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  • 2002年09月中旬の日記

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    09月11日(水) 「ウインドトーカーズ」鑑賞

     徒歩で西武新宿線の駅まで歩き、各駅停車の電車に乗って読書をしながら西武新宿駅まで。歌舞伎町の新宿ミラノ座で「ウインドトーカーズ」を鑑賞予定だったのだが、時間が中途半端だったので、近くのマクドナルドで読書の続きをして時間つぶし。読んだ本は、今日届いた『何がなんでも作家になりたい』(鈴木輝一郎・著/河出書房新社・刊/1,300円+税)。小説家になりたい人が多いそうで、また現在の出版状況(少部数多品種の出版)では多くの書き手が必要とされるため、新人も出やすい状況にはなっている。ただし、デビューするのは簡単でも、小説家を持続するのは非常に困難だということに、多くの人が気づいていない。『何がなんでも作家になりたい』は、小説家になり、小説家でありつづけるための実状を綴った本。ぼくなどは事情がちがうけれど、概ね、うなずける内容。「デビューするには新人賞」というのもまぎれもない事実です。

    「ウインドトーカーズ」は、昨年観た「コレリ大尉のマンドリン」に続くニコラス・ケイジの戦争映画。舞台がサイパンだけに、観ていてつらいものもあったが、ストーリーもアクションもよくできていた。さすが職人ジョン・ウー監督といったところか。最後は予定調和とわかっていても少しホロリ。
     帰途、高円寺にまわり、磐紀一郎さん宅に届け物。そのまま深夜までダベり、帰宅はタクシーになってしまった。

    「2ちゃんねる」の「ゲームセンターあらし」スレッドを読んでいることをここに書いてしまって少し反省。わたしがヤボでした。どんどん突っ込みを入れてください。ただし、根拠のない非難中傷はお断りします。出版関係者、漫画家などの中には、ネットに慣れていなくて、2ちゃんねるのネタ系の書き込みを真に受けたり、2ちゃんねるに書かれていたという情報が一人歩きして、事実でないことが事実として伝播することもあるので、このあたりが要注意点かも。

    09月12日(木) 仏壇と双葉山ともんじゃ焼き

     午後、カミサンと連れだって池袋経由で鶯谷へ。葬祭会社の人と駅で待ち合わせ、クルマで入谷の仏具店のショールームに連れていってもらい、ここで小さな仏壇を選ぶ。ついでに香典返しのリストも渡し、四十九日の法要に関する打ち合わせをすませた後、葬祭会社の人のクルマで両国まで送ってもらい、江戸東京博物館へ。この建物の7階にある図書室で朝日、読売、毎日(東京日々)、都(昭和17年から東京)の各新聞の昭和14年1月のマイクロフイルムを借り出し、マイクロフィルムリーダーを使って「双葉山70連勝ならず」の記事を検索。久しぶりの検索で、おまけに閉館直前で焦っていたこともあり、リーダーの操作法がわからなくなって焦る。係の人にちょっと助けてもらったら、あとは順調……のはずだったのが、最後のフィルムを反対にセットしてしまい、あじゃじゃ。手で巻き戻して再びセットし、なんとか見ることができた。
     なんで双葉山70連勝阻止さるの記事を探したかというと、この日(昭和14年1月15日)、双葉山が負けた直後に両国国技館前を通りかかった1両の市電(路面電車)があった。双葉山が負けたことで頭に血が昇ったファンが乗車してきたのだが、腹立ちまぎれだったのか、いきなり電車の車掌の頭をポカリ。これを見とがめた市電の運転手が乗客を怒鳴りつけたら、いきりたっていた乗客が、こんどは運転手に殴りかかって喧嘩になり、当然、電車はストップ、後続の電車も数珠つなぎに停まってしまった事件があったらしい。
     このとき頭を殴られた車掌が先月亡くなったぼくの母で、ひょっとして、この事件が新聞ダネになっていないかと検索してみたのだが、双葉山と安芸ノ海に関する記事は大量にあったが、市電ストップの記事は見当たらず。記者たちも国技館の外の喧噪までは取材する暇がなかったのかも。
     なんでこんなことをしているのかというと、息子の目から見てもかなり数奇な半生を送った母の足跡を、いつか小説にまとめてみたいと思っているからなのだが……。

     新聞の検索がすんだ後は地下鉄大江戸線で月島に移動し、カミサンと、もんじゃ焼きで夕食。帰りは月島から西武池袋線乗り入れの地下鉄有楽町線で帰宅。

    09月13日(金) 原稿だ原稿だ!

