• 表紙へもどる

  • 2002年06月中旬の日記

    11日 12日 13日 14日 15日 16日 17日 18日 19日 20日

    06月11日(火) 原稿の進み悪し……

     うーん。睡眠不足も関係しているんだろうけど、目の調子が絶不調。焦点が合わないのを無理に合わせようとするせいか、コメカミと目の奥が痛くなって、文章を考えるのも面倒になってくる。しかたがないので夕方1時間ほど仮眠。その後、再び原稿に戻るが、こんどはマンガのネームチェック用のFAXがドドッと届く。「トラマガ」創刊号掲載の『ゲームセンターあらしA』のネームのチェック用。いくつかミスを発見し、修正を依頼。そのドタバタで小説の原稿はさらに遅れ、明け方、第4章までを送信。残りは1章。早く決着をつけたい。

    06月12日(水) 篠塚健次郎選手、三菱自動車を退社へ

     締切が気になって早起き。東京中日スポーツを開くと、三菱自動車所属のラリードライバー、篠塚健次郎選手が、同社を退社することになったとの記事が。三菱自動車は53歳になった篠塚選手に、引退してチームの運営に回って欲しいと望んだらしいが、篠塚選手の方は競技生活を続けたいとのことで、フリーのラリードライバーになる道を選んだらしい。
     篠塚選手の経歴では、1991年のWRCアイボリーコースト優勝や、1997年のパリダカ総合優勝のことばかりが触れられているが、1976年、サファリ・ラリーで三菱ランサーに乗って6位に入り、日本車&日本人最高位の記録を作ったときが、篠塚健次郎の名前が知られることになった最初ではなかろうか。この直後、双葉社から出ていた「少年アクション」というマンガ雑誌に『疾風ランサー〈篠塚健次郎物語〉』という読切りマンガが載ったのだが、何を隠そう(?)、このマンガの作者が私だったのだ。
     三菱自動車の本社では、サファリラリーの映画を見せてもらい、当時、ディーラー勤務だった篠塚選手にもインタビューして、付け焼き刃ではあるが、それなりにラリーの勉強もしてネーム(下絵)を作って編集者に見せたら、「地味すぎる。もっとハデにしてくれ。アフリカなんだから、サイやゾウが出てきたり、マサイ族に襲われたり(いま、こんなことしたら国際問題になるな)」といった注文を出され、駆け出しの新人マンガ家だったワタクシは、編集者の意見を採用しないと使ってもらえないという脅迫観念から、編集者の注文をすべて受け入れた作品に修正したのでありました。
     その結果、できあがったマンガは、篠塚選手の乗ったランサーがサイとぶつかったり、断崖絶壁からジャンプしたりと、もう気分は『マッハGo! Go! Go!』か『チキチキバンバン』か。穴があったら入りたい心境だったのではありますが、この作品でモータースポーツマンガが描けそうだと判断され、同じ雑誌にF1レースマンガの連載を開始。表紙に大きなイラストが入り、巻頭カラーで連載スタートしたレースマンガだったのですが、なんと、この雑誌、次の号で休刊! 連載開始の次の号で最終回になってガックリ……てなことを思い出した篠塚建次郎選手の三菱自動車退社の報道だったのであります。

     その後、午後もずっと原稿を書きつづけていたのだが、睡眠不足状態で仕事をするから、すぐに眠くなる。インディ500のテレビ中継に解説で出演したとき、眠気覚ましに用意していったカフェイン入りドリンクの残りを飲みながら原稿を書くが、夕方、もう眠気の限界。しかも腰が痛い、背中が痛い。思いきってプールに出かけ、眠気を吹き飛ばす。ただし原稿執筆に影響があるといけないので、泳いだ距離は800メートルと軽め。帰途、ファミリーレストランに回り、ここで原稿。帰宅後、また原稿。
     あ、Motorsports@niftyの掲示板で、今夜、スティーブ・マックイーンの映画『栄光のル・マン』がNHK-BS2で放映されることを紹介しておきながら、当の本人が見るのも録画するのも忘れてしまった。

    06月13日(木) ル・マンの予選も見ないで仕事

     昨日からルマン24時間レースの予選が始まっているのだが、そんなもの見ている暇がない。車でハンバーガー店1軒、ファミレス2軒をハシゴして、ただひたすらに原稿。とにかく明日までにあげないといけないのだ。
     しかし、睡眠不足のせいで、ノートパソコンのバックライトが目に痛い。こうなると眼鏡をかけてもダメで、コメカミがズキズキして文章も思い浮かばなくなる。ふう……。

