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  • 2002年10月中旬の日記

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    10月11日(金) 続・読書の秋

     一昨日の深夜、Amazon.co.jpを覗いていたら『小林旭読本――唄う大スターの伝説』(小林信彦+大瀧詠一・責任編集/キネマ旬報社/2002年3月20日刊/1,905円+税)を発見。Amazon.co.jpのアソシエイト・プログラムでもらったギフトカードがあったので、これを使って購入申し込みしたら、今朝、届いてしまった。
     ウハウハと喜んで、すぐさま読んでしまったが、でも、いつも気になるのが小林信彦氏の小林旭や日活アクション映画に対する視点。当時、すでに分別ある大人だった小林氏と、家にテレビもない貧乏な小学生で、母が勤める映画館での映画のタダ見が最大の娯楽だったぼくとでは、そりゃもう、映画を見るアングルからして違っていたのは当然か。ぼくにとっては小林旭は「月光仮面」や「隠密剣士」以上のヒーローで、香港でドン底の少年時代を送ったジョン・ウー監督の小林旭に対する感情に近いものがある(ちなみにぼくの母は石原裕次郎派だった)。

     つづいて届いたのが「ハッカージャパン」11月号。「プロジェクト×(バッテン)」という失敗したプロジェクトを紹介する連載記事があり、今回は「ニューメディアブーム」が特集されている。『こんにちは! ニューメディア』というマンガ版入門書を描いたことのあるぼくもインタビューされているのだが、出番はチョッピリです。「キャプテン」については最初にNTTで取材したときに「つまらない」と正直に言って担当者を憤慨させ、ISN(ISDN)を使った「テレビ電話」を取材させてもらったときは「昔の相撲の分解写真みたいですね」(スローモーションがなかった頃は、取り組みを振り返るため、連続した写真をパラパラマンガのように見せていた)と言って顰蹙を買った経験を持つワタクシではあるが、いまだにフランスのミニテルは利用していたりする。画像の解像度、表示速度などではミニテルよりも日本のキャプテンの方がずっと優れていたはずなのに、それが普及しなかったのは、IP(情報提供者)が自分でお金を出して情報提供するというスタイルだったからだろう。利益が出ないものにヒト・モノ・カネはかけられないに決まっている。その点ミニテルは最初から情報提供者にお金が入る仕組みを作っていた。あっというまにIPが数万にもなり、いまでいえば「出会い系サイト」ともいえるメッサジュリー(チャット)に子供がハマったりの社会問題にもなり……といった仕組みは、日本では、ダイヤルQ2でマネされることになった。NTTでダイヤルQ2を担当していた方が、いまはLモードをやっている……。

     いけね。読書ばかりしてないで仕事もせねば……。

    10月12日(土) NHKラジオ出演

     起床は午前11時半。あわててテレビをつけ、ケーブルテレビのチャンネルをフジテレビ721に合わせるが、F1日本グランプリのフリー走行は、すでに終了。しかたがないので食事をとり、シャワーを浴びて外出の支度。午後4時から5時までNHKラジオの生番組に出演することになっているので、その準備。
     ネクタイも締めてジャケットも着て、いつでも出かけられるようにしておき、午後2時からフジテレビ721で日本グランプリの予選を観戦。ところが中盤、トヨタのマクニッシュが大クラッシュ。マシンはガードレールの外まで飛び出したが、ドライバーのマクニッシュは無事のようでホッ。マクニッシュは、本来なら10年前にF1にステップアップしていても良かったほどの速いドライバーだったが、F3000で走っていたとき、観客を巻き込む大事故を起こし、以後、走りがパッとしなくなった。そんな苦労を乗り越えた末のF1参戦だったのに、どうやらF1生活は今年1年限り。F3000のときのクラッシュが、いまだに尾を引いているおうな感じがする。

     F1の予選は赤旗中断となり、ガードレールやタイヤバリアの修復に時間がかかりそうなので、予選のテレビ観戦をあきらめ、カミサンにクルマで西武新宿線の最寄り駅まで送ってもらう。

