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『マンガ学への挑戦』(夏目房之介)

マンガ学への挑戦―進化する批評地図
『マンガ学への挑戦―進化する批評地図』(夏目房之介/NTT出版ライブラリーレゾナント3/2004年10月刊/1,575円)

 オンライン書店bk1で予約した本書が16日に到着し、一気に読了。夏目氏の著作なので、つい「おもしろいマンガ批評」を期待してしまったのだが、ちょっと予想に反した本だった。『マンガの深読み、大人読み』とは、最初からテーマも作りも異なっている。「マンガ学」のタイトルどおり、マンガを学術的な調査・研究の対象とすることを意図してか、マンガ批評の世界を俯瞰、概観した本か。この選書自体が、そのような方向をめざしているらしい。
 マンガ評論については、この本でも採りあげられている第一世代の人たちのものから読んでいるが(ぼくは、石子順造、梶井純といった「ガロ」的思想系評論家の評論よりも、峠あかね〔=真崎守、もりまさき〕、草森紳一といった「COM」系評論家の評論のほうに親近感を抱いていた(そういえば尾崎秀樹氏、草森紳一氏のところには、マンガ評論の原稿をもらいにいったこともあった)。
「ガロ」系評論家が嫌いな理由のひとつには、白土三平、水木しげる、つげ義春といった劇画家を自称していない人たちまで劇画家にしてしまったことがある。中学生のときから貸本劇画に親しみ、高校生のときには貸本屋のオバサンから仕入れの相談まで受け、貸本屋が店じまいしたときには、それまでの功績(?)から「好きな本を1冊あげる」といわれ、熟慮のあげくに『灰色熊の伝記』(白土三平)をもらったという経験もあるぼくにとって、劇画とは劇画工房系の自称劇画家の人たちのことであり、日活アクション映画や大藪春彦の小説みたいな作品こそが劇画であった。
 もっとも、「ガロ」&左翼系評論家の唱えた劇画論のおかげで、貸本系マンガのすべてが劇画とひとくくりにされ、さらには、60年代後半、雑誌メディアに掲載されるストーリーマンガも、片っ端から劇画にされていった。1969年、「週刊女性自身」に初めてストーリーマンガが連載されることになり、五木寛之氏の北欧小説が松本零士氏によってマンガ化されたのだが、この作品も「連載劇画」となっていたはずだ(ぼくは担当編集者だった)。

「うまいマンガ」という興味が惹かれるトピックもあって、このトピックをもっと突っ込んで欲しいと思ったりもしたのだが、ぼくが「うまい」と感じているマンガ家の筆頭は、黒鉄ヒロシ氏に一ノ関圭氏。黒鉄氏は、タブローとしての筆致が、もうピカソの域にまで達している……と個人的に思っている。一ノ関氏のほうは、いかにも芸大出身というようなデッサン力のすごさ。最近のマンガ作品は、少しタッチが荒くなっているようだが、歌舞伎劇場の裏側を描いた絵本の仕事は「凄い」の一言。

「マンガとしてうまい」と感じるマンガ家もたくさんいて、たとえば、鳥山明氏の『Dr.スランプ』が「週刊少年ジャンプ」に一挙2作掲載で新連載がはじまったときは、「わー、もう、マンガ家をやめよう」と真剣に思ったりしたものだ。村上もとか氏の『岳人列伝』も、掲載誌の「まんがくん」を枕元に置いたまま、寝る前に毎晩読み返しては、ため息をついていた。
 他のマンガ家の凄さをすぐに認めてしまうぼくは、自分の画力の限界を自覚していたこともあって、実は、デビュー前からマンガ家をやめるタイミングについて、いつも考えておりました。

 マンガ評論の本はたくさんあるが、別にゴマをするわけでもなんでもなく、書かれていることがしっくりときて、「そうだそうだ」になるのが夏目房之介氏と、いしかわじゅん氏のマンガに関する著作。たぶん、同世代ということが、いちばん大きいのだろうと思う。

■すがやみつるが「うまい!」と信じているマンガ家の本

ぱんぷくりん セット
『ぱんぷくりん セット』(宮部みゆき・文/黒鉄ヒロシ・絵/PHP研究所/2004年6月刊/1,999円〔分冊もあり〕)........見よ! タブローの極致!

絵本 夢の江戸歌舞伎
『絵本 夢の江戸歌舞伎』(服部幸雄・著/一ノ関圭・絵/岩波書店/2001年4月刊/2,730円)........この絵本を見ると「画狂人」という言葉を思い出したりします。

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コメント

 そういえば10月30日に池袋ジュンク堂で開催予定の夏目さんのトークイベントに出かけようかと思っていたのだが、とっくに予約で満席になってしるよ……とジュンク堂に出かけた家族が知らせてくれた。
 あれまとサイトをチェックしたら本当だった。残念。


 「岳人列伝」は頁を開いたときの印象が鮮烈でした。読後、「列伝」の「列」の字が「烈」にみえたほどです。

 劇画論の小難しさは漫画を批評的にとらえることの難しさでもあったろうか、と思います。漫画の反抗期といえばいいのか。ただ、あれだけ劇画が時代を席巻したことを考えると、やはり、劇画という言葉にはそれだけの力がありました。

 夏目氏のマンガ論(学)は、漫画を文芸的にではなく、漫画的にとらえようとする試みのように感じられます。クールでスマート、そんな言葉もうかんできます。



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