    06月14日(金) 締切延期で同期会へ

     結局、睡眠2時間で起きて、また原稿。目の焦点が合わないせいで、原稿が進まない。夕方までに送らないといけないというのに……。しかも、こんな日に限って、午後3時半からワールドカップの日本対チュニジア戦。「締切で逆上しているからサッカーのテレビ観戦禁止」を家族に言い渡し、テレビのある居間から追い出す。いま、自宅では居間が仕事場になっているもので。
     で、必死に原稿を書いていたら、心優しい(?)担当編集者から電話があって、とりあえず表紙カバーの著者の言葉を先に送れば、残りは月曜日まで待ってくれるという。その声を聞いたとたんにプチンと緊張の糸が切れ、テレビのスイッチを入れてしまう。テレビでサッカーを見ながら著者の言葉を書き、「おお、日本が勝った!」と騒いでいたら、テレビのない部屋に追いやられていた家族が、「父ちゃん、ひどい!」と膨れっツラで猛抗議。すまん。テレビを見てもよくなったのを伝えるのを忘れたのだ。

     サッカーの日本勝利に気をよくしながら睡眠不足でヘトヘトの身体を励ましつつ、途中、薬局でアリナミンVを飲んでから電車で渋谷へ。最近、2ヶ月に1回くらい開かれている高校の同期会に出席するため。最近、法事などで欠席がつづいていたもので、今回は出席することになっていたのだ。そもそも、書き下ろしの小説が、ここまで遅れるとは、考えてもいなかったし……。

     渋谷駅に着いたのは午後7時直前。すでにハチ公前口は混雑で下車できない状態。こちらは南口での待ち合わせだったので、改札口の外で待っていた幹事と一緒に外に出て、駅頭で配られていた号外をゲット。ハチ公口の方から聞こえる「ニッポン、チャチャチャ!」の声を聞きながら、会場の小料理屋へ。今日の出席者は男7名、女2名の計9名。うち男2名は、この集まりのために、単身赴任先の札幌と富山から飛行機を利用しての参加。いくつになっても青春時代の「A君はB子ちゃんが好きだった」というような話題中心の、利害関係ゼロの気楽な集まりで、ワイワイ騒いでいるうちに、あっというまに午後11時で閉店。
     お開きになった後は、今夜は寝てやるぞ〜、それには酔っぱらうのが一番だ、というわけで、帰途、高円寺で下車して3軒ハシゴ。朝、電車が動いてから帰宅し、布団のなかに倒れ込む。

    06月15日(土) 山ほど寝たのに……

     寝不足の上に、たっぷりと飲んだせいで、久しぶりに8時間以上グッスリ。しかし、これでも眠気が覚めず、いちど起きて原稿を書いたあと、また、布団に潜り込む。
     再び起きたのは午後7時過ぎ。残りの原稿を必死に書き、ルマン24時間レースの決勝スタートまでには、とりあえずメドをつける。
     しかし、ルマン24時間レースのテレビ放送を見ながら原稿を読み返していると、うーん……と気になるところが多く、結局、書き直しをはじめる。
     ルマンでは、寺田陽次朗さんがスタート直後にリタイア。うーん、悲しい。

    06月16日(日) 最後の追い込み

     いちど原稿が上がっても、時間があると、さらに手を入れたくなる……というのは、モノカキの性みたいなものかもしれません。一晩寝てから読み返すと、気になるところがあちこちにあり、結局、自転車に乗って喫茶店に出かけ、ノートパソコンで原稿の書き直し。まあ、1時間もあれば終わるだろうと思っていたが、ちょとと気になると連鎖的に気になるところが増え、結局、喫茶店→ファミレス→喫茶店→ハンバーガーショップと4軒もハシゴし、なんとかメドをつける。
     帰宅したのは午後10時過ぎ。まだスペイン対イングランドのサッカーの試合をやっていて、しかも延長戦で決着がつかず、結局PK戦に。ルマンの決勝ゴールが気になったが、こちらもプロ野球の阪神・巨人戦の遅れで録画中継が遅れていた。
     ルマンのゴールを録画で見ながら、また原稿のチェック。結局、午前4時過ぎになって原稿を送信。しかし、金曜締切だった「F1 CLUB」の書評原稿がまだ。少し寝てから書くことにしよう。

    06月17日(月) 『仮面ライダー』の小説刊行にドキリ!

