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■ 04年10月中旬の日記

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10月11日(月)▼ライブで耳がガーン!

 午後に起床し、必死に文章の追い込み。急ぎのインタビューの原稿チェックなどをすませ、西武新宿線とバスを乗り継ぎ高円寺へ。最寄り駅から西武新宿線の普通電車に乗ると、何やら車内の雰囲気がおかしい。中年から初老の、ちょっとタソガレかけたオヤジたちで車内が一杯なのだ。しかもアルコールの匂いがプーン。どうやら西武園で競輪があったらしい(あとでチェックしたら共同通信社杯の場外車券を発売していた模様)。
 人生に疲れたようなオジサンたちが、アルコールの匂いを振りまきながら声高に話しているため、途中から乗ってきた人たちは、ちょっと引いてしまっている。……と、途中の駅で赤ん坊を背負い、小さな子供の手を引いた若い母親が乗ってきた。空いている座席がないために、ドアのところに立とうとしたら、その脇に並んで座っていたオジサン3人が、サッと立ち上がって子連れの母親に、「ここに座んなよ」。母親は遠慮したが、結局、席を譲ってもらっていた。このオジサンたち、見た目は、ちょっと怖いのだが、マナーの面では、通路に足を投げ出したりしている若者たちよりも、よっぽどまともだぞ。酒臭いのはいただけないが。
 というわけで野方からバスに乗り換え高円寺に移動したあと、ハンバーガーショップで必死に文章を書き、なんとかメドをつける。
 そのあとは近くのライブハウスで開催された某バーの開店1周年記念のライブだが、オープンまでに10分ほどゆとりがあったため、近くの古書店に飛び込み、数冊、本を購入。高円寺が好きなのは、古書店が多いからでもある。
 ライブハウスでは、鼓膜をつんざくような大音量のロックバンドが2組に、若い女の子多数が60年代の「平凡パンチ」から抜け出してきたような超ミニスカート・ファッションで当時のヒット曲を歌うグループが1組(「パンチ・パンチ・パンチ」のモコ・ビーバー・オリーブみたな感じの女の子たちでした……って、こんな表現でわかる人はオジサンです)に、ウェスタン風のバンドが1組に……。ロックの音量が大きすぎて、ライブ終了後も鼓膜がジーン。自分の声が聞こえにくいもので、みんな怒鳴るように話しているのがおかしい。
 ライブのあとは打ち上げにちょっとだけ参加。電車とタクシーを乗り継いで帰宅し、懸案の文章のまとめに入る。文字数や言い回しのチェックなどをしていたら、あっというまに朝。ノートパソコンの上では、なんとかまとまったが、実はこれ、手書きでないといけないのだ。そのためノートパソコンで書き上げた文章を、指定された用紙に書き写す作業に入る。
 でも、睡眠不足のせいもあって、目が霞む。1,000字ほど書いたところで、いちどダウンすることにする。寝たのは午前10時であった。

10月12日(火)▼肩の荷がおりる

 午後3時前に起床し、手書き文章のラストスパート。残り3,000字を一気に書き上げる。しかし、それにしてもヘタな字でガックリ。文字のうまい、へたは無関係だといいのだけれど。夕方までには終了し、ガクッと疲れが噴き出る。しかし、明日からは架空戦記の小説に専念しなければならないため、短い原稿や雑用を一気にすませることに。今日も届いたインタビューの原稿のチェックに、請求書の作成と発送に、藤子・F・不二雄先生についての思い出を綴った短い原稿。この原稿には、『ドラえもん』と『ゲームセンターあらし』を描いた色紙を添えるため、その色紙も描く。
 途中、「プロジェクトX」を見るために休憩したら、そのまま居眠りしてしまった。