     家族が全員寝ている早朝に起き出し、パソコンのスイッチを入れて新作架空戦記の原稿に取りかかる。夕方からは腰痛と脚のしびれ(母の介護中に痛めた)を解消するため、クルマでスポーツクラブに出かけて水泳&水中ウォーキング。運動後は牛乳を飲んでカルシウムを補給。雨の中をクルマで帰宅。再びパソコンに向かうが、疲れと眠気で能率悪し。結局、早めに寝る。F1イタリアGPがあることも忘れていた。

    09月14日(土) F1イタリアGP予選

     また朝早くから起き出し、コツコツと架空戦記の原稿。途中、某出版社の編集者から電話で新しい仕事の打診。目先の仕事が一段落したときに面談することになる。その後はパソコンに向かって原稿。満州鉄道のことで調べることがあり、ホームページを見たり、資料の本を開いていたら、あっというまに夕刻。食事後はフジテレビ721でF1イタリアGP予選。佐藤琢磨がライコネンとガッチャン。こりゃ、どう見てもライコネンが悪いわ。

    09月15日(日) 原稿だ原稿だ!

     午後、喫茶店に出かけて原稿。暗い店の片隅でノートパソコンのキーを叩いていたら、バックライトの光が目に突き刺さるような痛みを感じて中断。睡眠不足と疲れ目が重なっているせいらしい。徒歩で帰宅し、午後9時からフジテレビ721でF1イタリアGPを観戦。フェラーリが強すぎ。

    【追記】「トラマガ」第2号掲載のマンガ家座談会(桜多吾作、のむらしんぼ、すがやみつる)のゲラがFAXで届き、赤入れ。最低限の直しにとどめるが、それにしても面白い座談会ではないか。自分が出席していて面白いというのは、ちょっといかがなものかとも思えるが、でも面白い。赤入れしながら、おかしくておかしくて、つい何度も笑ってしまったぞ。ワハハハハ。
     昔の「コロコロコミック」の熱気や、マンガ家同士の密接なつながりが垣間見えて、当時の「コロコロ」読者にも楽しめるのではなかろうか。ひょっとすると第2号に掲載されているマンガ以上に面白いかもしれないぞ。それにしても、うるさい中で6時間も喋り倒した座談会を、ここまでまとめた編集者はエライ! ちなみに、この座談会は第3号に続くのだが、3号の方が、もっと過激なことを話しているかもしれない。ちょっと不安なので、第3号の分は、きちんと手直しできるよう早めにゲラを送ってくれい!

    09月16日(月) 原稿だ原稿だ!

     朝から原稿。途中、仮眠もとらずに朝6時まで原稿を書く。そのわりには進んでいない。調べることが多いせいだ。

    09月17日(火) 江戸川乱歩賞

     寝たのが午前4時だったと勘違いして午前10時には起きてしまう。どうも眠いわけだ。小泉首相の北朝鮮訪問の特別番組をテレビで見ながら、夕方までノートパソコンのキーを叩いて原稿書き。その後、デイパックにノートパソコンを詰めて、カミサンに西武池袋線の駅までクルマで送ってもらう。江戸川乱歩賞の授賞パーティー出席のためだ。
     電車の中で原稿を書くつもりだったが、乗った準急に空席はなく、途中の練馬で空席ができて座ったものの、あっというまに居眠り。池袋の直前で目を覚まし、地下鉄丸の内線で銀座まで。ここから帝国ホテルまで歩き、まずは売店で帝国ホテルに関する本をチェック。前に来たときにはなかった本が入荷していたので、これを購入。他に帝国ホテルのライト館に関する本を2冊買う。
     パーティーでは、あっちで挨拶、こっちで挨拶。目的のひとつに講談社の某氏と会うことがあったが、今年は欠席の様子。あらかじめ確認しておけばよかった。原稿もあるのでアルコール類は一滴も口にせず、高齋正さんと一緒に早めに会場を脱出。丸の内線と西武池袋線で地元の駅まで戻り、カミサンにクルマで迎えにきてもらう。行きの電車のなかで少し居眠りしただけで、あとはずっと立ちっぱなしだったせいで、腰と膝がガクガク。結局、ノートパソコンも使わず仕舞いだった。ああ、しんど。