     高田馬場で山手線に乗り換え原宿で下車。徒歩でNHKに着くと、土曜日は正面玄関が開いていない。反対側の西玄関まで歩き、そこから番組の担当者を呼び出してもらい、迎えにきてくれたスタッフの案内でスタジオへ。早めに着いたのでi−Modeで日本グランプリの予選結果をチェックするが、ガードレールの修復に手間取り、予選の再開も遅れているらしい。

     番組でアンカーを担当する山根基世アナは、もう知的で素敵でセクシーで、正面に座っているとドギマギ。インタビューも手慣れたもので、こちらの言いたいことをうまくリードしてくれる。1時間(正味は45分くらい)の出番だったが、あっというまに終わってしまった感じ。

     番組後は、渋谷公園通りで人気が高まっている讃岐うどんの店に寄ろうとしたが、あまりの行列の長さに並ぶのは断念。渋谷駅近くの立ち食いそば店でコロッケうどん。喫茶店で仕事をしながら帰宅。

    10月13日(日) やったぜ琢磨!

     昨日はi-ModeでF1日本グランプリ予選結果を確認し、佐藤琢磨の7位にビックリ。となれば今日は決勝レースが気になるのが当然。仕事をしながらテレビの前に陣取り、午後2時半からの決勝レースをフジテレビ721で観戦。
     佐藤琢磨は第1コーナーでスタートダッシュを決めた2台のルノーを抑えきり、予選順位どおりの7位を確保。デビッド・クルサードのリタイアで6位に上がった後、1回目のピット作業で8位まで落ちたが、2回目のピット作業で6位を挽回。さらにラルフ・シューマッハーのリタイアで5位となり、そのままの順位でチェッカー。優勝したミハエル・シューマッハーが会見で語っていたように、この日の鈴鹿は、まるで勝者が2人いたような騒ぎ。もちろん、あとのひとりは佐藤琢磨だ。
     これでF1ブームが復活してくれれば嬉しいのだが、ジョーダンが来年も佐藤琢磨を走らせるかどうかは、ちょっと怪しいところがある。走りたければ金持ってこい、というのがジョーダンのホンネだろう。どこかに気前のいいスポンサーはいないものか……。

     日本グランプリの結果に気をよくしつつマンガの仕事に戻るが、あれれ、いくら頭をひねってもアイデアが浮かばない。それもそのはず、編集者と満足な打ち合わせをしていなかった。しかたがないので小説の原稿を書く。

    10月14日(月) だらだらだら……

     起きてから寝るまで、ほとんど居間の定席から動かず読書とパソコン仕事。昨日も今日も、家の外に出なかった。

    10月15日(火) 拉致家族の一時帰国

     風で寝室の隣の部屋のドアが開いたり締まったり。この音がうるさくて朝早く目が覚めてしまう。しかたがないので、そのまま起床し、午後まで小説の原稿。
     昼過ぎにマンガの担当編集者と連絡がとれ、電話で打ち合わせをした結果、ネームの方向性もクリアになる。これで安心とネームに取りかかるつもりが、ついテレビで北朝鮮拉致家族一時帰国のニュースを見てしまう。拉致された人たちと家族の皆さんが抱き合った瞬間は、さすがに見ていて鼻の奥がツーンとなる。最近、こういうシーンに弱いんです。
     ずっとテレビでニュースを追って、夕方、当人たちの記者会見もあるというのでこれも見るが、一言ずつ挨拶しただけで退場。しかたないか……。
     午後8時半になってからプールに出かけ水泳。泳ぎ終わると凄い雨で、クルマで行ってよかった。そのままファミリーレストランにまわり、マンガのネーム。途中、カミナリがひどくなり、照明が点滅状態になる。なんとか停電はまぬがれたが、カミナリのせいで電圧変動が起こったらしい。アメリカでは、停電の「Black out」に対し、このような電圧変動(低下)を「Brown out」という。
     帰宅後、ネームをパソコンに打ち込み直す。4ページのマンガなのでネットで送ろうと思っているため。これから下絵とペン入れだが、水泳疲れで眠い……。

