞きおよんでいる範囲でも、手塚先生は、多忙がゆえに白紙にネーム(セリフ)だけを書きつらね、それを編集者が写植にまわしている間に、そのセリフを元にコマ割りをすることがあった。セリフを書きつらねる段階で、コマ割りや構図まで考えてセリフを書いていたのかどうか。たぶん考えてはいたと思うのだが、原稿が落ちる落ちないの土壇場になると、「原稿用紙の上に、適当にネームを貼ってください。それに合わせてコマ割りしますから」と編集者に依頼し、実際、編集者が適当(?)に貼った写植に合わせてコマ割りし、仕上げた作品もあったという(手塚先生には、このような「ドタンバ伝説」が多い)。
『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』では、「手塚に小説の才能がなかった」と断じられているが、ぼくは、手塚治虫というマンガ家は、「マンガ家である前に作家」である数少ないマンガ家のひとりだったと思っている。なぜ手塚マンガが「記号」になったかといえば、それは「手塚マンガ=小説」だったからだ。「絵で見せる(魅せる)」という発想は少なく、絵は、物語を進行するための道具、つまり記号として使われている。主体は物語であり、だからこそ「脚本」が先に来るマンガ家でもあったのではないか。脚本に力点が置かれ、演出に力が入らなかったのは、いつも多忙で時間がかけられなかったという理由もあるだろうが……。

『江戸はこうして造られた』(鈴木理生/ちくま学芸文庫/2000年1月刊/1,155円)........江戸初期についてのお勉強用。

02月23日(木)▼また新宿で打ち合わせ

 連載マンガの打ち合わせで新宿へ。でも着いたとたんにマンガのネタが決まり、打ち合わせは15分も経たずに完了。そのまま地元に帰ってきたので新宿滞在時間は20分ほど。最寄り駅ちかくの喫茶店を2軒ハシゴして原稿書きを進めたのでありました。
 帰宅後も原稿書きをすすめ、明け方、女子フィギュアを見ようと思ったのですが、安藤美姫まで見てダウン。結局、金メダルの瞬間は見のがした。

02月24日(金)▼ひたすら原稿を書く

 自宅に引き籠もって原稿書き。あ、ほかに明後日のセミナーで使うレジュメもまとめ、メールで送信。

02月25日(土)▼今日も原稿

 自宅に引き籠もって原稿を書く。身体に悪いなあ。

02月26日(日)▼専門学校でセミナー講&こんな偶然ってあるの?

 今日は、冷たい雨の中、西新宿のWAOクリエイティブカレッジで主催されたセミナーで、マンガ業界の実情と近頃のマンガの描き方についての講義。西武新宿線、山手線を乗り継ぎ、新宿駅で下車。西口のヨドバシカメラの脇を京王プラザ方面に向かって傘を差して歩いていくと、途中、信号待ちのところで背が高くスタイルのいい2人の若い女性と遭遇する。ちょっとモデルみたいな感じで、2人とも黒いサングラスをかけている。雰囲気は、どうみても日本人ではない。おそらく中国人だろうと思って会話に聴き耳を立てると、やはり話しているのは中国語のようだった。
 急いでいたので、その2人を追い抜いてセミナー会場に向かい、約2時間、講義を担当。その帰り道、寒いので、うどん屋に入って「きざみおろしうどん」(お揚げを焼いて切ったのと大根おろしが載っている)を食べた後、都営地下鉄・大江戸線で帰宅することに。
 大江戸線で練馬駅で西武池袋線に乗り換えるのだが、到着した準急電車に飛び乗ったら、あれま、目の前の座席に、約3時間前、西新宿で行き合わせた、あの若い女性2人がすわっている。サングラスも服装も同じで間違いない。池袋発の電車だから、新宿から山手線に乗り、池袋に移動したのだろう。それにしても何という偶然。女性のうちの1人は、ぼくに気づき、おやという顔をしたが、すぐに、もう1人の女性との中国語の会話にもどっていった。
 2人は、途中、大泉学園駅で下車していったが、こんな偶然もあるんだなあ……とビックリ。そういえば、もう10年くらい前、池袋から乗った西武池袋線の各駅停車の電車内で、お年寄りの女性に席をゆずったら、その女性から、「あの、すがやさんじゃありませんか?」と語りかけられ、驚いたことがある。うちの元アシスタントのお母さんで、田舎から出てきて息子とのところに行くところだったのだ。
 そんなことを思い出しつつ、到着した最寄り駅の階段を昇っていくと、改札口の手前で、「すがやさん!」と女性から声をかけられた。いつもプールで一緒になっていた女性でありました。最近、水泳もさぼり気味なので、復活しないと……。
 帰宅後は、またひたすら原稿でありました。

02月27日(月)▼マンガのネーム1と大学の成績発表と

 今日は、新しくはじまるマンガのネームを入れ、ラフの絵を入れたものをスキャンし、メールで送信。午前0時過ぎ、大学の秋学期成績が発表になる。全期と同じく、予想外の高い成績で、本人もビックリ。これでレベル2(2年生になれる)。

02月28日(火)▼マンガのネーム2

 今日は、雑誌「EXciter」連載の『ゲームセンターあらし』第2回ネーム。ほかの原稿もあってコマ割りまでしたところで、高円寺に建築家の山本厚生氏がいらっしゃるとの連絡が入り、山本氏と同じ島根県隠岐出身のマンガ家ながいのりあきさんを誘って、いつものノラやへ。山本氏のお父上のことをつづったノンフィクション『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』のことなどを話していたら、あっというまに午後11時過ぎ。吉祥寺からバスで帰宅したら、バスの中で、モータースポーツ・ヒストリアンのHさんに遭遇。『日本の名レース100選』の編集で忙しいらしい。


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