10月13日(水)▼ネクタイ締めて写真撮影

 昼前に起床し、髭を剃ってネクタイ締めて、クルマに飛び乗り、証明写真を撮りにいく。最寄り駅ちかくの駐車場が一杯のため、大泉学園のショッピングモール「オズ」まで走り、ここで証明写真を撮影。あらら、いつのまにかデジタルカメラになってんのね。
 写真撮影のあとはファミレスに寄ってランチタイムの食事をとりながら写真をカッターで切り、これを書類に貼りつける。食後、郵便局にまわって、請求書や色紙と一緒に写真を貼りつけた書類を送り、コンビニに寄って送金作業。この数日、プレッシャーになっていた作業が、これで一段落したので、ホッとして家にもどり、座椅子にもたれて仮眠……と思っていたら、次々に電話。この数年、頼まれている某私立大学の講演依頼にフィリピンからのパソコンに関するSOS。パソコンの方は、CD−RWへの書き込み法がわからないというもの。Windows XPの入門書はあるのだが、フロッピーディスクへのファイルのコピー法は出ていても、CD−RWについての記述がないという。使っているノートパソコンにはフロッピーディスクドライブがなく、かわりにCD−RWドライブがついているんだけれど、フロッピーへのコピーと同じようにドラッグ&ドロップでコピーできることを教授……ってほどのものではないけれど。
 寝そびれてしまったため次の原稿のための準備。エディターのアウトライン機能を使って章立てをつくる。

10月14日(木)▼部分日食の日、矢野徹氏の訃報を聞く

2004年10月14日の部分日食
 今日は部分日食。曇り空の雲がフィルターがわりになって、肉眼でも太陽の欠け具合を見ることができた。

 昼食の後、ネットサーフィンしていたら、ニュースサイトで矢野徹氏の訃報に出くわし、ショックを受ける。
 矢野徹氏の名前を記憶に刻んだのは、マンガ雑誌の「少年」で、『自殺潜水艦突撃せよ』『カムイの剣』などは連載時に読んでいる。といっても『カムイの剣』のほうは飛び飛びで、まとめて読んだのは、立風書房版の単行本になってから。1970年頃のことだ。これが面白くて面白くて、「いつか小説を書くようになったら、こんな作品を書いてみたい」と思ってしまったほどだった(マンガ家デビューする前に、小説家になることまで考えていたのだから、困ったヤツである)。以来、『カムイの剣』は、ぼくの胸の中では「国産冒険小説の金字塔」であり、ずっと「マイベスト国産冒険小説」の上位にランクインされている。
 石森プロで『仮面ライダー』を描いていたとき、まだ学生だった高千穂遙さんが、田中芳樹さんと遊びにきたことがある。雑談のなかで、「SFに興味を持っている」なんて話をしたら、「50年代SFを知らないヤツにSFを語る資格はない」と高千穂さんは断言し、「ハインラインを読め、『宇宙の戦士』を読んでみろ」と薦めてくれた。その薦めにしたがって買ったのがこの本で、訳者は矢野徹となっていた。この作品を読むまで、矢野さんが翻訳家でもあったのを失念していたのだ。そこではたと気がついたのだが、アリステア・マクリーンの『八点鐘が鳴るとき』や『軍用列車』(これは、もう少しあと。原作よりも映画の方が面白かった珍しい作品だが、もちろん訳者のせいではない)や『さらばカリフォルニア』なんて訳書もあったし、石ノ森章太郎先生がイラストを担当した(仕上げ担当は、ひおあきら)『デューン砂の惑星』の訳者も矢野さんだったではないか。
 その後、『地球ゼロ年』を読んだり、「SFマガジン」に連載されていた『折紙宇宙船の伝説』なども読むようになったり……。
 そして『カムイの剣』がアニメ化されたときは、ぼくが『カムイの剣」のファンだということを知っていた作家さんが、矢野さんを囲む二次会の会場に呼んでくれて、その日、記念に配られたノベルティの『カムイの剣』バッグにサインまでいただいた。
 舞い上がったぼくは、居酒屋の会場でビールをたらふく飲んで酔っ払い、タクシーで帰宅したのだが、家に着いたとたん、サインしていただいたバッグを忘れてきたことに気がついた。青ざめて居酒屋に電話すると、バッグは保管されているという。もう深夜だったが、冷たい水で顔を洗い、水をガブ飲みして酔いを覚まし(帰宅した時点でほとんど酔いは覚めていたが)、クルマを運転して、居酒屋までバッグを取りにいったことがある。
 その後は、パーティーでお会いしたときなどに、ご挨拶するくらいだったが、いつもにこやかで穏やかで、「大人(たいじん)」の風情をただよわせていた。
 体調が悪いとは聞いていたのだが、突然の訃報にガックリ。素晴らしい作品をありがとうございました。合掌。

