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■ 04年11月上旬の日記

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11月01日(月)▼今日もカンヅメになりそこねる

 昨日、修正した『ぼく、ドラえもん。』の文章に添える色紙も送ってあったのだが、見本についてきた小林よしのり氏の絵がモノクロだったため、1色ページなのかと思って薄墨だけで着色した色紙を送ってあったのだが、送られてきた校正刷りは4色。ほかにコメントと絵を寄せている水野英子、里中満智子、小池さん……ではなく鈴木紳一の各氏の絵は、ちゃんとカラーになっている。そこで編集部と相談して、スキャンしたモノクロ色紙のファイルをメールで送ってもらい、これをPhotoShopでカラーに修正することに。『ドラえもん』と『ゲームセンターあらし』が共演した貴重な(?)なカラー色紙が完成し、メールに添付して送信。
 これでまたカンヅメになるタイミングを逃し、自宅でシコシコと原稿。えいっ、とエンジン全開になればいいのだが、すぐに書き終わりそうなのに、舞台となる島の面積が気になって、つい海外のサイトを開いたり、洋書の資料を開いたり。それでいて資料から得られたデータを使うわけでもない。ただ安心したいだけ……というのが本音かも。

11月02日(火)▼ノートパソコン抱えた渡り鳥1

 ファミレス&喫茶店をハシゴして原稿書き。ほかになし。

11月03日(水)▼ノートパソコン抱えた渡り鳥2

 午後から徒歩で西武新宿線の駅前にある喫茶店へ。ここでヒーコラとノートパソコンで原稿書き。さらに野方に移動してマクドナルドで原稿。丸椅子のカウンター席で3時間ねばったら、腰がイテテテ。注文したポテトも忘れられていて、途中で催促したら、コーヒーをおまけしてくれた。
 さらに高円寺の喫茶店に移動して原稿を書き、バッテリーが切れたところでご褒美(?)のビール。帰宅後、睡眠不足もあってバタンキュー。

11月04日(木)▼ノートパソコン抱えた渡り鳥3

 今日もファミレス、喫茶店をハシゴ。途中、痛む腰を伸ばすためにプールへ。水泳600メートル、ウォーキング500メートル。プールの後、モスバーガーに行って、また原稿。

11月05日(金)▼ノートパソコン抱えた渡り鳥4

 急に資料が必要になり池袋のジュンク堂へ。時間がないので目的の資料を買ったあとは、3FとB1だけを大急ぎで巡回。8冊ほど本を購入し、ちかくの喫茶店に飛び込んで、気になる本のさわりだけを読み、ノートパソコンで原稿。
 1時間ほどで眠気がこらえられなくなり、原稿を中断して西武池袋線で自宅の最寄り駅へ。地元の喫茶店に入って、また原稿。
 午後9時に帰宅し、今夜からNHK総合テレビでスタートした金曜時代劇『最後の忠臣蔵』を見る。池宮彰一郎氏の原作(NHKでのテレビ化に合わせて、この題名になってますが、これ、『四十七人の刺客』の続編として刊行された『四十七人目の浪士』を改題したものだと思う)を読んで、ぜひとも映像化してほしいと思っていた作品だけに、期待大なのであります。できたら映画『四十七人の刺客』の続編として、宮沢りえを一方の主演として映画にしてほしい気も……。原作は慟哭しそうなくらいに泣けます。
 買ってきた本のことは、一部ですが、BookLOGで。

11月06日(土)▼VT信管――戦時下の「プロジェクトX」

 架空戦記小説の締切は、とっくに大詰めを迎えているのだが、細かなことが気になって、それを調べはじめると、目先の締切も忘れて熱中してしまうことがある。たとえば今回は、アメリカ軍が使用していた「VT信管」が気になりはじめたら、もう、やめられない止まらない……に。
「VT信管」は、第二次大戦中、最初、アメリカ海軍が対空砲弾の弾頭につけた特殊な信管で、みずからレーダーのような超短波帯の電波を発射し、敵機に当たって反射してきた電波を計測することで距離を計算し、それが有効射程距離内だったら砲弾を炸裂させる……という特殊な信管のこと。

