8月3日に買った本(1)=石ノ森章太郎
『石ノ森章太郎美女画集 GIRLS 2nd.』(石ノ森章太郎/パイオニアLDC/2003年11月刊/5,040円)
『スーパーガールズCOMIC DELUXE(全3巻)』(石ノ森章太郎/ジェネオンエンタテインメント/2004年7月刊/2,600円)
こちらの作品集に関連して、とある掲示板で、石ノ森章太郎先生のファンの方から「タッチが荒い」という感想があった。そこで、この作品集を見ないうちに、以下のようなコメントを書いたのだが……。
うううう……。
「タッチが荒い」と感じるのは、大人向けメディアに掲載された作品ですよね? それも60年代に……。
1960年代後半に、「ヤングコミック」から始まった青年コミック誌が登場するまでは、マンガ雑誌は、児童向けと大人向けの2種類しかありませんでした。「月刊明星」「月刊平凡」「平凡パンチ」などの「ヤング誌」は、グラビアと記事が中心で、マンガのページは、ほんの少しでした。
青年コミック誌が登場するまでのヤング向け雑誌、あるいは「漫画サンデー」や「週刊漫画」といった大人向けマンガ誌に掲載されるマンガは、どちらかというと漫画集団系の「大人漫画」のマンガ家たちによる作品が中心で、ストーリー漫画でも2~4ページくらい。
こんな大人向け雑誌に掲載される漫画は、子供マンガとは絵のタッチが異なり(劇画の大人向け雑誌登場は1960年代の終わりから)、「省略された線」「流麗な線」で描かれるのが一般的でした。しかも、省略された線で絵を描くには、ものすごい画力が必要とされます。
あの頃、子供マンガを描きながらも、大人マンガとタッチを使い分けて、大人マンガを描くことができたのは、手塚先生と石ノ森先生くらいでした。手塚先生が「漫画サンデー」に連載した「人間ども集まれ!」などは、大人向け漫画のタッチで描いた一例といえるでしょう。
石ノ森先生の場合ですと、「気ンなるやつら」とか「ガイパンチ」などは、青年誌向けではなく、「大人漫画」のタッチを意識したものといえるでしょう。その後、青年誌が登場してくると、それに合わせて大人びたタッチの「009ノ1」や「ワイルドキャット」がはじまります。
1969年頃だったと思いますが、漫画評論家の草森紳一氏(本業は美術評論家)が、石ノ森先生の美女マンガについて、「小島功、棚下照生のラインに連なる、線で色気を出せる希有なマンガ家のひとり」と書いていたことがあり、「その通り!」とヒザを打ったことがあります。石ノ森先生が、晩年、小島功氏の功績を称えるような画集とか展覧会をやってほしいと話していたそうですが、これも草森氏の言葉を裏づける一例ではないかと思います(ペンの線は、小島功氏、そのお弟子さんでもあった棚下照生氏〔「めくらのお市」などが有名〕の方が、線はシャープで細いのですが)。
また、石ノ森先生の場合、このような大人向けストーリーマンガだけでなく、たとえば「世界まんがる記」(三一書房版)のカットが代表例ですが、1コママンガ系、つまり「カートゥーン」系の絵に関しても、他の児童漫画家とは一線を画しておりました。海外のマンガ家の絵に影響を受けたり、意識してベン・シャーンのタッチを採り入れたりと、実験という意味では「世界まんがる記」(その前に、「ぼくの落書き帳」などもありますが)が最右翼ではないでしょうか。石ノ森先生が「栄養」にしていたものは、ものすごく広範にわたっていたはずなんです。
ぼくは、「石ノ森先生こそが、日本で一番絵のうまいマンガ家」と確信しているのですが、その「うまい」は、大人漫画的なうまさであって、同時に、「線」そのものに色気や才気を感じさせてくれるマンガ家だったからです。先月亡くなられた杉浦幸雄氏の「線」にも、どこか相通じるところがありました。
Yさんの書き込みを読んでいると、年齢的なこともあるのでしょうが「大人漫画」という滅亡しつつあるジャンル(文春漫画賞も消滅してしまいました)のことが抜け落ちているために、絵が「荒い」と感じるのだと思いますが、ぜひぜひ、もう少し広い視野で「漫画・まんが・マンガ・萬画・コミック・カートゥーン」といったものに目を向けてください。