    10月16日(水) マンガのペン入れに四苦八苦

     本当なら昨夜のうちに終わっているはずだったマンガ4P+カット2点のペン入れが、まだ終わっていない。原稿用紙に厚手のOA用紙を使ったのだが、この紙が硬くて、ペン先が自由に動いてくれないのだ。でも、これは用紙のせいだけではないな。専業マンガ家だった頃も、正月休みの後などは、ペン入れのカンを取りもどすのに苦労したものだ。いまは1ヶ月おきくらいにしかマンガを描いていないし、マンガの仕事に戻っても、カンが戻るまでに時間がかかるのもしかたないか。
     しかも拉致家族帰国の報道でテレビに釘づけ状態。仕事が進まず困ったわい。
     ……なんてことをいってたら、仕事場の電話機が壊れていることが判明。編集者から、「電話したんですが留守だったので……」と、なんどか言われていたのだが、どうやら電話機が壊れていたのが原因だったらしい。先日、自宅の電話機をデジタル・コードレスホンに切り替えたばかりだったが、仕事場の電話機も新しいものに交換することに決め、ディスカウントショップへ買い出しに出かける。  帰宅後、電話機をセットし、その後、マンガの仕事。

    10月17日(木) 今日もテレビに釘付け

     昼前に起床すると香港から『電子神童』のVol.3〜5が届いていた。
     今日は拉致家族が故郷に帰る。おかげで今日もテレビに釘付けで、仕事が遅れる。
     連日、座りっぱなしで、家の外にも出ないので、夜、40分ほど早足でウォーキング。汗びっしょりになって帰宅。風呂に入って汗を流した後、マンガのバック。終わったのは朝だった。

    10月18日(金) 歯医者と水泳

     マンガに組み合わせる写真をデジカメで撮影。さらにマンガで紹介するBASICプログラムの確認。20年前のプログラムを試したら、ちゃんと動いた。バンザイ!
     午後、歯医者。先日、焼き鳥のナンコツと一緒に食べてしまった部分入れ歯と差し歯の修理。差し歯は丈夫な銀歯に変更。見栄えは悪いが仕方ないか。
     帰宅後、マンガをスキャナーに取り込み、4色カットの彩色。ほぼできたので夕食前に水泳。1200メートルも泳いでしまい、帰宅後、マンガの仕上げ。
     深夜、ケーブルテレビの「ヒストリーチャンネル」で放映された「世紀のロマンス」は、女性飛行家のアメリア・イアハート。つい見てしまう。おお、リビア総督のイタロ・バルボ元帥も出てきたぞ。

    10月19日(土) バリ・ハイのシンクロニシティ

     なんとか4ページの短篇マンガと4色イラストが終わり、メールで送信。すぐさま次のマンガのプロットを作る。
     途中、息抜きに、書棚から引っ張り出した『世間知らず』(小林信彦/新潮社/1988年刊/1,200円/絶版(;_;))を読んでいたら、途中、こんなやりとりが出てきた。昭和24年(1949年)の話である。