「VT信管」については、数年前にも調べたことがあったのだが、国内には資料になりそうな書籍も一部に限られるため、インターネットでアメリカのサイトのお世話になっていた。今回もアメリカのネットで新しい資料を見つけ、参考のために辞書を引き引き読んでいたのだが、ふと試しに国内のサイトも検索してみたら、「VT信管資料集“原理と回路図”」なんてものを見つけてしまった。
 この回路図は、図面専用の「BID」形式という特殊なファイルで保存されていたため、手元にあるPhotShopやPaintShopProでは見ることができない。そこで変換ソフトを探して「TIFF」形式に変換し、なんとか見ることができたのが、この回路図(GIFに変換)
 大昔、真空管の全盛時代からラジオいじりやアマチュア無線をやっていたこともあって、真空管の回路図なら多少は読めるのだが(デジタル回路の回路図は読めない)、この回路、てっきり受信部だけかと思っていたら、どうやら、これが電波の送信部も兼ねているらしい。
 VT信管の実物の写真も発見し、使われいる真空管の写真も見ることができたが、回路図では4本の真空管が、写真では3本。ということはV1とV4は、12AU7とか12AT7とか12AX7とか6J6のような双三極管ということになる。
 三極管とコイルの発振回路で100MHz以上の超短波を発振させ、同時に受信して、送受の周波数の差で発生するビートによって、電波を反射させた目標との距離を測っていた回路が、こんなシンプルなものだったとは……けっこう芸術的な回路ともいえるんじゃないのかなあ……。
 発振部は5球スーパーの発振にも使われていたハートレー型の発振回路。コイルの途中からタップを出し、カソードにつなぐのが一般的だが、三極管で発振させているのは珍しいんじゃないかなあ。昔、ワイヤレスマイクでは6WC5や6BE6などの七極管、送信機では6BA6などの五極管で発振させていたものだ。
 あ、三極管を使った超短波回路といえば、昔、6J6の単球超短波(50MHz)受信機を作ったことがあったぞ。超再生方式の受信機で、自分でコイルを巻いて完成させてはみたものの、当時(東京オリンピックの頃)、静岡の田舎には、50MHzの電波を出しているアマチュア無線家など皆無の状態で、受信機がきちんと働いているかどうかも確認できずに終わった……という悲しい過去でありました。
 それにしても、こんな簡単な回路を使った信管のおかげで、昭和19年のマリアナ海戦では、「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれたほどに、日本海軍の零戦などは、アメリカ海軍艦艇の放った対空砲火にバッタバッタと撃ち落とされてしまったのだ。
 しかし、砲弾の弾頭とあれば、発射のときに大きなショックがかかったはずなのに、ガラスチューブの真空管が使われていたのも驚き。しかもハンディ無線機に使われていたサブミニチュア管よりも、さらに小さな全長3センチほどの真空管なのだ。ロクタル管も美しいけれど、この小さなスーパーミニチュア管も綺麗だなあ……。
 そう……中学生から高校生にかけては、マンガを描きながら、ラジオいじりやアンプ(エレキギター用)作りにも、けっこう夢中になっていたのであります。その後、マイコン、パソコンに興味を持つルーツみたいなものでありますね。ちなみにアマチュア無線をはじめたのは、マンガで生活できるようになってからのこと。従事者免許だけは高校生の頃に取得していたのだありますが。
 ……で、たとえばVT信管のことだけで、こんなに熱中してしまうために、原稿が遅れに遅れ、逆上したりするワケです。とりわけ書いているのが、大衆娯楽消費型架空戦記小説なので、たとえばVT信管の原理を詳しく書いたりしたら、読者にソッポを向かれることになりかねないもので、そのあたりの趣味と現実のギャップに悩みつつ原稿を書くもので、どうしても遅くなってしまうのであります……ということにしておこう。

