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  • 2001年10月中旬の日記

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    10月11日 打ち合わせ

     某出版社の新任社長と編集長が近くの駅まで来てくれて、駅前の喫茶店で新作架空戦記小説の依頼を正式に受ける。その前に上げなければならなかった小説は、書いても書いても終わらず、このままだと生活にも支障が出るため、一時タナあげ状態になりそうな予感。
     編集長とタクシーで吉祥寺に出て、ユザワヤ地下の模型売り場でプラモのチェック。買っても組み立てる時間がないため見るだけにしておいたが、「晴嵐」の陸上機型「南山」やら、「零式観測機」やらと、好みの飛行機のプラモがいろいろ。
     吉祥寺と高円寺の古書店をまわって資料になりそうな本を購入し、飲み屋に寄り道。バスのある時間に帰宅し、また仕事。

    10月12日 F1日本グランプリ1日目、アレジがトップ

     今日からF1日本グランプリ。フリー走行初日のトップは引退を発表したジャン・アレジ。1989年、フランスGPでF1デビューしたアレジは、この年、国際F3000、全日本F3000(マーチン・ドネリーと交代)、アメリカのIMSA-GTOと大忙しだった。
     全日本F3000では、第1戦鈴鹿が予選19位/決勝リタイア、第2戦富士では予選14位/決勝リタイア……が全成績で、日本のレースに出ていたことなど忘れ去られるのは無理もない。
     ぼくが「アレジ凄い!」と、すっかりイカれたのは、1989年の秋、生まれて初めて取材に出かけたCART最終戦のカリフォルニア州モントレー近くのラグナセカにおいてだった。アレジが出場していたのはIMSA-GTOレースで、乗っていたのはフェラーリF40。パワーはあるが重くて曲がらないフェラーリで、アップダウンが激しくコーナーも多いラグナセカに打ってつけのアウディ・クワトロに乗ったハンス・シュトゥックJr.とウォリー・ダレンバックを相手に、まさに激走に継ぐ激走。コーナーではマシンをカニ走りさせ、一時はトップにも立ちながら、とうとう力尽きて3位となった。その走りは78年イタリアGPで死んだロニー・ピーターソンを想起させたものだ。
     アレジは、チェッカーの後、コース上に停めたマシンの窓から自力で降りられないほど疲労困憊(IMSAのマシンはドアが開かず窓から出入りする)。アウディから降りて涼しい顔をしていたシュトゥックと比べると、まるで対照的だった。
     レース後の翌日、モントレー空港を後にして帰国し、一晩寝て起きると、サンフランシスコで大地震。震源地はモントレーの近くで、空港も停電になって閉鎖されていた。1日遅れていたら帰国できないところだった……とホッとしながら、すぐに鈴鹿のF1日本グランプリへ。
     鈴鹿サーキットではプレス向けのラボに、ラグナセカで撮影したフィルムを預けて現像、焼き付けしてもらったのだが、決勝レースの翌日、名古屋駅でF1日本GPの走行を終えて東京に戻るジャン・アレジとバッタリ。彼のラグナセカで走ったときのマシンや表彰台の写真も持っていたのでプレゼントした。
     このときもらった名刺の住所(フランスのアビニヨン)を、2年後、取材の途中に訪ねたことがある。ちょうど湾岸戦争が始まったばかりのときだったが、彼はフェラーリとの契約が決まり、イタリアに引っ越した直後だった。
     アレジといえば1990年アメリカGPでのアイルトン・セナとの一騎打ちが有名だが、その前に、フェラーリF40に乗って激しい走りをしているのを見ることができたのは、実に幸せなことであったと思うのである。そんなわけで初日のフリー走行にすぎない……ということはわかっていても、アレジのトップタイムは、ちと嬉しい。

     午後、広告がらみの仕事でメールのやりとり。夜、日本GPのリリースを訳してMotorsports@niftyに掲載し、その後、再び仕事に戻り、「PageMaker 6.5」でネーム。深夜、ウォーキングを1時間弱やって汗びっしょりになった後、再び朝までネーム。なんとか鼻がついてきた。

    10月13日 サラ・カバナと壊れた「PageMaker 6.5」のファイル

     午後1時前、F1日本グランプリの予選をフジテレビ721で見るために起床。起き抜けにメールをチェックすると、イギリス人(アイルランド人?)男性から1通のメールが入っていた。1997年、フォーミュラ・ニッポンに参戦したアイルランドの女性ドライバー、サラ・カバナ選手のマネージャーと名乗る男性で、ぼくが以前に運営していたJapanese Racing Newsのサラ・カバナに関するニュースに誤りがあるので修正して欲しいという内容だ。

