最近、「団塊の世代」があちこちで悪者にされて、その世代の端っこに連なる身としては、どこか肩身が狭い。
で、団塊の世代といえば、イコール・全共闘世代ということでもあるらしいのだが、本当にそうなんだろうか? 同じ疑問はトラックバック先の佐々木譲氏も、団塊の世代を特集した「ダカーポ」を読んで述べられていた(こちらも同じ号の「ダカーポ」を購入したが、目的は第二特集だった)。
団塊の世代は、以前、経済企画庁長官もつとめた元通産官僚で作家の堺屋太一氏の造語だが、英語でいえば「ベビーブーマー」。戦後のベビーブームの時代に生まれた人口比率の多い世代である。
ぼくの感じる団塊の世代とは、全共闘世代もいたけれど、それは一部だけだったような気も。実際、ビートルズにベンチャーズにGS(グループ・サウンズ)に「平凡パンチ」にVANにJUNにアイビーに……といったイメージのほうが強い。そうそう、団塊の世代といえば、「生まれたときからストーリーマンガがあった世代」でもあり、「物心ついたときにテレビがあった世代」でもあるし、同時に、「思春期にビートルズと出会った世代」でもあるというほうが、ぼくにとってはシックリくるのだけれどなあ。
人口が多いから、団塊の世代は、子供たちの団塊ジュニアの世代とともに、格好のマーケッティングの対象になってしまっているのが実情で、なんだか気の毒にもなってくる。
そういえば小説でも団塊の世代をターゲットにしたような青春小説、ノスタルジア小説がたくさんある。これらの小説を読んだ感想の違いによって、また世代感も異なってきたりもするのかも……。
『テロリストのパラソル』......................藤原伊織氏の江戸川乱歩賞&直木賞受賞作。ミステリーとしては甘いところがあるような気もするが、読了した後、飲み屋に行って、カラオケでゴールデンカップスの「長い髪の少女」を歌ったしまったのは私です。ノスタルジック・ハードボイルドでもあるし、やはり青春小説でもあると思うなあ。
『パンドラ・ケース―よみがえる殺人』......................『テロリストのパラソル』が江戸川乱歩賞を受賞したとき、選考委員のひとりとして挨拶した高橋克彦氏が、受賞作を読んで号泣したことを証しておられました。なぜ高橋氏が泣いたのか? それは、この『パンドラ・ケース』を読むとわかるかも。「週刊文春」に連載された雪山の密室を扱ったミステリーですが、その実態は、団塊の世代の青春ミステリーです。
『69(シクスティナイン)』......................最近になって映画化された村上龍氏の自伝的青春小説。1968年頃に、米海軍原子力空母「エンタープライズ」の佐世保寄港反対阻止闘争なんてのがあって、そんな事件を背景にした自伝的青春小説。ぼくが高校生2年のときで、佐世保のデモに参加しにいくという同級生のために、みんなでカンパしたことがあった。で、カンパを集めて深夜の列車で佐世保に向かったはずの同級生は、乗り換えを間違えて、とうとう佐世保に行き着けなかったらしい。
『青春デンデケデケデケ―私家版』......................四国のエレキ少年だった作者(芦原すなお氏)の自伝的青春小説。エレキギターだけは買ったものの、アンプまでは買えなかった同級生に、古いラジオを改造して作ったアンプを売りつけていたぼくにも、実によくわかる小説。映画もよかった。青春ってのは不細工で滑稽なものなんです。そういえば団塊ジュニアよりももっと若い16歳のエレキ少年がいるんだけれど、「レパートリー」や「好きな曲」を見てみてちょ。団塊の世代のオッサンなら、涙チョチョギレまちがいなし。元ベンチャーズのノーキー・エドワーズと競演しちゃったりしてるんですよ。
『ららら科學の子』......................未読だが『テロリストのパラソル』に一脈通じるものがあるのでは……と思っている。作者の矢作俊彦氏は、小説家になる前はダディー・グースという名のマンガ家で、アメリカのパロディ雑誌「MAD」の影響アリアリの絵柄がカッコよくて、作品を見るたび打ちのめされていた。東京教育大付属駒場高校時代に、“一人全共闘”とか称して、ヘルメットにタオルで覆面した姿が「平凡パンチ」に掲載されていたのをなぜか憶えている。マンガ家としての最後の作品は、「ミステリマガジン」の「長いお別れ(だったはず)」(レイモンド・チャンドラー)あたりか? このマンガ、主人公の顔が「逃亡者」のデビッド・ジャンセンだった。そういえば長編小説デビュー作の『マイク・ハマーへ伝言』も、舞台は長嶋茂雄の現役引退の日で、ちょっと時期はズレているけれど、60年代の不良少年たちの匂いがする作品だった。