11月07日(日)▼逆上してホテルへ

 VT信管のことを調べて時間を費やしてしまったため、架空戦記の原稿が、ノルマの枚数から大幅に遅れている。自宅にいると、つい資料を調べ、インターネットで調べものをしてしまうためだ。
 このままでは締切に間に合わなくなる……と、いつものように逆上したのが昨日深夜。インターネットで、よく使っている吉祥寺のホテルの空き部屋を検索したところ、今日は1室だけ空いている。ならばと、今日から3泊の予約を入れて床につき、睡眠4時間で起床後、バスで吉祥寺へ向かう。今回は書籍の資料は持参しないため、荷物が軽くて移動がラクチン。本来、執筆に必要な資料は、ノートパソコンの中に入っているのだが、ついつい資料を開き、インターネットに接続してしまうのが悩みのタネでもあるわけで。
 泊まったホテルは、インターネットが使える部屋もあるのだが、空いているのは今日だけで、明日以降は予約が埋まっているという。ならば面倒なので、インターネットのLANポートがない部屋に。PHSを持参しているので、とりあえずメールの読み書きなどには困らないし、そもそも、インターネットに常時接続できたら、また調べものをしてしまう。
 部屋は、ホテル側の都合で1ランク上になり、室内にマッサージチェアがついている。ちょっと試してみたら、あまりにも心地よくて、そのままグー。この後、何度も同じことを繰り返す。
 メールの確認をしようとPHSをノートパソコンに接続したら、あれれ、この部屋はPHSの電波が届いていない。窓際にノートパソコンを持っていったら、やっとこさ電波強度を示す棒が2本ほど立って、なんとかメールの受信はできたのだが、立ったままでないと接続できないのが不便……あ、原稿を書くためには、こっちのほうがいいか。
 結局、この日は、原稿を書いてはマッサージチェアで肩や腰をもみ、心地よさで居眠りしては、はっと目覚めて原稿……みたいなことを繰り返していた。食事は、ホテルに入る前に、はなまるうどんで讃岐うどん。夕食は、睡眠を取りたかったこともあって居酒屋でビール。つまみは1本60円の焼き鳥など。

11月08日(月)▼打ち合わせと原稿と……

 午前7時に起床し、カップヌードルで朝食。午前中は部屋に籠もって原稿を書き、午後は外に出てコーヒーショップで原稿。午後1時、ノートパソコンにPHSを接続して、先日受験した某試験の合格発表をネットでチェック。一次試験の結果発表だが、なんとか合格を果たしていた。二次試験は来月だが、どうか合格しますように……。
 午後遅く、喫茶店で編集プロの編集者と新企画の打ち合わせ。とりあえず企画を進めることになる。他の企画の話もあるのだが、その前に、編集者を待たせたままになっている他の仕事を進めないと、世間が狭くしてしまうので、その他の企画については、ちょっと待ってもらうことに。
 打ち合わせ後、ホテルに戻って原稿を書き、夕食は外に出て、おでん。食後、ホテルに戻って午前3時まで原稿。

11月09日(火)▼眠い……

 4時間の睡眠で起床し、カップヌードルで朝食。今朝はシーフード味。昼間で部屋で原稿を書き、正午前、外に出て喫茶店をハシゴしつつ原稿のつづき。途中、松屋で牛丼の昼食。
 午後遅く、喫茶店で眠気に襲われ、眠気を吹き飛ばすために井の頭公園まで散歩。平日なのに人がいっぱい。帰途、また喫茶店に入って原稿を書くが、眠気の限界が超えそうで、ホテルにもどって仮眠。夜7時過ぎに目が覚め、こんどはデニーズに出かけて夕食にカツ丼を食べつつ原稿。
 食後も1時間ほど原稿を書き、ホテルにもどって、また原稿。マッサージチェアにかかって、居眠りし、深夜に目が覚め、また明け方まで原稿。寝たのは午前6時。

11月10日(水)▼帰宅……

 午前9時に起床し、ホテルをチェックアウトした後、マクドナルドで朝食をとりながらノートパソコンで原稿。3泊している間に新刊書、古書が増えて荷物が重くなってしまったため、タクシーで帰宅し、自宅でシコシコと原稿。最後まで完成させるつもりでホテルに籠もったのに、ラストの1章を残してしまったのだ。ただ、最後の章は、戦闘シーンが連続するため、資料のチェックもほとんど不要となる。アドレナリンの文筆を高めて、気分をハイにして書くところなので、一気呵成に書けるはず……と、できたところまでを送信しておいてラストスパートをかける。
 ところが深夜、ふと、アメリカ海軍機のパイロットが、操縦桿の操作をするシーンで、この機種では、その操作をするとき、ボタンを押すのかレバーを引くのかを失念してしまう。資料は、積み上げた書籍の山の奥に潜っていることだけはわかっている。その本の山を崩して捜すより、アメリカの関連サイトを捜した方が早いだろうとGoogleで検索していたら、とんでもないサイトにぶつかってしまった。第二次世界大戦中のアメリカ陸海軍機(戦闘機から爆撃機まで)の離陸から着陸までの操縦法を解説した実写フィルムが、RealPlayaerを使って見られるサイトなのだ。
 グラマンF6F「ヘルキャット」やロッキードP‐38「ライトニング」の操縦法を次々と見てしまい、はっと気づいたら明け方。また眠気に負けて、仮眠をとってから原稿の仕上げに入ることにする。


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