    「ボビー、ききたいことがある……」
    「なに?」
    「『バリ・ハイ』ってなんだ?」
    「え……」
    「ほら……」隆はメロディを口ずさんでみせて、「こういう歌が、ヒットパレードに入っているだろ」
    「ああ」と、ボビーは笑って、「島の名前だよ」
    「固有名詞か。どうりで、辞書をひいてもわからないと思った」
    「それもさ……なんていうのか……フィクションの……」
     ここを読んで、あれれ……となってしまったのは、この数日、北朝鮮拉致家族帰国問題のおかげで影が薄くなったが、バリ島の爆破テロ事件が報じられるたび、頭の中で「バリ・ハイ」の歌声が反響していたからだ。
     そもそも「バリ・ハイ」は、ミュージカル『南太平洋』の挿入歌のひとつだったはず。映画になった『南太平洋』を遠い昔、深夜テレビで見た記憶があるが、ストーリーはおぼろげで、いつのまにか「バリ・ハイ」の「バリ」とは「バリ島」のことだと思い込んでいた。だから『世間知らず』に「バリ・ハイ」が「架空の島」と書かれているのを読んで、あれれ……となってしまったのだ。
     そんなことがあった直後、ネット・サーフィンしていると、またもや「バリ・ハイ」の話題にぶつかった。まるでユングの同時性(シンクロニシティ)だ。 「バリ・ハイ」の話題があったのは、作家佐々木譲氏のホームページ。この中にある「近況」によると、今日の夜、TBSテレビの「ブロードキャスター」のバリ島爆弾事件に関係した報道で、バリ島のことを「ミュージカル『南太平洋』で世界中に紹介された……」と説明されていたとのこと。この説明は、日本の旅行ガイドブックにも紹介されているというから、ぼくも、そんなガイドブックの記事を目にしていたのかもしれない。
     映画『南太平洋』の内容を思い出せば、そもそもあれはアメリカ海軍の軍港らしきものがある島の話だったではないか。バリ島は現在はインドネシア、太平洋戦争前はオランダ領東インドで、昭和17年には日本軍に占領されている。アメリカ海軍の軍港か泊地らしきものがあった「バリ・ハイ」がバリ島であるはずはないのだ。
     佐々木氏の説明によると「バリ・ハイ」のモデルはニューヘブリデス諸島だったという。ああ、これで納得できた。
     現在はバヌアツ共和国になっているニューヘブリデス諸島は、イギリスとフランスに共同統治されていた島々で、南端に近い場所にガダルカナル島のあるソロモン諸島が北に、南には「天国に一番近い島」のニューカレドニア諸島がある。西は珊瑚海という場所で、太平洋戦争開戦後、真珠湾攻撃からフィリピン、マレー、シンガポール、蘭印、ラバウルなどを占領した日本軍のうち海軍(軍令部)は、第二段作戦として、米豪遮断のため、ソロモン諸島を南下、ニューヘブリデス諸島からニューカレドニア諸島までの占領をめざす。ラバウルから1,000キロも離れたガダルカナル島に飛行場を建設しはじめたのも、ニューヘブリデス諸島攻略の足がかりとしてだったのだ。
     ところがアメリカ軍は、突然、ガダルカナル島に上陸し、日本海軍が建設していた飛行場を奪取。このときからガダルカナルの激戦が始まるのだが、この戦いに参加してたアメリカ海軍、海兵隊のパイロットたちは、1週間交替で後方のニューヘブリデス諸島で休養を取っていたという。ラバウルから1,000キロも離れたガダルカナルまで飛んでは戦闘を繰り返し、夜は夜で、ラバウルに対する夜間爆撃のために充分な睡眠がとれず、疲労困憊していくばかりだった日本海軍航空隊の搭乗員たちとは大きな違いだった。日本海軍航空隊は、トラック島あたりの予備兵力と交替するという発想がなかったからだろう。
     アメリカ軍パイロットたちの回顧録の中には、ソロモン諸島を地獄、ニューヘブリデス諸島を天国にたとえる記述が散見されるが、それも実感だったのにちがいない。ハルゼーひきいるアメリカ海軍空母部隊も、ニューヘブリデス諸島を泊地にしていたはずで、まさにここにはミュージカル『南太平洋』の世界があったわけだ。
     ネットで『南太平洋』のストーリーをチェックしたけれど、こうしてみると昨年公開された映画『パール・ハーバー』は、かなり『南太平洋』の影響を受けていたような感じがしないでもない……。
     それにしても思わぬ「バリ・ハイ」のシンクロニシティに遭遇した1日ではあった。

    10月20日(日) 夢うつつでストーリー

     布団の中で目が覚め、まだ半分ほど夢うつつの状態のなか、いま取りかかっているマンガのストーリーが、ドンドンできあがる。すでにプロットはできていたのだが、どう考えても、こちらの方が面白い。新たに資料調べや取材が必要になるが、ノリのいい方を優先しよう。でも、忘れてしまわないうちにメモしなければ……と無理に起き、ノートパソコンのスイッチを入れてメモを取る。
     そのまま取材に出かけようと思ったのだが、ところが寝てから4時間ほどしか経っていない。眠くて眠くて、背中や肩も痛く、外出する気力がない。モヤモヤとしているうちにテレビでフォーミュラ・ニッポンがスタートし、つづいてF3のレースまで。これで外出しそびれ、結局、座椅子にもたれて夕寝。


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