『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(5)
●居候生活
わずか六ヶ月でアシスタントをやめたぼくは、一緒にアシスタントをしていた同人誌仲間の細井雄二の家に居候させてもらうことになった。
お菓子屋さんを営んでいたお母さんが、店を手伝いながらマンガを描いたらいい――と言ってくれたのだ。
店に出かけるのも、午後からでかまわないという。これならば、店が終わった後、夜中までマンガを描くことができる。
このお母さんは、昔から人の面倒を見るのが趣味のような人で、困った人がいると、すぐに面倒をみたり、居候させたりしていたのだという。ぼくが居候をはじめたときも、ほかにひとり、居候状態の中年男性がいた。
細井雄二も、子供の頃から、そんな生活に慣れっこになっていたらしい。「困ったら電話しろ」と言ってくれたのも、こんなアテがあってのことだったのだ。
細井のお母さんが営むお菓子屋さんは、三鷹市と調布市の境界ちかくにある小さなマーケットの中にあった。ちかくに高級住宅が多いせいか、コーラをケースで購入する顧客も多く、ぼくは自転車での配達も担当した。
自転車の荷台にコーラのケースをくくりつけて、配達してまわった先には、クレージーキャッツの谷敬氏や落語家の林家木久蔵師匠の家があった。
店番をし、買物にくる主婦や子供と軽口をたたきながらお菓子やケーキを売る。その様子が水に合っているように見えたのか、細井のお母さんからは、「マンガなんかやめて、お菓子屋になったら? そっちのほうが向いてそうよ」と、冗談まじりに言われていた。
ぼくはぼくで、まったく家族の一員として扱ってくれる細井家の居心地がよくて(おそらく、生まれてからこのかた、家族の団らんといったもの縁のないままに育ったせいだろう)、つい、その好意に甘んじてしまおうか、と思ったこともあった。
しかし、仲間のうちで、アシスタントもしないで、プロのマンガ家の世界から遠ざかってしまったのは、ぼくと細井の二人だけだという焦りもあった。石森先生のところでは、菅野誠がバリバリと緻密な背景を描き、小川まり子は、阿佐ヶ谷の喫茶店でウェイトレスのアルバイトをしながら、すでに担当者がついて、『別冊マーガレット』で読み切り作品を発表するようになっていた。
自分のマンガを描こうと思っても、つい、夜中は、細井と二人で、話をして遊んでしまう。細井のお母さんからもらった給料代わりの小遣いもあるせいで、深夜に喫茶店に出かけたり、ボーリングにいったり。それはそれで楽しくはあったのだが、いつも、どこかに焦りと苛立ちを感じていた。