『青年は荒野をめざす』......................1968年頃、「平凡パンチ」に連載されていた五木寛之氏の青春トラベル小説。この頃は、外国旅行に出かけるにも、水盃をかわして出かけるような時代で、ましてやベトナム戦争もピークを迎えていた東西冷戦時代に、シベリア鉄道経由でヨーロッパに行くなんて行動をとる若者は、冒険小説の主人公以外のなにものでもなかった。ぼくは高校の授業中、こっそり回ってくる「平凡パンチ」で、毎週、読んでいた。同時期に『ミモザ夫人』(北原武夫)という官能小説も連載されていて、内容が理解できないところもあったが、それでもちょっとドギマギしたものだ。『青年は荒野をめざす』は、フォーク・クルセダーズの歌にもなったが、その歌詞の原形となった「ひとりで行くんだ、幸せに背を向けて……」という詩が、毎週、連載小説の冒頭に書かれていた。イラストは柳生弦一郎氏。文藝春秋で透明ビニール付きのソフトカバー単行本になったときも、同じ柳生氏が装幀を担当していた。そういえば「イラスト」という言葉も「平凡パンチ」がひろめたのではなかったか。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』/『さよなら快傑黒頭巾』......................映画にもなった60年代後期ノンポリ少年の青春物語。「週刊女性自身」で“劇画化”が決まり、矢代まさ子さんが作画を担当したんですが、原作者サイドの要請で、第1回目の原稿を映画の関係者にチェックしてもらってほしいとのこと。で、見てもらったら、1年がかりで書いた脚本の決定稿とマンガのファーストシーンがまったく同一だったそうで、「先にマンガが出ると映画がマネをしたと思われるから、映画が公開されるまでマンガの掲載を待って欲しい」といわれ、しかたなく掲載は延期に。かわりに連載がスタートしたのが宮谷一彦さんの『海を見ていたジョニー』(原作・五木寛之)。途中で、よど号ハイジャック事件が起き、『海を見ていたジョニー』の連載を1回休んで、『緊急事件劇画・よど号ハイジャック事件』という読み切りを突っ込んだこともありました。もちろん1970年春のこと。なんでこんなことを知っているのかといえば、そのとき「女性自身」の下請け編集プロで編集者の真似事をしていたからでありました。『赤頭巾ちゃん気をつけて』のマンガ化について原作者の庄司薫氏と、マンガ担当の矢代まさ子さんの打ち合わせの場(銀座のウエストという喫茶店)にも同席しましたが、庄司氏が到着前、他社の編集者から、庄司氏と間違えられたなんて思い出も。映画で薫クンを演じた岡田裕介氏は、つい先日、某所のパーティーでお会いしましたが、いかにも東映の社長らしくなっておりました。
『血まみれの野獣』......................1968年に小学館のハイティーン雑誌「ボーイズライフ」に連載されていた犯罪アクション小説。この年の暮れ、この小説を真似たといわれる大事件が起きました。ここで紹介した他の小説の中にも、同じ事件を題材にしたものがありますが、ネタバレになるので伏せておきます。この小説も、あたしは雑誌連載中に読んでおりました。1963年頃に創刊された「ボーイズライフ」は、さいとう・たかを氏を起用して『007シリーズ』の劇画版を連載するなど、実に意欲に飛んだ雑誌でしたが、1968年に休刊。マンガ部門は「ビッグコミック」に受け継がれ、グラビアや記事は、しばらくの期間をおいて「写楽」に受け継がれていきます。「DIME」や「サライ」なども「ボーイズライフ」の子供といってもいいかもしれません。あ、いま、いちばん「ボーイズライフ」っぽい小学館の雑誌は「ラピタ」だな。
『青山物語1971』/『青山物語1974―スニーカーと文庫本』/『青山物語1979―郷愁 完結編』......................『蕎麦ときしめん』、『永遠のジャック&ベティ』、『国語入試問題必勝法』の清水義範氏(団塊の世代)が書いた70年代が舞台の、「おもろうて、やがて悲しき」自伝的青春小説。このあたりは、まだよくわかるのだが……。
『少女達がいた街』......................柴田よしきさんの作品中で好きな作品を挙げろといわれると、やはり、これかなあ。ただし、団塊の世代の物語ではなく、団塊の世代よりも10歳ほど後の世代の物語。この作品の舞台は1970年代の渋谷だが、ぼくだって同じようなところをウロウロしていたのに、まるで見ていた光景が違っていたらしい。ぼくは20代だったが、駆け出しのマンガ家で、渋谷、赤坂、六本木あたりで、芸能関係の友人と遊んでいた。それもどちらかというと大人の世界だったので、出かけていたのは同じ渋谷でも、バンドが入っていた絨毯バーだったり。どうやら『少女達がいた街』とは違う渋谷にいたらしい。そういえば「パルコ文化」を知らないもんなあ……。