ぼくは個人的に、現役の漫画家の中で、「最高に絵が凄い」(うまいを通り越している)のは黒鉄ヒロシ氏だと思っておりまして、単行本など出ると、つい買ってしまうのですが、黒鉄氏の「絵」は、もはや、カートゥーンを通り越して、タブローの域に入っていると思っています。晩年のピカソを思い出したりするのですが、石ノ森先生も、1970年前後に、テレビ化作品主体に移行せず、雑誌マンガを主体にしていたら、今頃は、やはりタブローというアートの域に達するような「絵」を描かれていたに違いないと確信しています。
石ノ森先生は、少年・少女マンガを描いていたマンガ家の中では、希有なほどに「絵」がうまく、それも職人的な技巧的な上手さではなく、やはり芸術家としてのセンスと技術(デッサンや線)の持ち主だと考えているのですが、このような観点からの石ノ森先生の評価がないのが、常日頃不満だったこともありまして、つい長いコメントを書かせていただきました。妄言多謝。
この作品集を買って、あらためて読んだのだが、たしかに「タッチが荒い」作品はあった。これも「貸本劇画」や「白土マンガ」を意識した「遊び」のうちだろう。その他、「大人マンガ」を意識したものは、意図的に、大人マンガの線を心がけている。また、小島功氏を意識しているものもあった。
『スーパーガールズCOMIC DELUXE(全3巻)』(石ノ森章太郎/ジェネオンエンタテインメント/2004年7月刊/2,600円)
こちらの作品集に関連して、とある掲示板で、石ノ森章太郎先生のファンの方から「タッチが荒い」という感想があった。そこで、この作品集を見ないうちに、以下のようなコメントを書いたのだが……。
うううう……。
「タッチが荒い」と感じるのは、大人向けメディアに掲載された作品ですよね? それも60年代に……。
1960年代後半に、「ヤングコミック」から始まった青年コミック誌が登場するまでは、マンガ雑誌は、児童向けと大人向けの2種類しかありませんでした。「月刊明星」「月刊平凡」「平凡パンチ」などの「ヤング誌」は、グラビアと記事が中心で、マンガのページは、ほんの少しでした。
青年コミック誌が登場するまでのヤング向け雑誌、あるいは「漫画サンデー」や「週刊漫画」といった大人向けマンガ誌に掲載されるマンガは、どちらかというと漫画集団系の「大人漫画」のマンガ家たちによる作品が中心で、ストーリー漫画でも2~4ページくらい。
こんな大人向け雑誌に掲載される漫画は、子供マンガとは絵のタッチが異なり(劇画の大人向け雑誌登場は1960年代の終わりから)、「省略された線」「流麗な線」で描かれるのが一般的でした。しかも、省略された線で絵を描くには、ものすごい画力が必要とされます。
あの頃、子供マンガを描きながらも、大人マンガとタッチを使い分けて、大人マンガを描くことができたのは、手塚先生と石ノ森先生くらいでした。手塚先生が「漫画サンデー」に連載した「人間ども集まれ!」などは、大人向け漫画のタッチで描いた一例といえるでしょう。
石ノ森先生の場合ですと、「気ンなるやつら」とか「ガイパンチ」などは、青年誌向けではなく、「大人漫画」のタッチを意識したものといえるでしょう。その後、青年誌が登場してくると、それに合わせて大人びたタッチの「009ノ1」や「ワイルドキャット」がはじまります。
1969年頃だったと思いますが、漫画評論家の草森紳一氏(本業は美術評論家)が、石ノ森先生の美女マンガについて、「小島功、棚下照生のラインに連なる、線で色気を出せる希有なマンガ家のひとり」と書いていたことがあり、「その通り!」とヒザを打ったことがあります。石ノ森先生が、晩年、小島功氏の功績を称えるような画集とか展覧会をやってほしいと話していたそうですが、これも草森氏の言葉を裏づける一例ではないかと思います(ペンの線は、小島功氏、そのお弟子さんでもあった棚下照生氏〔「めくらのお市」などが有名〕の方が、線はシャープで細いのですが)。
また、石ノ森先生の場合、このような大人向けストーリーマンガだけでなく、たとえば「世界まんがる記」(三一書房版)のカットが代表例ですが、1コママンガ系、つまり「カートゥーン」系の絵に関しても、他の児童漫画家とは一線を画しておりました。海外のマンガ家の絵に影響を受けたり、意識してベン・シャーンのタッチを採り入れたりと、実験という意味では「世界まんがる記」(その前に、「ぼくの落書き帳」などもありますが)が最右翼ではないでしょうか。石ノ森先生が「栄養」にしていたものは、ものすごく広範にわたっていたはずなんです。
