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  • 2002年01月中旬の日記

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    01月11日 とりたてて何もなし……

     起きて小説の原稿を書き、あとはMotorsports@niftyのファイル更新をシコシコ。他に特記事項なし。夜、NHK総合テレビで金曜時代劇の『逃亡』を見るが、市川昆監督の演出にしては、なんだかテンポが悪い。フィルムとビデオの映像のちがいもありそうだ。

    01月12日 『鳥よ、飛び立て!!』復刻版が到着

     今日もMotorsports@niftyのファイル更新をシコシコ。アメリカ、ヨーロッパのビッグレース、DTM、BTCCなどの2002年版ファイルも着々と更新が進み、残るはドイツF3のみ……となったところに宅配便で、マンガ『鳥よ、飛び立て!!』の復刻版が到着。年末の12月28日に原稿を送った本が、もうできてしまいうのだから、最近の同人誌向け印刷会社の実力はスゴい。

     というわけで限定200部のうちの50冊を持って高円寺のノラやへ。お店で販売してもらうためだ。ちょうど原作者の石津嵐さんもやってきて、居合わせたお客さんたちに、「いまなら原作者、マンガ家両方のサイン入り」と、押し売りのようにして販売。たちまち5冊売れるが、はたして、この調子で売れるのだろうか……。売れてくれればいいが、売れなくてもともとだからなあ……。でも、経費くらいは改修したいなあ……と心中でブチブチ。

     帰途、富士見台にまわり、くまの歩に依頼してあったマンガの原稿を受け取る。原稿を受け取ったあとは、まっすぐに帰宅。マンガの仕事が忙しくなりそうなので、残っているMotorsports@niftyのファイル更新を一気にやってしまう。それにしても風邪が抜けない。今年の風邪はしつこいぞ……。

    01月13日 マンガの仕事で目が痛い

     今日は午後1時まで根性で寝る。少し風邪っけは抜けてかな? そのあとは、くまの歩から受け取ったマンガの原稿をスキャナーで読み込み、これにノートパソコンの画面をキャプチャーした画像を貼りつけていく。PhotoShopのレイヤーにも慣れてきたようで作業は順調に進むが、次第に目の調子が悪くなる。目の奥が痛むので無理はせず、つづきは明日にする。

     マンガのファイルは手間もかかっているので消えたらショックは大きい。そのため3台のパソコンにバックアップを取り、さらにCD-RWにもファイルをコピーしておく。残りは明日だ。

     このマンガの原稿をパソコンで処理している間に、原画展開催中の高円寺「ノラや」から電話。「お友だちの方が……」というママから電話をかわったのはマンガ家の大先輩N先生。このホームページをご覧になって、わざわざ足を運んでくださったとのこと。ひええ、申しわけありません……と、ひたすら恐縮。

    01月14日 え、今日が成人の日だったの……?

     今日が締切のつもりでいた仕事が遅れ、青ざめながら原稿を書いていたのに、まるで催促の連絡がない。え、どうして……と思ったら、今日は月曜日のはずなのに夕刊もこない。カミサンに訊いたら、今日は成人の日で祝日とのこと。ああ、そういえば、昨年あたりから1月の第2月曜日が成人の日になったのか……。でも、成人式って、いつまで20歳なんだろう? 昔の元服は基本的には15歳。パチンコがOKになる18歳くらいで成人させたほうがいいのでは? もうひとつ、大人と子供を厳然と分けるべし。そのためには、ぼくたちの世代が、「憧れれてもらえる大人」になる努力をしないといけないな……。