    09月18日(水) アメリカの関心はイラク

     昨日、江戸川乱歩賞授賞パーティーから、そそくさと急ぎ帰宅したのは、北朝鮮関連のニュースを見たかったからなのだが、帰宅するまで待てずに途中でi-Modeを使い、ニュースをチェック。死亡者の多さに、一瞬、唖然。帰宅してからテレビを見るも、やはり娘を持つ親としては、拉致被害者の家族の皆さんの会見に涙を誘われる。

     小泉首相の突然の訪朝はエポックなことでもあったが、これを実現したのは、アメリカが北朝鮮を「テロ支援国家」と名指ししたこと、そして、アフガニスタンに対する攻撃の様子、イラクに対する強硬姿勢などがベースにあったはず。外務省や政治家も水面下で交渉していたのだろうが、アメリカの恫喝があったからこそ日本との交渉にも応じる気になったのではなかろうか。

     その後、拉致被害者で死亡したと伝えられる人の死亡年月日を外務省と政府が隠していたと報道され、テレビも、「ひどい、ひどい」の大合唱を続けているが、「未確認情報」だったのなら、内容の確認ができるまで、家族に伝えたり発表するのは待つのが筋ではないのか? 17日の夕方、テレビは、どのチャンネルも平壌と東京の二元中継で、飯倉公館に入った家族のことなども伝えていたが、その最中、最初に「生存者は9名」という「未確認情報」が流れ、つづいて「生存者は数名」にトーンダウンした「未確認情報」が流された。これらの報道は拉致被害者の家族も見ていたはずで、いちど期待を持たせた後、実際には生存者は4名(+1名)だったわけで、これだって家族に対しては残酷な仕打ちだったのではないか。テレビだってエラそうなことはいえないぞ。

     というわけでテレビにかじりつきながら仕事。近所のお宅から折り畳みデスクをもらったので、久々に椅子に座ってノートパソコンを操作。深夜、CNNニュースをチェックしていたが、こちらはイラク関連のニュースばかりだった。

    09月19日(木) 一歩も外出せず

     今日もテレビに張りついたまま仕事。架空戦記の原稿が進まない。新シリーズの第1巻ということもあり(正確には前作『蒼天の艦隊』の続編)、ストーリーの前提となる設定のシーンが多く、なかなか戦闘シーンに入れないのが、ペースが上がらない原因だ。戦闘シーンになればペースが上がるはずなのだが……。

    09月20日(金) 最悪の誕生日?

     架空戦記のペースが上がらず、これは構成が悪いためだとプロットを再検討し、時系列を変更して戦闘シーンを前に持ってくる。これでテンポは良くなったはずなのだが……と原稿をいじってカリカリイライラしているときに、アット・ニフティから「お誕生日おめでとう」のメール。こんなの設定していたかな? ふだんの心理状態なら嬉しいのだろうけれど、ちょっと今日はタイミング悪すぎ。即座に来年からの誕生日メールの配信停止手続きをする。そもそも誕生日だってことも忘れている状態だったし。
     そもそも今日は、本来は架空戦記の最終締切で、これが半分までしかできていない。連休明けまで伸ばしてもらっているのにマンガのカットの締切も重なって、胃がキリキリキリ。そこにマンガの担当編集者から電話がかかってきて、掲載予定のムックの編集作業が遅れているため、こちらのマンガの締切も延びたとのこと。
     ホッとして、とりあえず架空戦記小説の原稿をできたところまで送信し、腰痛対策でプールへ。水泳800メートル、ウォーキング500メートルを休憩なしで完了し、そそくさと帰宅。家族も誕生日のことは忘れていて、通常の夕食。こちらも誕生日という気分ではないので、これで充分。
     食事のあと、ムックのマンガ(イラスト以外に4Pも描かなくてはいけない)の資料とするため、転送してもらったパソコンのソフトをテスト。その途中でWindows XPのサービスパック1が登場したとのことで、ちょっとインストール……と思ったら、30MBものファイルをダウンロードしなければいけない。おかげで仕事が2時間も中断。しかもサービスパック1をスタートするとエラーでWindows XPが起動せず。しかたがないので、また元に戻す。あとでメーカーのサイトを確認したら、サウンドカードの設定を変更する必要があったらしい。暇ができたときにアップグレードしよう。


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