• 表紙へもどる

  • 2001年12月上旬の日記

    01日 02日 03日 04日 05日 06日 07日 08日 09日 10日

    12月01日 ひたすら原稿

     とくに変化なし。とにかく原稿を書く。
     あ、そういえば、アニメ『ゲームセンターあらし』の主題歌の作詞印税の振り込み通知が来たのだけれど、また、振込額が増えていた。通信カラオケでリクエストして唄ってくれている人が増えているらしい。ありがとうございます。1回唄われても1円になるかならないか。曲が入っているCDが1枚売れても同じ(たぶん水木一郎さんのCDあたりだろう)。それで1万円以上の振り込みがあるのだから、けっこう、凄いことなのかもしれない……。

    12月02日 西谷先生の個展ふたたび

     原稿がヤマ場だが、下の娘が西谷祥子先生の個展に行きたいというので、三鷹の会場までクルマで連れていく。会場の受付は昨年に引き続き、うちのカミサンが担当。改めて絵を拝見していると、とても素敵な女性が現われる。なんと少女マンガ家の別府ちづ子さん。こ、この人が、あの可愛らしい絵を描いていた方なのかあ……と、ちょっとカンゲキ。西谷先生も含め、記念撮影をした後、娘のバイトの時間が迫り、ふたりで帰宅……の予定が、途中でラーメンのオヤツ。
     帰宅後、またパソコンにしがみついて原稿。終わりそうで終わらない。深夜、楠木誠一郎・歴史ミステリー館の更新。

    12月03日 原稿もうちょい!

     今日も午前中に起きて原稿。あとちょっとのはずだが、なぜか終わらない。ガシガシと原稿を書くだけ。夜、「F1 CLUB」の編集者から電話があり、書評ページの打ち合わせを少々。とりあえず書評したい本の候補を出しておく。

    12月04日 謎の試作品が壊れた!

     ついに催促の電話が。もうちょっとなのに……。最後の追い込みをかけるため、夕方からコレステロールに悪いことを知りながらファミレスへ出撃。キムチ鍋を食し、コーヒーをおかわりしながら3時間粘り、なんとか原稿を終わらせる。
     帰宅するとバイク便で、とある製品の試作見本が届いている。この監修をしないといけないのだが、実によくできているもので、つい家族に見せびらかしたら、上の娘の手がぶつかって、ポキン! あじゃじゃ……。せっかく細かく作っていただいたのにスミマセン(涙)。これが何なのかは、発売が決定したらお知らせします。
     とりあえず原稿をざっと読み直し、深夜になってからメールでY社に送信。
     明日は、パソコンのマニュアルのラフを仕上げ、そのほかに、某大学から依頼されている講義の資料をまとめないといけない。

     そうそう、今日は、「復刊ドットコム」から、「すがやみつる特集」のページができたとのメールがありました。表紙のページにも紹介してありますが、よろしかったら、リクエストに投票してあげてください。小説、マンガ、マンガ原作の作品が、それぞれ復刊リクエストされています。

    12月05日 ドタバタ、ドタバタ

     今日は起き抜けからパソコン関連の仕事のラフをまとめる仕事。食事も抜きでドタバタドタバタと仕事し、家族に手伝ってもらってコピーを取ったものを午後7時直前、ヤマト運輸の営業所に持ち込んで配送の手配。
     帰宅後、やっと食事をとって、こんどは明日、某私立大学でおこなう講義の資料をまとめる。VGA(640×480)の出力ができるプロジェクターがあるというので、フルスクリーンで開くホームページを作成し、これを資料に使うことにする。
     資料が完成したのは深夜。明日はクルマで出かけるので早めに寝る。

    12月06日 大学でハッカーの文化と歴史について講義

     午前10時に起床し午前11時に埼玉県内の大学へ。大泉インターから東京外環自動車道で大宮西インターまで。ここからは一般道を走って大学まで。途中、渋滞があって焦ったが、なんとか1時間ほどで到着。ところがプロジェクターのケーブルが行方不明になったとかで、パソコンからの直結がうまくいかない。しかたがないのでノートパソコンの画面をプロジェクターのカメラで映し、スクリーンに投影する方法で急場をしのぐ。
     講義の内容は、「ハッカーの文化と歴史」について。1970年代から始まったフォーン・フリーカー(「ブルーボックス」などを使った電話のタダがけマニア)の歴史から、パソコン通信(BBS)の歴史、インターネットの歴史などに伴う有名なハッカー(というよりもクラッカー)や、クレジットカード偽造の手口、アメリカの警察の囮捜査の手法などの概略を説明。1時間ちょっとの講義なので、駆け足になったのはしかたないか……。
     帰途、2度ほど曲がる場所を間違えてうろうろ。それでも渋滞がなかったおかげで50分ほどで帰宅。
     ドライブで疲れた身体にムチ打って、昨日送ったばかりの架空戦記小説につける「作者の言葉」を執筆。200字くらいの短い文章って苦手だなあ。
     夜8時を過ぎてから時代小説作家の磐紀一郎さんと会うために高円寺へ。磐紀一郎さんが石津嵐だった時代に書いた原作を、菅谷充がすがやみつるだった時代にマンガ化した作品の原画展のことで打ち合わせ。同時に(というより少し遅れて)発売予定のマンガの復刻版に原作者とマンガ家のエッセイを収録しようという企画で、その内容と枚数、締切について相談。「菅谷充がすがやみつるだった頃」という題名のエッセイを磐紀一郎さんが書き、「磐紀一郎が石津嵐だった時代」というエッセイをこちらが書いてマンガの復刻版に収録しようというわけ。手書きで書くといので、「オアシス文書でかまわないからフロッピーでください」とお願いする。
     2時間ほどで切り上げ、タクシーで磐さんを落とし、都立家政から西武新宿線の電車で来たく。武蔵関からは徒歩。最近、とくに酒を飲んだあとタクシーに乗ると、すぐに気分が悪くなるので、タクシーの利用は控えているのだ。徒歩の方が健康にもいいし。今夜、着ていったジャケット、ズボン、コートは、昨年、着るとハチ切れそうな状態だったため、カミさんが処分しかけていたもの。コレステロール対策のウォーキングと水泳で腹がへこみ、捨てられそうになっていた洋服やコートが着られるようになったのだ。うーん、実に経済的。