     スキャナーで取り込んだ〔くまの歩〕のマンガ原稿に、パソコンのキャプチャー画面を合成していくが、目の奥がキリキリ痛む。ああ、しんど。

    01月15日 『石森マンガ学園』の投稿マンガ

     とある窮地の編集プロ所属の編集者から、まもなく文庫化されるという『石森マンガ学園』という本のためのエッセイを書いてほしいとの依頼があり、準備していたのだが、困ったことが発生してしまった。この本、1967年に「週刊少年キング」に連載されたもので、1969年に「少年キング」増刊号として発刊された後、同年、黒崎出版から単行本化されたもの。このなかに読者からの1コマや4コマの投稿マンガが掲載されていて、そのなかに、「静岡県・菅谷充」の作品が、「千葉県・河あきら」などの作品と一緒に掲載されているという。貝塚ひろし先生が主宰されていた「コミックエース」(マンガエースだったかな?)という雑誌に1コママンガを投稿していた記憶はあるが、『石森マンガ学園』に投稿した記憶はない。すっかり忘れてしまっていたらしい……という前提で、そのマンガをFAXで送ってもらったうえで原稿を執筆することになったのだが、届いたFAXを見て疑問は氷解。「菅谷充」のマンガも「河あきら」のマンガも、そして「しまあきと(細井雄二の同人誌時代のペンネーム)」の作品も、「近藤仁」「田村雅」(やはり同人仲間の2人の名前を合成したもの)の投稿マンガも、「仲村恵美さん」「小谷さん」(ともに69年当時の石森先生のアシスタント)のマンガも、すべからく、この頃、石森先生のアシスタントをしていた「菅野誠(後の“ひおあきら”)」が描いたものではないか。30年以上前の絵でも、一目でわかったぞ。編集者に連絡を取ったところ、やはり文章を書くことになっていた河あきらさんも、まったく同じことを指摘していたらしい。高校生の頃からの同人誌仲間だからシャレですまされるが、これが見ず知らずの他人だったら大ごとになるところだ。

     というわけで、高校生のときにマンガを投稿した……という前提が崩れてしまったため、石森(石ノ森章太郎)先生に名誉会長になっていただいた同人誌『墨汁三滴』(肉筆回覧誌)のこと、石森プロ時代のことなどを中心にした文章に書きあらためたのだが、書きたいことはヤマほどあり、書いても書いても筆は尽きず、最後に必至に詰めたが、それでも規定枚数の2倍。この時点で眼精疲労がピークに達し、青息吐息で原稿を書き上げて、とりあえず送信。多少、文章が増えても構わないといわれてはいたが、これでは多すぎないか……とヒヤヒヤ。原稿を送った後は疲れを抜こうと入浴。風呂上がりのビールを飲みながら『プロジェクトX』を見て、早めに就寝。

    01月16日 マンガの仕事は目につらい

     パソコンのマニュアルマンガをPageMakerに読み込み、ネームを流し込む。そのあとでAdobeAcrobatを使ってPDF作成し、クライアントと編集作業をしてくれる広告代理店に送付。印刷することを考えて300dpiで変換したが、画像圧縮をすると、印刷したときに絵が汚くなる。しかし、圧縮しないと11メガバイトにもなってメールでは送れない(圧縮版は1.7MB)。しかたがないので圧縮版をメールで送り、非圧縮版はジャストシステムの「iDisk」にアップロードしたものをダウンロードしてもらうことにする……てなことをやっていたら、あっというまに夜。

     夕食後、さらに仕事をやり、午後9時過ぎになってから高円寺「ノラや」に、原画の掛け替えに出かける。ところが到着してみると、すでにママが原画の入れ替えをすませてくれてあった。復刻版をお買いあげいただいた方のなかで、サインを所望される方が本を預けてあったので、これにサイン。そうしているうちに原作者の石津嵐さんもやってきたので、一緒にサインをしてもらう。

     まだ風邪が残っているので、電車のあるうちにトコトコと帰宅。早く寝る予定が、つい、資料読みやら原稿のチェックやら……。たまには、ゆっくり寝たいものだ。

    01月17日 入稿写真をカラーコピーで?

    「墨汁三滴」

     昨日、クライアントに送信した32ページのマンガのネーム確認がすんだとのメール。1ヶ所だけ表記を変えて欲しいとの要望で、2文字だけ修正して作業は完了。マンガの内容、ネームのチェックも「Adobe Acrobat」のおかげで便利、便利。ブロードバンド化で助かるのは、このような大量のファイルのやりとりもできるようになること。仕事に使えてこそブロードバンドである。

     先日紹介した『石森マンガ学園』に関連して、肉筆回覧誌「墨汁三滴」の写真が欲しいというメールも、担当の編集プロから届いている。ならばとデジカメで撮影して送信。夕食後、

     うたた寝していたところに、編集プロから、「プリントできません」というSOSの電話。どうやらメールソフトに表示されている写真をそのまま印刷しようとしたために、96dpiでプリンターに出力されて用紙のサイズに入りきれなくなってしまったらしい。
    「墨汁三滴」会則ページ。この写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

    「PhotoShopか何かでサイズ変更したらどうですか?」と訊くと、そんなソフトはないという。書影などの入稿が必要な場合、本の表紙をカラーコピーしたものを印刷用の原稿にしていると聞いてギャフン。せめてスキャナーくらい使ってほしいところなのに。マンガが中心の編集プロって、こんなにもアナログなんだろうか? もっとアナログの臭いプンプンの文芸系編集部だって、もっと進んでいるぞ。