     このサラ・カバナという選手、イギリスでローカルのF2レースに出ていたのだが、マシン持ち込み、メカニックも連れてフォーミュラ・ニッポンに参戦し、満足に予選も通過できないままシーズン途中で引きあげていった。ちょっと日本のレースをナメてませんか? という体制で、冷ややかな目でしか見られなかったのだが、マネージャー氏の指摘によると、予選不通過ではなく、予選は通過したもののトラブルで走れなかったとか。このあたりが事実と違うので、できれば削除してほしいというメールの内容だ。

     こんなニュースが残っているのは、イメージ的にもマズいのだろう。こちらも面倒なのでファイルを削除して、その旨を返信すると、すぐにサンキューのメールが来た。
     しかし、アレジが全日本F3000に出ていたのだって、あまり知られていない事実だが、わずか4年前、サラ・カバナという女性ドライバーがフォーミュラ・ニッポンを走っていたという事実も、とっくに忘れられていそうだなあ……。

     午後1時から日本グランプリの予選をテレビでナマ観戦。鈴鹿サーキットの第1コーナーへの飛び込み、S字、逆バンク、デグナー、130Rの飛び込みと出口……と、鈴鹿には、ドライバーの走りが顕著にわかるコーナーが多い。その分、ドライバーたちも、奥歯を噛み締めてのコーナリングになるはずで、それが、「チャレンジングなコース」だと、ドライバーたちから評判がいい原因となっているのだろう。安全性もいいのだが、やはり、ドライバーたちにとっては、気合いを込めないと走れないようなコースを走ってこそ、ドライバー冥利に尽きるのに違いない。それにしてもミハエル・シューマッハーの走りの完璧さ! 130Rなんて、まるで無理してないように見えるのに1分32秒台まで入っちまった。

     予選終了後、マンガのネームをやろうとノートパソコンを開き、「PageMaker 6.5」にファイルを読み込もうとすると、「ファイルが壊れています」と表示されて読み込めない。ガガーン! 今朝、あまりに眠くて、バックアップも取らずに布団に直行してしまったのだ。そのとき、「WZエディター」でネームのテキスト・ファイルを確認しようとして、誤って「PageMaker 6.5」のファイルを読み込んでしまったのを思い出した。あのときリターンキーか何かを押して、しかも、上書き保存してしまった記憶が……。ファイルが壊れたのは、この作業のせいらしい。エディターに「PageMaker 6.5」のファイルを読み込んで、あれこれ試してみるが、まるでダメ。

     ああ、どうしようとあわてふためいているうちに、このファイル、昨日は途中までデスクトップPCで作業していたのを思い出す。で、デスクトップPCを開いてみると、何とか半分以上のファイルが残っている。これで1日ちょっとくらいの作業で修復できそうだ。ノートパソコンは画面が狭いので、マンガのネームのような作業には不向き。そのままデスクトップPCに向かって作業をつづけ、はっと気づいたら朝。あと1日くらいで目鼻がつくかな……。

     そういえばホンダが2002年限りでCARTから撤退だそうな。CARTが2003年からのエンジン規定をIRLと同じ3.5リッターNAエンジンに変更すると発表したことに対する措置。トヨタは3.5リッターNAエンジンの開発を発表しているが、フォードは、いまのところ追随しそうにない。CARTも観客動員数やテレビの視聴率が落ち、さらには株価も落ちているせいで、焦っているようだ。アメリカのYahoo! Financeで見ると、CARTの株価は、この1年で半額ちかくまで落ち込んでいる。  ホンダが撤退したらツインリンクもてぎでのCARTレースも終わるのだろうか? かわりに富士スピードウェイで開催されるかもしれないが……。でも、そのときは、左まわりで走ってほしいような気も……。

    10月14日 F1日本グランプリはシューマッハーが優勝

     午前8時まで仕事して寝床に入り、目が覚めたのは昼過ぎ。寝たりない気がしたが我慢して起き出し、目覚ましがわりにメールのチェック。最近、このホームページと「ゲームセンターあらし公式ホームページ」のアンケートを送ってくださる方が多い。励みになるコメントも多ので素直に喜んでいます。

     そのままマンガのネームに取りかかり、午後2時半からはフジテレビ721でF1日本グランプリを観戦。ピット作戦でしか追い抜きシーンの見られなくなっているF1だが、今日はピットロード出口でラルフ・シューマッハーに抜かれたルーベンス・バリチェッロの怒りの追い抜きが見られて少し満足かな。

     その後また仕事にもどりノートパソコンの画面と睨めっこ。画面に目を凝らしているため、すぐに目が霞んでくる。あまりにも目が霞んで能率が悪いので、午後10時になってからウォーキング。夜空の星を見ながら50分ほど早足で歩き、汗ビッショリ。帰宅後、すぐに風呂に入って、また仕事。
     深夜、日本テレビでユニクロのドキュメントを見た後、さらに仕事。午前2時、大リーグのマリナーズ対インディアンスを見ようと思ったら雨で開始が遅れている。