10月15日(金)▼久々のプール

 今日から架空戦記の原稿に専念。ハンバーガーショップに喫茶店をハシゴしたあと、腰痛防止のためにフィットネスクラブへ。水泳800メートル、ウォーキング500メートルのいつものメニューをこなす。泳ぎ終わったあとは下着も着替えているのに、たちまち汗まみれ。そのまま自転車で夜風に吹かれつつ帰宅したら、とたんにクシャミ。明日が早いので早めにビールを飲んで寝る。

10月16日(土)▼矢野徹さんのお別れの会

 午前2時半に寝たら午前6時に目が覚めてしまう。8時まで寝ている予定だったのに。いちど目が覚めると、寝直しができない性格なので、あきらめて原稿。8時40分、クルマで家を出て高齋正さんのお宅へ。高齋さんをピックアップして、多磨霊園脇の斎場へ。午前10時からの矢野徹さんのお別れの会に参列するため。SF作家、翻訳家、出版社の方々がたくさん参列し、眉村卓、山田正紀、浅倉久志、石川喬司、野田昌宏氏らが弔辞を述べる。SF関係者の挨拶ということで、哀悼の意をささげつつも、つい参列者が苦笑してしまうようなユーモアが混じってしまう。これもSF作家のお別れの会ならではだろう。
 お別れの会の終了後は、豊田有恒、高齋正、石津嵐(磐紀一郎)の昭和13年生まれ寅年の皆さんを、昭和25年生まれ寅年のぼくがクルマに乗せて、とりあえず深大寺に向かい、深大寺そばで昼食。寒いので温かい天ぷらそばを頼んだが、そばもつゆも旨かった。4人で深大寺に参詣した後、豊田、石津、高齋さんの順で、皆さんの自宅をまわり、午後3時に帰宅。
 ただちに原稿に取りかかるが、寒気がして背中がゾグゾグするため、布団に潜って夕方まで仮眠。夕食後は、ひたすら原稿。当分、原稿以外の話題はなさそうだ。

10月17日(日)▼ひたすら原稿

 世間は日曜日だが、こちらは関係なし。起き抜けからクルマでファミレスに出かけ、カレーうどんを食べながら原稿。箸を休めたままノートパソコンの画面に見入っていたせいで、まだ食べかけだったカレーうどんを下げられそうになった。あぶない、あぶない。
 睡眠不足のせいで、あまりにも眠いので、いったん帰宅し、座椅子で30分ほど仮眠。目を覚ましたあと、家電ディスカウント店まで出かけ、子供部屋の照明器具を購入。蛍光灯の照明器具が、古くなっているせいで具合が悪かったため。帰宅後、踏み台を使って設置。その後は朝まで原稿。

10月18日(月)▼ひたすら原稿

 今日も原稿やら会社の事務処理やら。とにかく眠くなるギリギリまで仕事をすることにしているのだが、結局、午前6時まで仕事。

10月19日(火)▼ひたすら原稿

 正午前に起き、そのままファミレスに出撃。家で食事をするとホッコリしてしまって戦闘モードにならないため。ファミレスとハンバーガーショップをハシゴして、バッテリーがなくなるまで原稿。とはいえ、最近、バッテリーがへたってきて、4時間くらいしかもたなくなった。
 帰宅後は、腰痛がひどいのでフィットネスクラブに出かける。水泳800メートルに水中ウォーキング500メートルのいつものメニュー。ただし、以前は、これだけのメニューに1時間半以上かけていたのだが(途中、休んでいる時間が長い)、最近は、1時間以内で終了。軽く泳げば、連続して泳げる距離も延びるだけの話なのだが。
 帰宅後は、日本シリーズを見たり、「プロジェクトX」を見たりしつつ、またすぐに仕事にもどる。

10月20日(水)▼台風で引き籠もり

 台風がひどいので自宅で原稿。しかし、なんだか能率が悪い。


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