『仮面ライダー青春譜』第4章 アシスタントから編集者へ(1)
●アシスタント生活がはじまった
朝--。
うるさいほどの鳥のさえずりで目がさめた。
すでに外は明るくなっている。カーテンもまだ取り付けていなかったアパートの部屋の窓をひらくと、狭い道路をはさんだ向い側には大きなお屋敷があり、塀の内側が雑木林になっていた。その林の中で、鳥たちがさえずっていたのだ。
「ここがホントに東京?」
練馬のはずれ、西武池袋線の大泉学園駅から歩いて七、八分の場所にある農家が建てたアパートだ。周囲には、まだまだ武蔵野の面影が残っていた。
アパートの建つ敷地内にも竹薮がある。地方の工場都市の中心地からやってきたぼくの目には、ひどい田舎に見えたものだった。
仕事は午後からだ。まだたっぷりと時間がある。ぼくは、散歩がてらに食事の買い出しに出かけた。
先生のところでは、仕事の途中の食事は、自分でとることになっていた。
しかし、初任給は二万円。七千円の部屋代は、先生が払ってくれることになっているが、将来の独立にそなえ、毎月五千円ずつ貯金しようと決めていた。
残りは一万五千円。一日五百円ずつつかえるが、外食では、ラーメンが百円前後、定食が百三十円から百五十円くらい。食費以外にも生活費はかかるので、とても外食なんかしていられない。
そこで食事は自炊にし、仕事場にも弁当を作って持っていくことにした。
小さな電気釜でご飯を炊いて、マーケットで買ってきた薄いトンカツをタマネギと一緒に煮込み、その上に溶きタマゴを流す。これでおかずの出来上りだ。半分を朝食に、半分を家から持ってきた弁当箱に、ご飯と一緒に詰める。
そして、いま、煮込みカツを作ったばかりの鍋を洗って、残ったタマネギを具に味噌汁を作る。これで朝食の出来上りだった。
一ヶ月後に、同人誌『墨汁三滴』の仲間の細井雄二がアシスタントとして同じ部屋に住むようになると、そのまま、ぼくは、彼の食事も作るようになった。母が仕事でほとんど家にいなかったこともあり、また旅館で調理師をする母の手伝いなどもしていたこともあって、自炊はお手のものだった。
昼過ぎに歩いて三分ほどの江波先生の家に出かけると、先生も起きてきたばかりのところだった。そこに電話がかかってきた。やはり同じ『墨汁三滴』の仲間で、千葉に住む小川まり子という同い年の女の子からだった。ぼくと細井、そして彼女の三人が、週刊誌のスタートで忙しくなっていた江波先生のアシスタントになることが決まっていた。そのなかでぼくだけが、卒業式も待たずにアシスタントを始めることにしたのだった。
電話の内容は、彼女が『別冊マーガレット』の月例新人賞を受賞したというものだった。高校生活の記念にと描き上げて送った原稿が、みごと新人賞に選ばれたのだ。
男まさりの大胆な絵を描いていたが、ストーリー作りが抜群にうまく、いつも舌を巻いてばかりだった。そんな彼女が新人賞を受賞したといっても、そんなに驚くことではなかった。『墨汁三滴』の仲間のなかで、いちばん先にプロのマンガ家になるのは彼女だろう――とひそかに思っていたからだ。
彼女からの電話は、アシスタントになるのを断わりたいというものだった。編集部でめんどうを見るから上京するようにと言われたらしい。
その話に、ほっとしたのは、ぼくと、先生の奥さんだった。ぼくも、なんとなく女の子が一緒では、やりにくいなと思っていたし、奥さんは奥さんで、先生が女の子と同じ部屋で仕事をするのを心よく思っていなかったからである。
彼女の入選作は、まもなく『別冊マーガレット』に掲載された。一六ページの短篇で、題名は『サチコの仔犬』。作者の名前は〈河あきら〉となっていた。