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今日、買った小説と小説関連の本

『海外短編のテクニック』(阿刀田高/集英社新書/2004年9月刊/735円)........阿刀田高氏の小説の書き方、読み方の本は、発売されたらできるだけ早く買う。それだけの価値があるからだ。まだパラパラとながめただけだが、ぼくがいま、毎晩1篇ずつ寝床で読んでいるヘンリー・スレッサーや、高校3年生のとき、全12冊の全集を読破したモーパッサン、高校生のとき、訳文をベランメエ調で書いて怒られたO.ヘンリーなどの名前が並んでいる。阿刀田氏がお好きなロアルド・ダールの名前がないのは、同じ主旨の短編小説ガイド『短編小説のレシピ』で採りあげているからだろう。
 この本を読んだだけで短編小説が書けるようになったりするわけではないが、短編小説の名手が、他の短編小説作家の作品を、どのようなことを考えつつ読んでいるのかという解題を楽しむことができる。そこには小説を書くうえでのヒントも含まれているはずだ。
 そういえばモーパッサンの全集を高校3年生のときに読んだと書いたけれど、高3のときに読んだ全集は、モーパッサンだけではない。井伏鱒二全集も読んでしまったし、三島由紀夫短編全集(分厚い全一巻本)も読んだし、若手純文学作家(当時)の作品を集めた「我らの文学」なんて全集も読んだ。とりわけいまではホラーの名作として知られる曾野綾子の「長い暗い冬」も、この全集で出会ったのであった。
 なぜ、高校3年のとき、こんな本ばかり読んでいたのかというと、ぼくが通っていたのは、いわゆる進学校で、みな大学をめざして受験勉強に励んでいたのだが、マンガ家志望で、卒業後にはマンガ家のアシスタントになることを決めていたぼくは、「ほかの生徒の邪魔をしないで、とりあえず出席していれば、卒業だけはさせてやる」と担任の教師から保証されたのをいいことに、出席のうるさくない教師が担当する科目の時間は、いつも図書室に籠もっては読書にふけってばかりいた。
 家庭の事情さえ許せば、大学にも進学できたのかもしれないのだが、我が家は、ぼくが小学生のときから父は寝たきりで、母ひとりの働きで生計を立てているような状況にあった。これでは大学進学など望むべきもない。アシスタントになることが決まった後も未練たらしく旺文社や学研の模擬試験は受けたりして、ちょっと拗ねた気分もあったりしたことが、純文学作品の読破につながったのかもしれない。
 もちろんマンガもドッサリ読んでいたし、「平凡パンチ」連載の青春小説『青年は荒野をめざす』(五木寛之)や同誌連載の官能小説『ミモザ夫人』(北原武夫)なんてのも読んでいた。大藪春彦や梶山季之だって読んでいた。しかも5月から10月までは毎日プールで泳ぎ、マンガまで描いていた。どこに、こんな時間があったんだろうと、いま考えると実に不思議。そういえば、大庭みな子の「群像新人賞」受賞作(芥川賞も受賞)の『三匹の蟹』を「群像」で読んだのも高校3年生のときの図書室だったなあ。「海は乳色の霧の中でまだ静かな寝息を立てていた。」という冒頭の文章は、なぜかいまだに憶えている。

天空への回廊
『天空への回廊』(笹本稜平/光文社文庫/2004年7月刊/980円)........いま最高に面白い冒険小説作家のはずなのに、自分の仕事にかまけて読み損ねていて、先日、やっとデビュー作の『時の渚』を読んだら、これが面白くて、また、胸にジーンと来るいい話。それなら次は、これを……と狙いを定めておりました。厚い本なので、いつ読み切れるかわからないのだけれど……。でも、20代の頃なら、これくらいの厚さでも(文庫で662ページ)、半日もあれば読んでいたのになあ……。だから速読の本も自信をもって書けたのだ。いまは、とりあえず小説家のハシクレになったせいか、やはり他の小説家の書いた文章が気になって、つい読み返したりしてばかりいるもので、時間がかかってしかたがない。本当は、小説は、書くのよりも読むほうが、ずっとずっと面白いのだ。


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