    12月07日 パリダカの季節

     やっと少し気分が落ち着いたので、Motorsports@niftyの「2002パリ〜ダカール」ページを作成。あれこれ修正していたら、結局、1日かかってしまう。

    12月08日 季節はずれのズガニを食す

    茹であがったズガニ
     風邪を引き込んだ母の代理で、昨年亡くなった叔父の一周忌に出席するため、静岡県清水市の山奥まで出かける。家の近所でガソリンを入れ、お土産を買い込んで東名高速道路に乗ろうと用賀方向をめざしたが、環状八号線が混んでいそうなので吉祥寺から給田を抜けるルートを取ろうとしたら、これが大失敗。吉祥寺は暮れの週末で大混雑。不法駐車のクルマが道を狭め、渋滞に拍車をかけている。あまりにも道路が動かず、さらにラジオでは環八方面も混雑とのことで、急きょ、中央高速を使うことに。
     三鷹を抜けて調布インターから中央高速に乗ると、こちらはスイスイ。甲府南インターまでは1時間ほど。しかし、ここからが長い。国道52号線を富士川沿いに南下し、身延を抜け、芝川町を抜けて清水市へ入ると、すぐに母の実家があるのだが、自宅を出てからここまで183キロ。甲府インターからは2時間近くかかったかな。
     跡取りの従兄弟が待ち受けていて、秋の間に獲って池で飼っていたズガニ(モクズガニが正式名。地方によってはツガニと呼ぶ。山間部の清流に棲み、産卵時は海に下る)2匹を塩ゆでにしてビールの肴に。睡眠不足で長距離ドライブしてきた後だったので、ビールもほどほどにきいて、いつもより早く午前零時には就寝。

    12月09日 清水から富士へ

     昨夜、早く寝てしまったため、今朝は午前7時前に起きてしまう。午前10時半からお寺で法要、その後、お墓と自宅でお経。昼過ぎ、料理店で昼食をとるが、とても食べられないほどのご馳走が……。
     母の実家に戻り、休憩した後、クルマで僕の出身地の富士市に移動。明日、市内で仕事があるためホテルに宿泊。
     夜、近くの炉端焼きの店で夕食。あれこれ食べて飲んで茹で落花生をお土産にもらってホテルに戻り、なんとか風呂に入ってバタンキュー。

    12月10日 予定を変更して取材に

    興国寺城跡の碑
     午前8時過ぎに起床し、ホテルで朝食をとった後、今日、打ち合わせをすることになっている市内のパソコンメーカーに電話すると、担当者に急用ができてしまい、打ち合わせを午後2時に延期してほしいとのこと。了解したものの5時間も時間が空いてしまったため、時間の調整がついたら取材しようと思っていた場所を巡ることにする。
     最初に出かけたのは、沼津市に入ってすぐのところにある興国寺城跡。このあたりではないかと適当に道を曲がったら、まさしく城跡への道で我ながらビックリ。
     写真の碑は右が初代城主・北条早雲、左が最後の城主・天野康景の名を刻んだもの。山道を天守跡まで登ったら、息が上がってハアハア。

     次は、西に戻って富士川へ。富士川の河口は江戸時代のはじめまで、現在の田子の浦港あたりまで広がる巨大な三角州で、この中に多数の小島が浮かんでいた。その川に「雁堤(かりがねづつみ)」という堤防を築き、現在の富士の平野を築いたのが地元出身の代官、古郡孫太夫父子。決壊を防ぐために人柱も埋められている。この土手と人柱を祀った神社をまわったあと、今度は、この堤を一望できるはずの岩本山公園へ。高校生の頃は、よく、マラソンで来た山だが、現在は、裏手からクルマで登れるようになっている。
     公園の駐車場にクルマを置いて、展望台まで坂道を登る。ここでも心臓バクバク。展望台の上から下の写真を撮影。正面は駿河湾。その向こうには伊豆半島がかすかに見えているのだが……。右手に流れているのが富士川。赤い線に沿って見える茶色い部分が「雁堤」だ。

    岩本山からの眺望。赤線の下に見える茶色い部分が雁堤

     撮影後、駐車場に戻ったが、あまりにも身体がシンドイのでクルマの中で、しばし仮眠。30分ほど寝たら、霞んでいた目もスッキリ見えるようになった。
     クルマで山を下りたあと、バーミヤンでネギラーメンを食し、沼津市に近いパソコンメーカーの本社工場へ。パソコン部門は近くの別室にあり、ここで仕事の打ち合わせ。打ち合わせ終了後、持参した試作機のシステムを最新のものに交換してもらい、クルマで帰宅。

     しかし、沼津インターまでの道が工事のためにメチャ混みで、東名高速に乗ったのは1時間半後。ふつうなら20〜30分くらいの距離なのに……。

     とりあえず足柄サービスエリアまで走ってトイレ休憩した後、一気に自宅まで走るも、東名を降りたとたんに環八が大渋滞。途中、脇道に抜けるも、曲がる場所を間違え、再び環八に戻るドジもやらかした末に、一昨日と同じガソリンスタンドで空になったタンクにガソリンを補給。460キロほど走っておりました。

     ああ疲れた……。

    日記一覧に戻る