     今朝、ようやく架空戦記の原稿が終わったせいか、午後になって起きたがボケ〜ッとしてしまって仕事にならない。しかたがないので書評用の本を読む。

     実は昨夜、早見裕司さんのホームページからリンクをたどった先で小説家・和智正喜さんの「高円寺通信」というホームページを発見。ここで和智さんが書かれた『仮面ライダー―誕生1971―』という「小説」を書かれ、先週、発売されたことを知る。どうやら「ぼくらマガジン」連載版の原作マンガをベースに、本郷猛の「仮面ライダー1号」の誕生を描いたものらしい。
     つい気になってしかたがないのは、ぼくが『仮面ライダー』でマンガ家デビューしたからだけではない。1995年、石ノ森章太郎先生のマンガ家生活40周年記念のパーティーを石ノ森章太郎ファンクラブの内々だけで開いたとき、小説家に転進したばかりだったぼくは、石ノ森先生に、「『仮面ライダー』の基本設定をベースに小説化したい」と直訴し、「お前が書くんならいいよ」とOKをもらっていたからだ。そのことをニフティのフォーラムにチラリと書いたら、それを読んだ人が小学館の某編集部に連絡してくれ、編集長が会いに来てくれた。ちょうど「仮面ライダー生誕25周年記念」の企画があるとかで、そこで書かないかと誘ってくださったのだが、よくよく話を聞くと、ジュニア向け文庫の1冊で、こちらが書きたいのは「公害があり、学生運動や浅間山荘事件などがあった1970年代前半を舞台にした大人向けのバイオホラー」だと話すと、もう少し練り直して見ましょうということで、結局、そのままになった。
     その後、いくつかの出版社に話をしたが、『仮面ライダー』にピンとくる年代の編集者がおらず(ぼくくらいの年齢になると、交流のある編集者の年齢も上がってしまうため)、こちらもレース小説や架空戦記小説の仕事が忙しくて、いつしか小説版『仮面ライダー』の企画は死蔵する状態になった。
     それだからこそ和智さんが書かれた「1971年を舞台にした原作に近いイメージの『仮面ライダー』の小説」にビビッドに反応してしまったのだが、ま、世の中には同じようなことを考える人はたくさんいるし、しかたないこってす。ただ、機会があれば、あらためて、『仮面ライダー』でマンガ家デビューした現・小説家としては、いつか、「大人向けライダー」を書いてみたいという夢だけは持っていることにしよう。

    06月18日(火) ワールドカップが終わった……ん?

     今日は当然、午後3時半からワールドカップの日本対トルコ戦。あーあ、ポカミスから与えたコーナーキックで1点入ってしまった。これで日本全国を盛り上げたワールドカップも、実質的には終わった……という人も多そう。確かにワールドカップはレベルも高いし面白かったが、今回の日本全国の「ワールドカップ・ブーム」は、まるで信用してません。騒いでいる人の大半は、まわりが騒いでいるし、騒がないと遅れていると思われそうだし……というブームのフォロワーだし。このワールドカップ人気がJリーグの観客動員につながったり、サッカー関連の出版物の売り上げに貢献……なんて甘い考えを抱いてはいけません。
     1980年代の終わり、日本には「エフワン・ブーム」というものがやってきて、バブルの追い風もあって鈴鹿サーキットの日本グランプリのチケットは、コンピューターによるクジ引き……という状態にもなり、さらにはF1と似ている全日本F3000にも大スポンサーがたくさんついて、モータースポーツ業界は我が世の春を謳歌することになりました。
     しかし、あれは1992年のことでした。某広告代理店の人が声をひそめていいました。「モータースポーツ・ブームもJリーグが始まればオシマイだよ」と。確かにその通り。1993年からJリーグがスタートすると、モータースポーツについていたスポンサーは、ぞろぞろとJリーグに移動。F1はかろうじて生き残ったものの、悲惨なのは国内モータースポーツで、とくにF3000は生き残りに必死になり、その結果、フォーミュラ・ニッポンなんて新カテゴリーを作ったのですが、いちど落ちた観客動員数は、いまだ回復できておりません。
     すでにF1バブルの頃、日本グランプリを取材したイギリスのレース雑誌の記事で、「日本には“Efu-wan”のファンはいるが、モータースポーツのファンはいない」と看破されていたとおり、F1ブームはあっても、モータースポーツのブームがあったわけじゃない。その後、広告代理店主導で作り出されたJリーグ・ブームだって、あっというまに萎み、観客動員も悪化の一途をたどって赤字に苦しむチームが増えているのは周知の事実。それだからこそワールドカップ人気に期待するサッカー関係者も多いのだろうが、F1風にいえば、「日本にはワールドカップのファンはいても、サッカーのファンはいない……」てなことになりそうだ。
     ついでにいえば、F1ブームのとき、このブームを当て込んだ出版企画も、その大半がコケた。「F1ファンは本を読む習慣がないことがわかった」といった編集者もいたが、この言葉も、そのままワールドカップやサッカーにつながるのではないか。大半のファンは、テレビを見ることで完結してしまうからだ。そもそもF1やサッカーの若者が本を読まなくなっているせいで出版物全体が地盤沈下しているのだから、それもしかたがない。
     モータースポーツもサッカーも、ブームを支えた(る)のは若者だが、日本の場合、結婚して子供が生まれると、スポーツ観戦とは縁遠くなる。サーキットやスタジアムが不便な場所にしかないことにも原因はあるが、結局、F1やサッカーは「卒業するスポーツ」でもあるのが現実で、いったん卒業すると、なかなか戻ってこられない。子供の手が離れる頃には、ゴルフに野球と仕事にも役立つスポーツが待っているからだ。
     ワールドカップがスタートしたのは1930年。F1の前身であるグランプリレースが始まったのは1906年。文化は歴史から生まれるもの。日本にF1やワールドカップの文化が根づくのは、もっと先のことだろう。