『されどわれらが日々』......................もちろん柴田翔氏作の挫折する青春小説。映画では小川知子がヒロインを演じていた……んだけれど、いま、ハタと気がついた。この映画の監督も『赤頭巾ちゃん気をつけて』の森谷司郎監督だったんですね。『されどわれらが日々』や大江健三郎の一連の作品は、60年代後半の高校生、大学生の通過儀礼みたいなものだったんではなかろうか。『されどわれらが日々』のうしろに『ロクタル管の話』という短篇がついているんだけれど、これがラジオ少年には泣ける話で、実にいかった。
読書に見る世代論……みたいなものでありました。
コメント
「団塊の世代」に関する元の話題となったBlogは、こちらです。
■ダカーポの特集「団塊の世代をめぐる攻防戦」
投稿者: すがやみつる | 2004年07月05日 06:38
誰が時代の代表者たりえるのか、という疑問は常にあるのですが、世代論というのはある種の幻想を共有することによって成り立つものだと思っています。
団塊の世代を自称する人たちにとって1968年が特別な意味を持つのは分かるつもりです。その時代を中心として同時多発的に生まれたカウンターカルチャーは、私のような時代状況(情況?)をよく知らない者にも強い吸引力があります。
青春や思春期を象徴する出来事が身近なところにあふれていた、……おそらくはそんな時代だったでしょう。
団塊の世代はなぜこうした幻想を共有するに至ったのか、くわえてその子にあたる世代が団塊ジュニアなどと呼ばれ、個人的興味の世代とささやかれたりするのはなぜか。興味があります。この二つの世代はそれほどまでに断絶しているのだろうか。その時代を体験しなければ分からない生の気持ちというのもあるでしょう。けれど、若者がはみ出したり、とんがったり、つっぱったりすることを、いまも止めたわけではない……、だとしたら、そうした心情を世代論として特殊化するのは傲慢という気がする。そうした心情が問題にならないのだとしたら、私は世代論というものに興味がない……。私は団塊の世代が語る世代論を聞くたびに、そうした思いを強く持つのです。
私は世代論は専ら断絶のためではなく、青春を紐解く辞書のようなものだと思っています。
投稿者: 銀縞 | 2004年07月06日 20:24
>銀縞さん
「世代論」については、最近、ほかにも、「ネットがあって当たり前の世代と、そうでない世代」を区別する論議などもあって、「時代を超えたエンターティンメント」なんだなあ……などと思うこともあります。血液型みたいなもんですね(^_^;)。
>>私は世代論は専ら断絶のためではなく、青春を紐解く辞書のようなものだと思っています。
これはぼくも同じです。だから「青春(的)小説」を並べてみました。
投稿者: すがやみつる | 2004年07月06日 21:41
>すがやさん
最後の一文、へんてこな日本語でしたが、文意を汲んでいただきました。
紹介された本の中に、読んでみたいと思うものがいくつかあります。
こういう読書案内人に自分は飢えているな……。
投稿者: 銀縞 | 2004年07月06日 22:13
……蛇足ながら、
端末からのダウンロードでしか聴けなかったあの実力派GSバンド「ザ・ゴールデンカップス」のアルバムがCDとして復刻することに!
http://www.neowing.co.jp/detailview.html?KEY=TOCT-25382
彼らのドキュメンタリー映画が今秋公開予定とのことで、再び注目を集めている模様。
すがや氏は飲み屋のカラオケで「長い髪の少女」を熱唱、とのことだったが、私だったら「愛する君に」とか……。
まあ、うれしいような悔しいようなプチ団塊のフクザツな心境をお察しください。くそぅ。
投稿者: 銀縞 | 2004年07月07日 19:33
>銀縞さん
ぼくが「長い髪の少女」を歌ったのは、「テロリストのパラソル」の中で、この歌が歌われていたからです。
最近のカラオケには、「愛しのジザベル」も「本牧ブルース」も「愛する君に」も入っていますが、ほとんど歌えちゃったりします(^_^;)。
東京に来てから買ったシングルレコードは、たったの2枚だけですが、そのうちの1枚が、ゴールデンカップス最後のシングル「蝶は飛ばない」でした(B面はルイズルイス加部が歌っていた「もういちど人生を」)。
そういえば、近頃、団塊の世代のオトーサンたちのなかに、100万円クラスの外国製オーディオを買う人が多いんだそうで。思春期と「ステレオ」というオーディオ機器が重なった世代でもあるとかで、やはり、「いい音の出る装置で、いい音楽を聴きたい」という需要があるそうなんですが。でも、ちょっと見方を変えると、これもある種の「大人買い」ですよね。
投稿者: すがやみつる | 2004年07月08日 00:27