『仮面ライダー青春譜』第2章 紙の街に生まれて(3)
●「マンガのかきかた」
クラスメイトの大熊クンが、突然、自作のマンガを学校に持ってきたのは、小学六年生の終わり頃だった。
少年雑誌のフロクと同じB6サイズの紙に、数十ページのSFロボットマンガを描いたものだ。しかも墨汁をつけたペンで描かれ、色鉛筆で彩色された表紙までついていた。
「菅谷クンも絵が好きなんだから、マンガを描いてみたら?」
おっとりした性格の大熊クンは、そういって、秋田書店から発売されていた『マンガのかきかた』という手塚治虫監修のマンガ入門書を貸してくれた。
その本には、マンガはペンと墨汁で描くこと、失敗したところはホワイトという白のポスターカラーで修正すること、マンガを描くのは模造紙がいいこと。そして、実際に印刷されたものよりも二割拡大のサイズで描くことなどが、ていねいに説明されていた。
こんなにも本格的で実践的なマンガの入門書を読むのは初めてだった。なぜか、ぼくの家には、終戦直後に発行になったらしいボロボロの『漫画自習手本』というマンガ教本があったが、載っていたのは「ポパイ」や「ベティちゃん」の描き方ばかり。ストーリーマンガの描き方は解説されていなかった。
ところが秋田書店の『マンガのかきかた』には、ストーリーの作りの方法から、時間経過の描写法まで、マンガ製作の実際が、実に詳しく説明されていた。
ぼくは、『まんがのかきかた』を借りては返し、また借りてを繰り返しながら、ペン先を買い、墨汁やホワイトをそろえていった。さらに全紙大の模造紙を八等分したものに千枚通しで穴を開けて、B5判を二割拡大した原稿用紙を作りあげ、ついにマンガを描きはじめたのだ。
参考書となった『マンガのかきかた』は、何度、借りたかわからない。大熊クンもついにあきれはて、「そんなに熱心に読むんなら、その本、菅谷くんにあげるよ」ということになってしまったのだ。
こうして小学六年生の終わりから描きはじめたマンガの第一作目は、もちろん、零戦やグラマンが活躍する航空戦記マンガだった。
松本あきらの『燃えろ南十字星』に多大なる影響を受けたストーリーで、被弾して片脚が出なくなった一機の零戦が、ラバウル基地の滑走路に不時着するところからストーリーがはじまっていた。
不時着しようとした主人公の零戦の背後には、すでに危機が迫っていた。ロッキードP‐38「ライトニング」戦闘機が、ぴったりと後ろにつけていたのである。
一ページ描いては、次のページのストーリーを考えてコマ割りをし、鉛筆で下絵を入れては、ペンを入れてベタを塗る。その繰り返しでマンガを描きつづけていったが、いきあたりばったりだったせいで、八〇ページを過ぎてもストーリーが完結しなかった。撃墜王を競う仲間とともに敵に撃墜され、無人島に不時着した主人公が、戦争で人を殺してもいいのかどうかで論争をはじめたせいで、収拾がつかなくなってしまったのだ。
小学生の頭では、整理できない大きな命題に取り組んだのが敗因だった。ぼくは完結を断念した。
その結果、記念すべき処女作は、未完の大作のまま終わることになる。処女作の原稿を放り出したときには、もう中学生になっていた。
【生まれてはじめて描いたマンガ(12歳)】
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