     送った写真を拡大して確認したところ、ピントが甘かったので、別の写真をグレースケールにし(1色ページなので)、そのまま使えるようにトリミングもして、もういちどメールに添付して送信。添付された画像をフロッピーディスクに保存する方法もメールに書いて、そのまま印刷所(製版所)の人に渡すようにとのアドバイスも添えておく。プリントアウトしたものを原稿として出すのでは、さらに画質が劣化してしまいますから……。

    (右上写真=「墨汁三滴」表紙。布張り表紙。刺繍をしてくれたのは河あきらさん。厚さは8センチくらい。郵便小包で会員の間を転送した。 左上写真=「墨汁三滴」の会則ページ。名誉会長、副会長、会員のそうそうたる名前を見よ!〔クリックすると拡大写真が表示されます〕)

    01月18日 水泳で風邪をぶっ飛ばせ!?

    「マンガ『鳥よ、飛び立て!!』復刻版」にもポツポツ注文が。荷造りや発送作業をすませてカミサンに郵便局へ持っていってもらう。

     こちらはマンガの原稿ファイルをMOにコピーし、最終的な編集をしてもらう広告代理店に発送の準備。320MBのMOが2枚になった。

     いつまで経っても風邪っ気が抜けないので、思いきってフィットネスクラブに出かけて水泳。無理せず軽く泳ぐつもりが、結局、いつもと同じ800メートル+ウォーキング500メートル。帰宅後、ビールを飲んで寝る。

    01月19日 喫茶店で原稿

     風邪で遅れた原稿を進めるため、久しぶりに喫茶店へ出勤。2軒ハシゴの予定が、1軒目の喫茶店が入口に近い風の抜ける場所で、足元から冷え込んだため、1軒だけで帰宅。風邪薬を飲んだ後、うたた寝。

    【追記】昨日、アニメ『アーケードゲーマーふぶき』のVTRが到着。早速、見たけれど、実にいい出来栄えで感心してしまった。絵コンテなども見ていたんだけれど、素人には、絵コンテの段階では、善し悪しなんかわからないもので。しかし、いきなりあいつが出てきたのにはビックリ(笑)。しかも、その声優が……。詳しくはこちらへどうぞ

    01月20日 落語鑑賞で息抜き

     明け方まで小説の原稿を書いていたのだが、昼過ぎまで寝たせいか、案外、気分はスッキリ。宅配便で届いた「F1 CLUB」の書評ページを開き、自分で書いた書評を読んでいたら、あれれ、同じ接続しがつづくという恥ずかしいミスを発見。これ、原稿を書いていたとき自分で修正したはずなのに……とチェックしてみたら、どうやら更新前のバックアップ原稿をメールに添付してしまったらしい。ノートパソコンで書いている原稿は、ハードディスクとメモリーカードに1つずつバックアップを取り、さらに、インターネットのストレージサービス(ジャストシステムのInternetDisk)にもバックアップを取っている。「ブリーフケース」を使って更新するようにしてあるのだが、たまに、原稿が終わった開放感で更新を忘れてしまうことがあるのだ。ゲラが届いていれば気づいたかもしれないのだが……。ああ、恥ずかしい。

     母に来客があったので、居間を明けわたして仕事場の古いデスクトップ・パソコンのスイッチを入れ、こちらで小説の原稿を書く。画面が大きいせいか、目にかかる負担も少ないようで、原稿の進みがいい。夕方まで原稿を書いたあと、高円寺ノラやの落語会に出かけるために家を出る。

     クロネコヤマトの営業所で、マンガの原稿が入ったMOを発送した後、バスで吉祥寺に出て、JR総武線で高円寺まで。今日の落語会の演目は、三遊亭白鳥師匠の新作が二席。昨年、二つ目の三遊亭新潟時代につづく2回目のノラや寄席への出演。ネタやオバサン自衛隊ものと、十八番の貧乏学生(青春残酷)もの。ゲラゲラと笑って打ちあげで焼酎のお湯割りを飲み、ちょっぴり気分をよくして帰宅。

     さっさと寝る予定で風呂に入り、いちど布団にもぐったが、ふと小説の原稿で気になるところを思い出し、のそのそと起き出してノートパソコンを開く。原稿を直しているうちに楠木誠一郎さんのホームページのデータが届き、これを更新。専用のプログラムを用意してあるので、メールでデータを受信してからFTPソフトでアップするまで1分もかからないのだが、今日は、おかしなエラーがでる。何度も見直した結果、保存したデータのファイル名を間違えていた。

     さらにMotorsports@niftyで、Netscape 4.7で見られないページがあることが発覚。こちらの修正もしていたら、いつのまにか時刻は午前6時。目も疲れてきたので、原稿は中断して寝ることにする。


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