     で、夕方からプールに出かけて水泳。帰途、書店で『仮面ライダー―誕生1971―』を見つけて購入。ファミリーレストランに寄ってメモを取りながら書評用の本を読み終え、帰宅後、書評原稿。「F1 CLUB」に掲載されるレース自動車関連書籍の書評だが、今回紹介した『A‐10奪還チーム出動せよ』という傑作冒険小説も、すでに絶版状態。書影が必要なため新たに購入しようと思ったのだが、新刊書店では買えず、結局、BOOK-OFFで購入。シリーズ全巻が入手できたがオール100円というのが悲しかった。ちなみに『A‐10奪還チーム出動せよ』は、東西冷戦下のベルリンを舞台にしたカーチェイス・アクション小説でもあるが、主人公のアメリカ空軍軍曹が、元ストックカーレースのドライバーという設定。作者も空軍勤務に経験があり、また2輪のマン島TTレースにも出たことがあるらしい。そんな経験が随所に光る傑作だというのに……。航空冒険小説の傑作『シャドー81』は、まだ新刊書店で入手できるのになあ……。

    06月19日(水) 布団の中でアイデアを思いつく

     朝、布団の中で目が覚めたものの、まだ半覚醒状態で頭がボ〜ッとしているときに、マンガや小説のアイデアやストーリーが浮かぶことが多い。長編小説のストーリーが一挙にできてしまったり、絶対に売れそうなマンガのアイデアが完璧にできあがったりする。
     ここで再び寝てしまうと、そのままストーリーもアイデアも忘れてしまうので、このようなストーリーやアイデアを思いついたときは、すぐにでも飛び起き、メモしておかなければいけない。
     今朝も、夢うつつの中で面白い短編マンガ・シリーズのアイデアを思いつき、忘れないうちにと必死に布団から這い出して、階段を這い降り、居間までいくと、ノートパソコンのスイッチを入れてアイデアの内容をメモ。おお、これは売れそうな企画だ! と舞いあがって、そのまま起きてしまう。

     焼きそばの朝食兼昼食の後は、『蒼天の艦隊』(3)のゲラチェック。しかし、睡眠不足のせいで眠気に襲われ、夕方、座椅子にもたれて30分ほど爆睡。その後、プールに出かけ水泳1200メートル、ウォーキング500メートルの後、ジャクジーで10歳以上年長の女性と歓談。水泳前と後の体重差は1.2kg。身体がカラカラに乾いていたため、帰途、生ビールを飲んでしまう。

    06月20日(木) ゲラのチェックが終わらない……

     地震で目が覚め、そのまま起床。また睡眠不足だ。そのままゲラのチェックをして、夕方、またプール。3日連続のせいか、かなり疲れた。水泳1200メートル、ウォーキング500メートル。ちょっとハードに攻めたせいか、かなり疲れた。泳いだ後、ジャクジーで競泳用水着の似合うお姉さんと歓談。水泳後の体重は74.04kg。おお、最低体重をまた更新した。1年前は79kgだったから、それなりにダイエットは進んでいるらしい。


    日記一覧に戻る