     目がしんどいので眼鏡をかけて、さらにネームのつづき。大リーグも始まったが午前5時にはスポーツi・ESPNでCART第19戦ラグナセカ。F1に比べるとCARTのドライバーたちは運転がラフすぎる。スピン、クラッシュの連続でイエロー、イエロー、またイエロー。一時、虎之介が5位あたりを走ってドキドキしたが、イエローでほぼ全車がドドッとピットに入ったとき、ここで手間取ったのか順位が大きく後退。クルマに慣れてきているのは確実なんだから、もうちょうピット作業もなんとかしてほしい。

     というわけでマリナーズも逆点したし、CARTのレースも遅れそうだしで、眠気に耐えきれずに午前6時半にダウン。結局CARTレースは、イエローが多すぎたせいで規定の周回を消化できず、2時間ルールで途中打ち切りとなったらしい。優勝はマックス・パピス。

    10月15日 生きていた張学良

     今日も起き抜けからマンガのネームに専念し、夕方には何とか一段落。そのまま新作架空戦記小説のプロット作りに取りかかる。

     深夜、ニュースサイトで海外ニュースを見ていたら、同時多発テロ関連ニュースの狭間に「張学良氏死去」の記事が。1928年、満州の奉天南方で専用列車もろとも爆死した張作霖の息子で、1936年、共産党との対立姿勢を強める蒋介石を西安で拉致し、抗日を目的とした第二次国共合作を成立させた立役者でもある。そのせいか中国、台湾の両方から哀悼の意が寄せられたらしい。享年100歳の大往生。現代史の生き証人が、またひとり消えた。

     今日は一歩も外出せず。ダンベルとアブフレックスで運動不足を解消。

     明け方、寝ようと思ったら大リーグのマリナーズ対インディアンスの試合が……。つい最後まで見てしまい、寝たのは午前9時。

    10月16日 とくになし

    Motorsports@niftyバナー 118 x 60 Motorsports@niftyバナー 118 x 60  寝たのが午前9時だったのに昼すぎには玄関のチャイムの音で起床。ヤクルトの販売員だった。こんなときに限って家族が留守で、自分で起きていかないといけないんだよな。

     ついでなので、そのまま起きてしまい、マンガのネームをプリントアウト。パソコンの上ではコマ割りとセリフの流し込みがすんでいるだけなので、これをプリントしたものにシャープペンシルでキャラクターと背景のあたりをつける。

     睡眠不足のせいで能率悪し。眠気覚ましに、また上のような新しいバナーの製作。ああ、眠い……。ダイエットのためにサントリーの発泡酒「diet」を飲んで寝よう。エネルギーは21Kcalですと。飲み口も悪くない。

    10月17日 雨のため引き籠もり

     ひたすら資料読み。『ドキュメント太平洋戦争への道』(半藤一利/PHP文庫)、『真実の日本海軍史』(奥宮正武/PHP文庫)など。
     午前5時からNHK−BS1でマリナーズ対ヤンキースの試合を見るが、3回の裏で眠気に負けてダウン。

    10月18日 足りない資料を探しに

     睡眠4時間で起床。プロットを考えつつ資料読みのつづき。
     夕方、雨がやんだので、足りない資料を探しに書店と古書店めぐり。とりあえず新刊書店で小泉内閣成立以来、何かと話題になっている『米百俵』(山本有三/新潮文庫)を購入し、移動のバスと電車の中、夕食のラーメン店で読了。

     さらに古書店をハシゴするが、ピンとくる本がない。近々、取材のため朝からクルマの運転をしなければならない関係で、高円寺の飲み屋に寄って寝酒。すぐに帰る予定がT社の編集者やら編集プロの社長やら美人ライターやらがやってきて、なかなか帰れない。編集プロの社長からは来年、8冊ほど仕事しないかと持ちかけられ即座にOK(忘れないようにね、Kさん!)。最近、小説の仕事で四苦八苦しているもので、小説以外の仕事だとホイホイと乗ってしまいます。

     バスのあるうちに帰宅し、睡眠不足のためバタンギュー。

    10月19日 また寝不足

     昨夜、早寝したせいで、午前8時には起きてしまい、マリナーズ対ヤンキースの第2戦を見る。試合が終わりかけた頃、再び眠気に襲われ座椅子でグ〜。寒くて目が覚め再び資料読み。『空母入門』(佐藤和正/光人社NF文庫/再々々々々読くらい)など。
     夜、エクセルでプロット用の年表を作る。もちろん架空戦記小説用の架空の年表。

    10月20日 水泳へ

     資料読みも一段落して、今日は水泳。寝不足のため600メートル+ウォーキングで切りあげる。帰宅後、プロット作りに励み、深夜はフォーミュラ・ニッポンの予選をスカイスポーツで見る。F1のような緊迫感がないのが残念。

     明日から取材に出かけるので、その資料をインターネットからダウンロードし、クルマの運転途中に見られるようにプリントアウトし、ホッチキスで綴じる。


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