ぼくは、「石ノ森先生こそが、日本で一番絵のうまいマンガ家」と確信しているのですが、その「うまい」は、大人漫画的なうまさであって、同時に、「線」そのものに色気や才気を感じさせてくれるマンガ家だったからです。先月亡くなられた杉浦幸雄氏の「線」にも、どこか相通じるところがありました。
Yさんの書き込みを読んでいると、年齢的なこともあるのでしょうが「大人漫画」という滅亡しつつあるジャンル(文春漫画賞も消滅してしまいました)のことが抜け落ちているために、絵が「荒い」と感じるのだと思いますが、ぜひぜひ、もう少し広い視野で「漫画・まんが・マンガ・萬画・コミック・カートゥーン」といったものに目を向けてください。
ぼくは個人的に、現役の漫画家の中で、「最高に絵が凄い」(うまいを通り越している)のは黒鉄ヒロシ氏だと思っておりまして、単行本など出ると、つい買ってしまうのですが、黒鉄氏の「絵」は、もはや、カートゥーンを通り越して、タブローの域に入っていると思っています。晩年のピカソを思い出したりするのですが、石ノ森先生も、1970年前後に、テレビ化作品主体に移行せず、雑誌マンガを主体にしていたら、今頃は、やはりタブローというアートの域に達するような「絵」を描かれていたに違いないと確信しています。
石ノ森先生は、少年・少女マンガを描いていたマンガ家の中では、希有なほどに「絵」がうまく、それも職人的な技巧的な上手さではなく、やはり芸術家としてのセンスと技術(デッサンや線)の持ち主だと考えているのですが、このような観点からの石ノ森先生の評価がないのが、常日頃不満だったこともありまして、つい長いコメントを書かせていただきました。妄言多謝。
コメント
「JUN」という漫画がありました。
石ノ森作品としては実験作と評されることの多い作品だと思います。
「なんて器用な漫画家なんだ」
それが「JUN」を読んだ私の、最初の感想でした。
石ノ森章太郎の品格を感じさせる線は、私の深読みをかたくなに拒んでいるかのようでした。「JUN」は私にとっては、自分が子供であることを強く意識させられる作品だったのです。それは、私が大人だったからなのかもしれませんが……。
常に大人の視線から子供に寄り添おうとした漫画家――、私は、石ノ森章太郎をそう記憶しています。
敬称を省略したことをお許し下さい。
投稿者: 銀縞 | 2004年08月08日 23:11
日記を拝見させていただきました。石ノ森先生の生家、色鮮やかな原画などの写真とともに楽しませていただきました。
漫画の線というものはどういうものなのかと思って、石ノ森漫画の線をなぞってみたら、ちっとも似ませんでした。
石ノ森漫画を読むと「流れ」のようなものを強く感じます。
それは6気筒エンジンのような、継ぎ目のない流れで、音もなく流れ、風のように去っていくのでした。
線、髪の造形、構図からコマ運びに至るまで、およそ漫画の要素となっているものがいっしょくたになって、ものすごい慣性で流れているのです。島村ジョーはこれを武器にして戦いました。仮面ライダーのエネルギーは風でした。
この流れは、当時の時代の気分とも深くつながっていた、という気もするのです。スピードは武器であり、エネルギーであり、それを演出することがエンターティンメントであった、というような気分と。
大人漫画では、私は滝田ゆうが好きでした。キザクラのカッパも好きです。大人漫画はちょっとピンク色をしているので、読んだあとは駅前に置いてある「悪書追放」ポストに捨てにいかなければなりませんでした。大人たちはタブーへの批判力をもっておりました。冨永一朗さんが地元に講演にいらっしゃったこともありました。演題は「ロマンと人生」でした。
投稿者: 銀縞 | 2004年08月11日 21:46
石ノ森章太郎先生の絵は、流麗な線が特徴でしたが、このタッチは、当人以外には描けるものではなく、それが、似た絵のマンガ家の登場を拒否してもいました。
滝田ゆうさんは、「寺島町奇譚」は読みましたが、全体的には苦手なマンガ家でした。小学生の頃に読んだ貸本向けの「カックン親父」なんて作品が、絵柄も内容も古臭くて、どうも好きになれなかったのが、その後も尾を引いたんだと思います。
投稿者: すがやみつる | 2004年08月11日 23:36